Jリーガーの年俸、全部もらえるわけではなかった 松木安太郎、お金事情を暴露

松木安太郎さんらがJリーガーの年俸について暴露した。Jリーガーは年俸を、全てもらえるわけではないのだという。
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TOKYO, JAPAN - MAY 31: Yasutaro Matsuki in action during the Soccer Legends Match for the Sayonara National Stadium event at National Stadium on May 31, 2014 in Tokyo, Japan. The National Stadium in Tokyo, originally built for 1964 Summer Olympics will be demolished to make way for a 80,000-seat stadium which will serve as the main venue of the 2020 Olympics. (Photo by Koji Watanabe/Getty Images)
Koji Watanabe via Getty Images

サッカー解説者の松木安太郎さんらが4月26日深夜にテレビ朝日系で放送された「Get SPORTS」に出演し、Jリーガーの年俸について暴露した。Jリーガーはニュースなどで報じられる年俸を、全てもらえるわけではないのだという。

この日、番組では「Jリーガーとお金」を特集。Jリーガーの推定年俸ランキングトップ10を紹介した。J1で1位はガンバ大阪の遠藤保仁選手で、1億8000万円。Jリーグ全体ではセレッソ大阪(J2)のディエゴ・フォルラン選手が1位となり、3億円(半年契約)だった。

しかし、Jリーグではこの年俸が全額もらえない契約システムだという。年俸が「基本給」と「出場・勝利給」に分かれており、年俸満額を受け取るためには、すべての試合に出場し、かつ、勝利しなくてはならないというシステムになっているためだ。年俸に占める基本給の割合は選手やチームによっても異なり、鹿島アントラーズに所属していた中田浩二さんは、海外チームに移籍する前は基本給7:出場・勝利給3の割合で契約していたという。

番組で進行を務めた中西哲生さん(元名古屋グランパスエイト)は、出場給の額はゲームに出場した時間の長さによって変わると説明。当時所属していたチームでは、46分以上出場しなくては満額もらえなかったと話した。

中田さんは、海外チームでは年俸がJリーグの基本給にあたり、試合に出場したり勝利したりするごとにボーナスが出るという仕組みを紹介。日本の年俸制が最高額を決めるものであるのに対し、海外の年俸制は最低額を決めるようなシステムだとした。中西さんは、海外チームから再びJリーグに戻ってきた際には、海外と同様のシステムで契約したと述べた。

松木さんは監督時代を振り返って、出場・勝利給のシステムをいじることで選手のモチベーションを挙げていたとコメント。「勝利ごとに、勝利給を倍々にしたり。延長戦やPKの時は別にボーナスが出たので、延長戦が始まる前にエンジンを組んだ際、『プラスいくらだから!』と言ったりした」と、当時選手に向かって激を飛ばしていたことを暴露した。

話が日本代表の話に及ぶと、1997年11月にマレーシアのジョホールバルで行われたワールドカップ・アジア予選でゴールを決め、日本代表をワールドカップ初出場に導いた岡野雅行さんは、当時の日本代表のお金事情を紹介。「当時は日本代表はボランティアのようなもので、名誉的なものだった。予選でもお金をもらわずに試合に出ており、僕はジョホールバルしか出てなかったので、お金にならなかった。日本に帰りたいと思った。Jリーグの試合に出たかった」と話した。

岡野さんによると、ワールドカップ出場が決まったことで当時の日本代表、井原正巳選手ら選手会が交渉し、ボーナスが出るようになったという。

1993年頃のJリーグと日本サッカー
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サッカーW杯アジア予選・日本-スリランカ/ラモスのドリブル \n\nドリブルする日本代表のMFラモス瑠偉(右、ヴェルディ川崎)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年04月15日 (credit:時事通信社)
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川崎の三浦知良(右)と鹿島の賀谷(左)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1994年01月16日 (credit:時事通信社)
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264倍強の当選率となったJリーグ開幕戦の名前入りSS席限定入場券。 \n\n撮影日:1993年03月13日 (credit:時事通信社)
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激しくボールを奪い合うヴェルディ川崎のペレイラと市原の新村(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年05月19日 (credit:時事通信社)
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磐田の中山(左)と鹿島の奥野(右)(茨城・カシマサッカースタジアム) \n\n撮影日:1994年03月26日 (credit:時事通信社)
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鹿島の秋田豊(左)と川崎の武田修宏(右)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1994年01月16日 (credit:時事通信社)
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細川護熙首相(右)から第26回日本プロスポーツ大賞の内閣総理大臣賞を授与された、ヴェルディ川崎の三浦知良選手(東京・首相官邸) \n\n撮影日:1994年01月28日 (credit:時事通信社)
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サッカー東京ドームカップ・ヴェルディ川崎-クルゼイロ(ブラジル) \n\n前半、攻めるヴェルディ川崎のMF菊原志郎(中央)(東京ドーム) \n\n撮影日:1994年02月10日 (credit:時事通信社)
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サッカー東京ドームカップ・ヴェルディ川崎-クルゼイロ(ブラジル) \n\n後半、同点ゴールを決めるヴェルディ川崎のFW阿部良則(右)(東京ドーム) \n\n撮影日:1994年02月10日 (credit:時事通信社)
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キリン杯サッカー・日本-アメリカ/ドリブルする都並 \n\nドリブルで攻め込む日本代表の都並敏史(右、ヴェルディ川崎)。日本は3-1でアメリカに逆転勝ちした(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年03月14日 (credit:時事通信社)
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天皇杯サッカー決勝・日産FC横浜マリノス-読売ヴェルディ/先制ゴールを決めた水沼 \n\n後半29分、先制ゴールを決め喜ぶ日産の水沼貴史(左から3人目)ら(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年01月01日 (credit:時事通信社)
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三浦知良選手、ブラジル訪問 \n\nブラジル・サンパウロでの歓迎パーティーで、ケーキのろうそくの火を吹き消すJリーグ・ヴェルディ川崎の三浦知良選手。左はりさ子夫人(ブラジル) \n\n撮影日:1994年02月01日 (credit:時事通信社)
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オフト監督 \n\nW杯アジア予選の展望を語るハンス・オフト全日本代表監督(東京・港区の東京プリンスホテル) \n\n撮影日:1993年10月02日 (credit:時事通信社)
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天皇杯サッカー決勝・日産FC横浜マリノス-読売ヴェルディ/優勝を喜ぶ日産イレブン \n\n2年連続6度目の優勝で大喜びの日産イレブン(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年01月01日 (credit:時事通信社)
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サッカーW杯予選・日本-UAE/祝福を受ける高木 \n\n後半31分、2点目のゴールを決めDF柱谷哲二(中央左、ヴェルディ川崎)の祝福を受ける日本代表のFW高木琢也(同右、広島)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年04月18日 (credit:時事通信社)
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サッカーJリーグ開幕 \n\nサッカーJリーグのオープニングセレモニー(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年05月15日 (credit:時事通信社)
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サッカーJリーグ開幕 \n\nサッカーJリーグのオープニングセレモニー(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年05月15日 (credit:時事通信社)
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松木安太郎監督(東京スタジアム) \n\n撮影日:2001年04月14日 (credit:時事通信社)
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サッカーW杯アジア予選・日本-イラン \n\n延長後半、岡野が決勝Vゴールを決める(マレーシア・ジョホールバルのラーキン競技場) \n\n撮影日:1997年11月16日 (credit:時事通信社)

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