「二・二六事件」 日本を震撼させた日を写真で振り返る

1936年2月26日早朝、陸軍の青年将校に率いられた約1500人の反乱部隊が決起して首相官邸などを襲撃した。日本列島を震撼させたクーデター未遂事件の模様を写真で振り返った。
|

1936年2月26日早朝、陸軍の青年将校に率いられた約1500人の反乱部隊が決起して首相官邸などを襲撃した。日本列島を震撼させたクーデター未遂事件の模様を写真で振り返った。

二・二六事件
(01 of15)
Open Image Modal
丹生誠忠中尉の説明を聞く二・二六事件の反乱軍兵士 (credit:Wikimedia)
(02 of15)
Open Image Modal
永田町一帯を占拠した兵士 (credit:Wikimedia)
(03 of15)
Open Image Modal
芝浦埠頭に上陸する海軍陸戦隊(2月26日) (credit:Wikimedia)
二・二六事件(04 of15)
Open Image Modal
山王ホテルの反乱部隊(東京都千代田区) (credit:時事通信社)
(05 of15)
Open Image Modal
市街地を行進する反乱部隊。 (credit:Wikimedia)
(06 of15)
Open Image Modal
決起直後、半蔵門を占拠する反乱部隊。(2月26日) (credit:Wikimedia)
(07 of15)
Open Image Modal
岡田総理の無事と事件後の政局を伝える新聞 (credit:Wikimedia)
2.26事件で殺害された高橋是清蔵相(08 of15)
Open Image Modal
Japan\'s Minister of Finance, Korekiyo Takahashi, reads an English language newspaper every day to get the foreigners\' slant on Japanese affairs, Tokyo, Japan, 1934. He was among those murdered by rebelling military officers in the February 26 Incident of 1936. (Photo by Underwood Archives/Getty Images) (credit:Underwood Archives via Getty Images)
(09 of15)
Open Image Modal
2月27日の戒厳令施行を受けて軍人会館に戒厳司令部が設立された (credit:Wikimedia)
(10 of15)
Open Image Modal
投降を呼びかけるチラシ。1936年2月29日 (credit:Wikimedia)
(11 of15)
Open Image Modal
投降を促すアドバルーン。1936年2月29日 (credit:Wikimedia)
(12 of15)
Open Image Modal
山王ホテルの反乱部隊(東京都千代田区) (credit:Wikimedia)
旧日本軍歩兵第1連隊本部庁舎(13 of15)
Open Image Modal
旧日本軍の歩兵第1連隊が使用していた建物で、「2・26事件」当時の部隊が本部として使用した(東京・港区赤坂の防衛庁敷地内) \n\n撮影日:1998年06月26日 (credit:時事通信社)
「2・26事件」の青年将校らの遺書 (14 of15)
Open Image Modal
69年ぶりに見つかった「2・26事件」で処刑された青年将校らの遺書(東京・港区の賢崇寺) (credit:時事通信社)
「2・26事件」の青年将校らの遺書 (15 of15)
Open Image Modal
69年ぶりに見つかり、法要の場で展示された「2・26事件」で処刑された青年将校らの遺書(白テーブルの上)(東京・港区の賢崇寺) (credit:時事通信社)

襲撃を受けた岡田啓介首相は無事だったが、高橋是清(これきよ)蔵相、斎藤実(まこと)内大臣らが殺害された。反乱部隊は陸軍省、参謀本部、警視庁などを占拠、永田町周辺を封鎖した。

部隊を指揮した青年将校らは、「昭和維新」を掲げて陸軍部内で国家革新を目指した「皇道派」グループに属し、クーデターによる天皇親政を目指していた。しかし、昭和天皇は「最も信頼する老臣を殺傷することは真綿にて我が首を絞めるに等しい行為」と激怒、鎮圧を命じた

2月29日、戒厳司令部は約2万4000人の兵力で反乱軍を包囲して戦闘態勢をとった。そしてラジオや飛行機からのビラ、アドバルーンなどで「今からでも遅くないから原隊へ帰れ」「お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ」などと、下士官・兵に帰順を呼びかけた。このため大部分の下士官・兵は帰順し、青年将校も野中大尉が自決したほかは、憲兵隊に検挙されたという。

この事件の結果、軍部の影響力は強くなり、5年後の太平洋戦争の開戦へと繋がっていく。

ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています