「辺野古問題」のゆくえ

過去に様々な「代替案」が提案されたが、ほとんどの案は反対意見が強く、辺野古案だけが残った。
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辺野古から国道329号線を北上し、キャンプシュワブのゲートを右手に見ながら進むと、国道331号線につながるトンネルが見えてくる。

トンネルを二つくぐり、大浦湾の北端から、ぐるりと湾を縫うように東へ進むと、沖縄北部有数の大型リゾート施設、カヌチャベイホテルの入口が現れる。

このホテルの敷地からは、辺野古の海岸線が一望できる。

辺野古の工事が完了すれば、このホテルからの眺めは一変する。

辺野古飛行場は海に突き出た巨大な要塞に見えるだろう。

普天間基地移設の辺野古以外の案がないまま、当事者たちが対立と傍観を続けている。

過去に様々な「代替案」が提案されたが、ほとんどの案は反対意見が強く、辺野古案だけが残った。

そこで安倍政権は、辺野古こそ「唯一の選択肢」として、沖縄県民の意思を無視し、工事を強行している。

(以前は、山中貞則議員や橋本、小渕両元首相など多くの有力政治家が、沖縄の過酷な歴史と過重な基地負担に心を砕き、「丁寧な」沖縄政策を辛抱強く打ち出したものだ。)

国外移設は、海兵隊が拒否している。

日米両政府も、日米同盟の弱体化という誤ったメッセージを中国に送ることになるとして、了承しない。

県外移設は、候補地の地名(例えば徳之島や佐賀など)が表面化した時点で、直ちに地元民が反対し、案として成立しなくなる。

佐賀県に至っては、オスプレイの訓練すら拒否する。

普天間返還が提案された1996年以降、県内移設の最有力案とされた嘉手納統合案は、海兵隊との同居を嫌う空軍が激しく抵抗した。

さらに、嘉手納基地の地元3自治体で構成する「嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会」(三連協)も猛反対した。

辺野古移設については、賛否両論がある。

地元自治体の名護市の場合、全体としては反対意見が優勢だが、基地建設の現場がある辺野古区(集落)は保守系が強く、基地建設に対して条件付き容認派が多い。

また、埋め立て工事を請け負いたい沖縄本島北部の土木建設業界の思惑もある。

そもそも、辺野古の「埋め立て」を推進したのは、この業界関係者であった。

様々な案が浮上しては消え、普天間基地移設案が辺野古埋め立てへと収斂していったのは、上記のような事情があったからである。

だが、この辺野古案について、各種世論調査によれば、沖縄県民の70~80%が反対している。

一方、普天間基地の返還は、日米両政府の合意であり、沖縄県に対する公約でもある。

そのため、これを白紙に戻すことは難しい。

安倍政権は、すでにかなりの予算を辺野古に使っている。

辺野古を含む名護漁協には36億円もの補償金を支払っている。

基地関連工事も始めている。

基地工事の現場となる辺野古区など「久辺3区」に交付金を支払う、例外的な措置まで準備しつつある。

行政としては、予算を消化し始めた計画は、必ず完遂しなければならない。

一方、翁長知事はと言えば、具体的な「代替案」については言及せず、「辺野古阻止」と「県外移設」を繰り返すだけである。

知事自身は、無理を承知で「県外移設」を唱えているのであろうが、実は、この主張を変えにくい事情がある。

翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長も務めた大物保守であるが、今や彼の最大の支持基盤は、共産党や社民党を軸とした革新勢力である。

辺野古問題で革新勢力と齟齬をきたせば、翁長陣営の政治基盤はたちまち瓦解する。

そこで、革新勢力に合わせて、「県外移設」を叫ばざるを得ない。

「代替案」を追及するより、拒否・抵抗型の政治スタイルを貫いた方が、自身の政治生命も維持できる。

一方の当事者である米国政府は、日本政府の動きを静観するだけである。

米国政府内には、辺野古の状況を懸念する幹部もいる。

中国と厳しくせめぎ合う南西諸島に位置する沖縄で、日米同盟の象徴でもある米軍基地が県民に敵視される事態は、好ましいことではないと考えている。

だが、辺野古案に否定的な発言はタブーだ。

せっかく、安倍政権が辺野古基地建設を進めているときに、それに水をかけて工事が頓挫すれば、普天間問題はまた迷走することになる。

難題山積で、残る任期が1年あまりのオバマ政権には、この問題に正面から取り組む意欲も余裕もない。

埋め立て取り消し問題は法廷に持ち込まれた。

政府は、裁判の公判中も辺野古工事を進めると断言している。

当事者に代替案を模索する意思がないまま、対立の泥沼が今後もずるずると続くことになるだろう。