学校教育で2分の1成人式は必要なのか?

写真や思い出の品がない子が、嫌な思いや恥ずかしい思いをするのがわかっているのに、「学校行事」という名の下に強制させる。

日本の伝統行事 成人式。20歳になり大人の仲間入りを皆で祝福する日ですね。

そして、現在、日本全国の小学校で取り入れられているのが「2分の1成人式」という行事です。

10歳になる小学4年生の時に行われます。

私は、小学校の行事として行われれる2分の1成人式に大反対です。

行事の内容も学校ごとに色々あって、将来の夢などを語らせる「子供達の成長を見て下さい」という意図のものから、「親に愛されて生まれ、育てられたことを確認し、親に産んで育ててくれたことを感謝する」というような内容で、生まれた時の様子を親にインタビューして作文にして提出したり、赤ちゃんの頃の写真や思い出の品を学校に持って来させるというパターンまで様々です。

百歩譲って、自分の生い立ちや、生まれた時の話を自分の中で咀嚼するのなら分かりますが(まだ10歳、物心ついて4〜5年で人生振り返ってどうする?前を向け!と個人的には思いますが)、なぜかそれを教室に展示して、保護者を学校に呼んで見せつけるという、なんとも配慮のないことをさせる学校もあります。

当然、お父さんお母さんはもちろん、祖父母にも囲まれ、幸せいっぱいの写真や、ブランド品のベビー靴とかベビー服とか、手編みのケープを飾っている子どももいれば、赤ちゃんの時の写真が1枚もないご家庭や、思い出の品が手元にない家庭もあるわけです。

私は10年くらい前に、長男の小学校で初めてこの儀式に出会って、正直、仰天しました。並んだ品を見れば、その家の家庭環境や経済状況が一目瞭然です。

後ろに並んだ子ども達の思い出の品を見て、例えばちょっと汚れたよだれかけとかを見て、露骨なお父さんお母さんは、「何これ?」とか平気で言いますからね。その子の気持ちになればいたたまれないですし、親も自分のダメさを白日の元に晒される(本当は全然ダメじゃないんですが)わけです。

あまりにひどいと思ったので、学校から配られるアンケートに勇気を振り絞って「これはちょっと配慮が足りないんじゃないか」ということを書いたら、次男の時には、思い出の品展示は無くなってました。

特に、私が引っかかるのは、日本の学校は、通常は「みんな一緒」を求めるわけです。高いランドセルを買うのも、ほとんど使わない学習セットを買わされ、さらに何百ものピースに名前を書くという名前書き地獄を強制されたりするのも「みんなと違うものを持っているといじめられるから」。

半ば強制的に裁縫セットとか書道セットとか、ひどいところは修学旅行のボストンバック(兄弟3人いてもお古じゃダメで全員買わされた)買わせたりする。低所得家庭にとっては、とても痛い出費ですが、「子どもに恥ずかしい思いをさせたくない。」と食費を削ったりして揃えているのです。

それなのに、なんで、こういう所には配慮しないんでしょう?

みんなと違うものを持っていると「いじめれられる。」という認識を学校が持っているにもかかわらず、2分の1成人式の思い出の品は、大きな差がでることがわかっているのに、やり続ける。

写真や思い出の品がない子が、嫌な思いや恥ずかしい思いをするのがわかっているのに、「学校行事」という名の下に強制させる。

それは、「嫌な思いをする子どもがいてもしょうがない」という学校や先生の態度表明であり、子どもはそういうのを良く見てますから、「あっ、じゃこの子はいじめてもいいんだな。」といじめ始めたりするわけです。

私は、2分の1成人式は、学校教育にはふさわしくない行事だと思います。

基本的には、どんな子も嫌な思いをせずに安心して過ごせる場所であるという絶対的な安心感があってこそ勉強に身が入るわけで、それをないがしろにして、居心地悪い子(それも家庭環境の弱い子)がいるのに、それを無視して学校運営をするのは違うなぁ、と思います。

