池上彰氏の番組で韓国人のコメント捏造か 「日本嫌いですよ」実際は何と言った?

フジテレビの池上彰氏の番組で放映された韓国人の街頭インタビューで、実際の発言とはまったく異なる内容の字幕がつけられていたことに、ネットで批判が起きている。
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フジテレビの池上彰氏の番組で放映された韓国人の街頭インタビューで、実際の発言とはまったく異なる内容の字幕がつけられていたことに、ネットで批判が起きている。

問題の番組は6月5日に放送されたフジテレビの金曜プレミアム「池上彰緊急スペシャル!」。この日のテーマは「知ってるようで知らない韓国のナゾ」だった。

番組内の「韓国 反日のルーツに迫る!」というコーナーで、「なぜ韓国はそこまで日本を嫌うのか」「そして実際、韓国で日本について話を聞いても」とのナレーションをつけ、ソウルでの街頭インタビューの内容を放映。その中で3番目に放映された女子高校生につけられた吹き替えと字幕は「嫌いですよ。だって韓国を苦しめたじゃないですか」となっていた。

ハフポスト日本版編集部で実際に映像を視聴して確認したが、デイリーNKの高英起氏がツイートで指摘している通り、実際は「文化がとても多い。そして外国人が本当にたくさん訪れてくれるようです」と発言している。「嫌いですよ。だって韓国を苦しめたじゃないですか」とは、女子高校生は一言も言っていない。

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オンライン署名サイトChange.orgではフジテレビに対し「もうこれ以上捏造はやめてください!」とするキャンペーンがスタートし「メディアの影響は大きいだけに報道内容に嘘があってはいけません」「捏造によって特定の国や民族への憎悪を煽動など絶対に許してはならない」などのコメントが書き込まれている。

この番組は、韓国の反日感情の背景や現状を中心的に取り上げている。池上氏が日本の植民地時代の歴史などをさかのぼり「自ら戦って国をつくったのではなくて、日本が戦争に負けて、朝鮮半島から引き揚げた後に、国がつくられたわけでしょ。ある種、棚からボタモチ式に国ができちゃった」「日本と戦ったという伝統に基づいて今の国ができているんだよというある種の建国神話」といった発言に「ネトウヨ、嫌韓本そのまま」との批判も起きていた。

日韓50年
1965年 日韓国交正常化(01 of16)
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1965年6月22日、日韓基本条約が締結され、終戦以来20年ぶりに国交が結ばれた。韓国では、約35年間の植民地支配の賠償を計5億ドルの経済支援としたことへの不満が爆発。日本では、軍事独裁政権の韓国を朝鮮半島唯一の国家として承認することへの反対が広がった。写真は1965年4月17日、ソウルで日韓国交正常化のための交渉に反対する学生らのデモ。 (credit:ASSOCIATED PRESS)
1971年 徐勝さん逮捕(02 of16)
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1971年、ソウル大学に留学していた在日韓国人の徐勝さんは、弟の俊植さんとともに「在日韓国人学生スパイ団事件」でKCIAに逮捕され、19年投獄された。この時期は、韓国に留学していた在日韓国人の学生がスパイ容疑で逮捕、投獄される事件が相次いだが、そもそも逮捕容疑そのものが疑わしいとして、再審無罪が相次いでいる。

写真は1990年2月28日、ソウルで釈放後、家族との再会を喜ぶ徐勝さん(左から2人目)。左から妹の英実さん、1人おいて弟の京植さん、俊植さん(韓国)
(credit:時事通信社)
1973年 ソウル地下鉄疑惑(03 of16)
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1971年、日本はソウルの地下鉄建設に8000万ドルの政府借款を供与することで日韓間で合意した。このプロジェクトを巡り、日本の商社から韓国政界要人にリベートが支払われたとの疑惑が報じられ、国会で議論となった。

