サイボウズ式:平凡な存在で終わっている人は、成功パターンだけを増やそうとしていないか?

成功者が持ち合わせている特質として...

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サイボウズ式編集部より:著名ブロガーによるチームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。桐谷ヨウさんのコラムです。

今日は「平凡」をキーワードに書いていきたい。自分の人生は失敗も成功も何もなく、平凡でおもしろくない──。こんな風に考えてしまっている人はいるだろうか?

俺の印象では、平凡な人の特徴は「成功体験」ではなく、圧倒的に「失敗体験」が足りていない

私達が失敗したくないのはなぜ?

俺が最近感じる空気感に「大失敗するリスクを冒すくらいなら、確度が高いローリスクローリターンで得をしたい」というものがあるように思える。

これ自体は俺も一部同意出来る。誰だって好きこのんで失敗なんてしたくないからだ。

ただ、無難に得をしたいのに、平凡ではいたくないなんて贅沢だと思う。

そもそもなぜ私たちは「失敗をしたくない」のだろうか?

例えば、期待して行った店のコストパフォーマンスが悪かった。これは「損をした」という感情と言える。

また、もうひとつ重要な感情に「恥をかく」という側面にあるように思える。身近な人たちの前で恥をかきたくない、恥をかくくらいなら無難に済ませてしまいたい。だから失敗をしたくない、みたいな。

誰しも恥はかきたくないものだけれど、弊害は「未知の体験へのチャレンジ精神」を奪ってしまうことである。これが問題である。

自分を成長させるため、日々を充実させていくためには、自分の身をていした体験の積み重ねがモノを言う。そして「恥をかかないで出来ること」に照準を絞っているかぎりは、自分の視野は広がりも、深まりもしない

言い換えれば、知っている気になっていることから実際に知ることへのシフト。傍観者から当事者へのシフトを意味している。

『自己啓発本の正しい読み方は「へえ」ではなく、「そうそう」という確認作業にある』と喝破(かっぱ)した漫画(三田紀房『エンゼルバンク』4巻)があるが、これは書籍で初体験するのではなく、自分で体験したことの客観視・整理という意味合いで読め、ということを意味していると俺は解釈している。

極論、世の中に失敗なんて存在しない?

そうは言っても失敗したくない人は多いだろう。俺だってそうだ。そこで考え方のヒントを紹介してみたい。

トーマス・エジソンの名言で『私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけ』というものがある。これはあらゆる成功者が異口同音に話していることで、失敗なんて当たり前。いや、むしろ初めてのことに取り組んだからこそ経験出来たと言える。

失敗を「ダメなことをしてしまった」と捉えるのではなく、「ダメなやり方をひとつ知れた」と捉えてみる、ということ

職場の優秀な先輩に聞いてみてほしい。「最初からそんなにすごかったんですか?」と。絶対に「経験だよ」と返してくるはず。

自分は職場の優秀な先輩たちの過去話を聞くのが大好きなんだけど、それは「この人も小さいことから失敗を積み重ねて、改善して成長してきたんだ」と勇気づけられるからだ。(ちなみに就業後の飲みで武勇伝を聞くのはオススメです。喜んで話してくれますし、可愛がられます)

そう、"平凡でない人(=非凡な人)たち"は、最初からすごかったわけではない。ただ、目の前のことに全力を尽くして向き合い、自分データベースに"失敗履歴"を収集していった過去があり、結果的に成功への最短ルートが見えるようになっていった人が多いんですよ。

成功パターンを増やすのではなく、失敗パターンに注目せよ

というのも、コツを掴むのがうまい人は「成功パターンを増やすアプローチではなく、失敗パターンを潰していくのがうまい」という言説があるのだ。

物事がうまくいったときの「成功要因」は後づけであることが多々あるけれど、失敗には必ず理由がある。松浦静山の剣術書『剣談』に書かれている『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という言葉は、このことを言っているのだと思う。

何か非凡なレベルで物事を達成している人は、誰よりも失敗パターンに出会ってきた人が多いんじゃないだろうか。そして、それを逐一潰してきた。二度と同じ失敗を繰り返さないようにブラッシュアップしてきた。だから結果的に、成功につながることが多いんじゃないだろうか。

そう、必要なのは「過去の失敗を踏まえた上で、いま自分は何を新しく体験しようとしているか?」というスタンスだと俺は考えている。

成功者が持ち合わせている特質として、"GRIT(やりぬく不屈の力)"というのが大きな注目を浴びたことがあった。

GRITが強い人はおおむね楽観主義的な思想であり、何かがうまく行かないとき、その原因がずっと続くものではなく、一時的なものだと捉えるのだという。そして失敗したときには、自分の能力の不足ではなく、努力やアプローチが間違っていた......と「失敗の解釈」を変えることで、結果が出るまで努力をする特徴があるようだ。

なんでうまくいかなかったか考えてみな

自分が社会人として新人時代に資料をうまくまとめても、論理的に話してもスムーズに承認がおりなかった時期があった。

当時、先輩に「お前は資料を作るのもうまくなってきたし、もともと話し方もうまい。だからこそ、なんでうまくいかなかったのか? を考えてみな」とアドバイスをもらった。

先輩は「自分はうまく説明しているのに、上司がわかっていない」「新人だから教育目的でケチをつけているのだ」と考えないようにしても、考えてしまっている俺のことをおそらく見抜いてくれたんだと思う。そう、結果が出ていないときに「うまく出来ていること」ではなく、「なぜうまくいかなかったか」へ視点をフォーカスするきっかけをもらったタイミングだった。

たとえば「説明」が目的のプレゼンテーションと、「承認」が目的のプレゼンテーションでは、おのずと目的だって持って行き方だって変わってくる。あるいは承認を得ることが目的であれば、極論では「話し方のうまさ」を活かすまでもなく達成することだって出来る。

自分の既存のスタイルでは通用しない部分に自覚的になることで、それを止めることが、状況を改善する第一歩になることを知ったのだった。何が出来るかを知ることと同じくらい、何が出来ないのかを見極めることは重要なことである。

出来ないことをそのまま見過ごすのはやっちゃいけない。さらには出来ないこと......あるいは失敗すること自体は恥ずかしいことじゃない。これまで未体験だったゾーンに自分を持っていくきっかけになるからだ。それは物事の見え方がまるで変わりうる。

そして人生経験でも、仕事のキャリアでもいいけれど、自分で体験するということは本当に大事なことで、それは他人にはコピー&ペースト出来ないあなただけの資産になるものである(いつだって"引き継ぎ"が難しいのはその証左でしょう)。

まとめたいと思う。

「いまの自分に出来ること」に踏みとどまる人は平均的な、平凡な人で終わって当たり前だと思う。

いまの自分では「まだ失敗する」けれど、失敗するパターンを潰していくことで、自ずと成功するようになっていく。そして、いつのまにか過去の自分には出来なかったことが、今の自分には出来るようになっている。非凡な人たちはその泥臭いプロセスを誰よりも多く踏んでいる人たちなんじゃないだろうか。

損をしないことが真剣に生きることなのか? 恥をかかないことが真剣に生きることなのか? それを自分の胸に手を当てて、聞いてみてほしい。

イラスト:マツナガエイコ

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サイボウズ式」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。

本記事は、2016年11月30日のサイボウズ式掲載記事平凡な存在で終わっている人は、成功パターンだけを増やそうとしていないか?より転載しました。

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