外資系企業と一緒にワークショップをさせていただく時に、参加してくださる社員ボランティアさんに、子どもたちが英語で質問をするのですが、年齢はもちろん、結婚してますか?とか、子どもは何人いますか?とか、そういう個人の背景に関する質問は、会社としてNGです。従業員のプライバシーに踏み込まない。

一番効率を求められる企業で、従業員の個人的背景に会社として踏み込まないというのはきっとそれが一番パフォーマンスが高いから。

つまり学校でも、家庭背景とか気にせず、学校という場ではみんな安心して過ごし、フェアに評価される環境の方が、子どもたちの学力も伸びるはずです。今の子は、いついじめられるか、気を使って、周りの空気を読むのに大変で、授業に集中できないだろうと思います。だから塾に行ってのびのびと勉強するとか、なんかおかしいですよね。

キッズドアの学習会運営では、とにかく「どんな子も」居心地の良い雰囲気づくりを一番に考えていて、学習会の中で人をバカにしたりとか、そういうのは絶対にやめよう、と言っています。

「ここは安心できる」という雰囲気を全員が持てれば、全員のパフォーマンスが上がります。

それなら、子どもの過去に触れずに、将来の夢などをこどもに語らせる「子供達の成長を見て下さい」という意図のものなら、別にいいのではないか?

というご意見もあります。

でも、私は、別にあってもいいかもしれないけど、わざわざやる必要はないと思います。

なぜ、学校から「子供達の成長」を見せられなければならないのか?

2分の1成人式がなくても、運動会とか学芸会とか、「成長を見せられる」機会は溢れてます。

小学校なんて、しょっちゅう学校に行って「子どもの成長」を見なければいけないので、びっくりしました。

「これじゃ働けない」と思いました。

Too much!!です。

私たちキッズドアが運営している低所得の中学生のための居場所の中学3年生の子が、

「学校行事に親が来てくれたことがないので、これが最後の学芸会だから、どうしても来て欲しい」

と居場所のスタッフにお願いしてきました。

学校側とも協議して行かせていただいたのですが、本当に必死になって数名の子が、そのスタッフを探して、見つけると手を振って来たりして、

「今まで9年間、寂しい積み重ねだったねぇ。」

と思いました。

たかだか10歳なんだから、難しいこと考えずに、のびのびと遊んで勉強すればそれでいいじゃんと思うんですが、なんで学校が親に「子どもの成長」を見せるんだろう?と思います。

そんな機会は1年に1度、運動会か学芸会で十分です。

学力テストの成績を公表することに対しては「競争ではない」とものすごく抵抗するくせに、実はこのような学校行事で、しばしば残酷なほどに「できる子とできない子」の差を見せつけます。小学生なんて成長の個人差が大きい時期、「あの子はこんなにできるのに、なんでうちの子はこんななのかしら」と無用な心配をわざわざ親にさせなくてもいいのにと思います。

低所得の子どものための学習支援の担当者としては、そんな行事を頻繁にやらなくていいから、とにかく、九九とか四則演算とかアルファベットとか、そういう最低限の勉強を担保して欲しいです。

「学校現場が忙しい」というのはわかりますが、それなら、2分の1成人式なんて、やめてしまえばいいのです。

九九もできないような低学力を放置しているのは、おかしいと思います。

もし、2分1成人式を見に行かれる方は、ぜひその辺りに配慮してくださると嬉しいな。

自分の子の成長を確認するだけでなく、クラス全体、学校全体がハッピーなのかどうか、この行事は本当に必要なのかどうか、を考えて見てください。

そして、ぜひ学校のアンケートに率直な意見を書いて学校にあなたの意思を伝えてください。

2分の1成人式に関しては、私のFaceBookにいろいろな意見が出ています。

それから、そういう居場所の中学3年生を卒業後に自然体験に連れていくクラウドファンディングも実施中です。目標達成まであと1歩。

みなさまご協力よろしくお願いいたします。