日本で初めて経験する選挙を前に――浦島花子が見た日本

日曜日にやってくる選挙日を迎えるにあたり、19歳で渡米して40歳を過ぎるまで日本を離れていた浦島花子は、生まれて初めて自分の国で投票会場に行くことにワクワクしている。
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HIMEJI, JAPAN - DECEMBER 10: Japan's ruling Liberal Democratic Party (LDP) candidate Zushi Yoshinobu waves to voters next to a Prime Minister Shinzo Abe poster from the roof of a campaign bus during his party election campaign rally on December 10, 2014 in Himeji, Japan. The focal points of the election on December 14 are economic programs, the postponement of a consumption tax hike, a re-interpretation of the constitution on collective self-defense, and the future of nuclear energy. (Photo by Buddhika Weerasinghe/Getty Images)
Buddhika Weerasinghe via Getty Images

日曜日にやってくる選挙日を迎えるにあたり、19歳で渡米して40歳を過ぎるまで日本を離れていた浦島花子は、生まれて初めて自分の国で投票会場に行くことにワクワクしている。

アメリカで永住権はあっても市民権はなかった私は、選挙関連の取材でブッシュやヒラリー・クリントンなど多くの有名人に会う機会には恵まれたが、選挙権がなかったため、投票会場に並んでいる人々を羨ましく眺めていたのを覚えている。

海外に住んでいても、当然、日本国民として大使館を通し投票ができたが、そのプロセスを面倒と思うだけでなく、首相がコロコロ変わる日本の政治については無知であり、またどんな人が立候補しているかすら勉強不足だった若き花子は、アメリカから一票を投じたり投じなかったりといい加減であったことを、現在深く反省している。

さて、自民党を英語で訳すと、どうなるか知っている人は、実はあまりいないと思う。ひょんなことから、英語で記事を書く際調べてみて驚いた。「The Liberal Democracy Party」というのだ。

あれ?と思う人も多いのではないだろうか?

恥ずかしながら、まず自民党の正式名が「自由民主党」であるということを、浦島花子はそれまで忘れていた。今の自由民主党が示す意思や政策を見る限り、「Liberal=自由」と「Democracy=民主主義」という人の権利を保障すべきはずの言葉で自分達の団体を名乗っているにもかかわらず、それとは正反対のことを推し進めているとしか思えないからだ。

今の自民党とは、どちらかというと「自裕民手党」民衆の手で自服を増やす人たち、または「自優民呪党」格差社会を広げる人たちのという方が、なんだか現代版自民党としてしっくりくるような気もする。

そんな人たちが堂々と「自由民主党」という名を掲げていることに、何の疑問も抱かない人が多いのも、浦島花子にとっては日本社会の七不思議の一つである。

なるほど、日本で「自由」とか「民主主義」の根本的な意思が広く根付いていないように思えるのも、国のリーダー達自らがその意味を分かっていないからなのかと、哀しいかな、メイクセンスすらするのである。

Liberalというのは、単なる「自由主義」ではない、オックスフォードの英語辞典では、「Willing to respect or accept behavior or opinions different from one's own; open to new ideas.(自分とは異なる言動をしたり意見を持つ人々を尊重、または受け入れようとすること;新しいアイデアにオープンであること」そして「Favorable to or respectful of individual rights and freedoms (個人の権利や自由を奨励する、または尊重すること)」と説明している。

自分が自由でいたいないなら、他人の自由も尊重せよということだろう。自由でいることには、責任が伴うのだ。

アメリカでは、右よりの保守派の人たちがよく、左翼の過激派という意味合いも込めて「リベラル」という言葉を使い、自分達とは反対の立場の人たちを罵倒する。リベラルであることは、節制のない無法者とでも言うように。

でも私の周りに沢山いた「リベラル」と自ら名乗るアメリカ人たちは、オックスフォード辞典が言うように、違いを受け入れ、人の意見を聞いて理解しようとする人々だった。そんなリベラルな人たちは、コンサバティブ(保守派)の人たちを「Hypocrite」(ヒポクリット)=偽善者と呼んでいた。

皮肉にも、12月10日の時点で、国民の自由を守るべき自由民主党やその意見に賛成した政治家たちにより、国民の権利であるはずの「自由」の一つが消されてしまった。

特定秘密保護法の執行により、国民にとって知る権利と表現の自由がこれから規制されてくると懸念されている。12月10日はその「自由」の命日か記念日か。当然、政治的立場によって言い方も変わる。

自民党をはじめ、特定秘密保護法に賛成した人たちにとっては、記念すべき門出である。彼等が気に入らない人たちを「自由」に捕まえることができるようになるのだから。彼等が手に入れたかった彼等のための「自由」は、昨日始まったのだ。

選挙に行く前に慎重に考えたい。選挙は自分にとってだけではなく、他の人々、特に今選挙権はないが、将来の担い手となる子供たちのためにも、何を意味するのか。

一票を投じる時、選挙権がある「自由」には大きな責任がかかっている。だからこそ、人気投票や目先の経済状況だけではなく、そしてニュースや世論に動かされるのではなく、自分で考えて意思表示をしたいと思う。