写真は1977年12月17日、衆院予算委員会の日韓癒着問題集中審議でソウル地下鉄問題について答弁する三菱商事社長の田部文一郎参考人(東京・国会)
(credit:時事通信社)
1973年 金大中氏拉致事件(04 of16)
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野党指導者だった金大中氏が1973年8月8日、宿泊していた東京のホテルから失踪した。8月14日にソウルの自宅近くで発見された(写真)が、日本の警視庁は韓国中央情報部(KCIA)の関与を発表。一等書記官の指紋がホテルから発見されたが、書記官は事情聴取を拒否し帰国した。日本ではこの時期、韓国の民主化を支援する市民運動が盛り上がりを見せることになる。 (credit:ASSOCIATED PRESS)
1974年 文世光事件(05 of16)
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1974年8月15日、植民地支配からの解放を祝うソウルの行事で、日本から偽装旅券で入国した在日朝鮮人の文世光(中央)が朴正熙大統領を狙って発砲、陸英修・大統領夫人が死亡した。捜査協力を巡る日本の姿勢などを巡り反日感情が高まり、断交寸前だったと言われる。 (credit:ASSOCIATED PRESS)
1982年 教科書問題(06 of16)
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1982年6月、高校の歴史教科書の記述を巡り、文部省が中国大陸「侵略」を「進出」と書き換えさせたと報じられ、中国や韓国から抗議が起きて外交問題に発展。教科書検定基準に「近隣諸国条項」が追加された。 (credit:時事通信社)
1984年 全斗煥大統領来日(07 of16)
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1984年9月6日、国交正常化後初めて、韓国の現職大統領が来日。中曽根康弘首相らと会談した。歓迎行事で昭和天皇が、過去の植民地支配を巡り「遺憾の意」を表明したことが両国で大きく報じられた。 (credit:時事通信社)
1988年 ソウルオリンピック(08 of16)
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軍事独裁政権を経て1987年に民主化を果たし、1988年に夏季オリンピックが開催される韓国への関心が日本で高まり、観光や語学学習などの「韓国ブーム」が起こった。写真は1988年9月17日の開会式。 (credit:Pascal Rondeau via Getty Images)
1991年 慰安婦問題(09 of16)
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韓国での報道を契機に、旧日本軍の「慰安婦」の存在がクローズアップされ、謝罪や補償などを巡り外交問題に発展した。写真は1991年12月6日、賠償提訴後に記者会見する元慰安婦の故・金学順さん。 (credit:時事通信社)
1995年 戦後50年(10 of16)
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1995年8月15日、韓国・ソウルにあった旧朝鮮総督府庁舎の解体が始まった。日本では植民地支配への謝罪を盛り込んだ村山富市首相の「村山談話」が発表された。 (credit:KIM JAE HWAN via Getty Images)
1998年 日本文化開放決定(11 of16)
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小渕恵三首相と金大中大統領の日韓首脳会談で、それまで韓国内での放送や上映が禁止されていた日本映画や音楽、漫画などの大衆文化が段階的に解禁されることが決まった。現在は「進撃の巨人」や「ONE PIECE」などが人気コンテンツとなっている(写真は韓国で流通している「進撃の巨人」)。
2002年 日韓ワールドカップ(12 of16)
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日本と韓国が招致を争った2002年のサッカー・ワールドカップは、1996年に史上初の2カ国共催の形で開催されることが決まった。ともに開催国枠で出場した日本はベスト16、韓国はベスト4に進出した。 (credit:JACQUES DEMARTHON via Getty Images)
2003年 韓流ブーム(13 of16)
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韓国ドラマ「冬のソナタ」がNHK衛星放送で放送されて評判を呼び、翌年には地上波のNHKでも再放送されて人気を呼んだ。主演俳優のペ・ヨンジュンは「ヨン様」のニックネームで日本で大人気に。以後、韓国ドラマや歌手などの「韓流」コンテンツが日本で注目を集める。 (credit:ASSOCIATED PRESS)
2005年 竹島の日(14 of16)
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島根県が「竹島の日」を制定したことに、韓国側は激しく抗議した。写真は2006年の「竹島の日」制定記念式典。 (credit:時事通信社)
2012年 李明博大統領竹島上陸(15 of16)
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2012年8月10日、韓国の李明博大統領が、現職大統領として初めて竹島に上陸。日本人の対韓感情を大きく悪化させた。 (credit:ASSOCIATED PRESS)
2013年 ヘイトスピーチ(16 of16)
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この年に就任した朴槿恵大統領は、日韓首脳会談の条件に「慰安婦問題の進展」をあげ、2015年の日韓国交正常化50年に至るまで首脳会談は開かれていない。日本では在日コリアンをターゲットにした人種差別的なデモが社会問題化した。写真は2013年6月30日、東京・新大久保周辺で行われた「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などによるヘイトスピーチのデモ (credit:Taichiro Yoshino)