猿人「ルーシー」の300万年前の死因が明らかに「彼女の人間味がより増してきた」

ルーシーの化石に新しい視点をもたらした。
Open Image Modal

エチオピアで発見され、「ルーシー」と名付けられた約318万年前のアファール猿人の化石人骨調査をテキサス大学の研究グループが、300万年以上前に生存し亡くなった人類の先祖の標本の代表である「ルーシー」の死因を明らかにしたと発表した。

ルーシーは、小さな二足歩行の動物であり、学名「アウストラロピテクス・アファレンシス」で、絶滅種に属している小柄な二足歩行の猿人の化石だ。アリゾナ州立大学ヒト起源研究所のウェブサイトによると、ルーシーは1974年にエチオピアで発見され、その名前はビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」に由来している。

雑誌「ネイチャー」に8月29日発表された論文によると、研究グループはルーシーの右上腕骨(肩から肘まで通る長い骨)に骨折の跡があり、これは彼女が「地面に向かって垂直に落下したとき、腕を骨折した結果」亡くなったことを示しているという。

つまり、かなり高い場所から落下したとみられる。

■ ルーシーはどのように木から落ちたのか

研究グループが長い間議論してきたのは、ルーシーが木の上と地上の両方で過ごしていたのかどうか。ネイチャーに発表した論文の主要執筆者が述べているポイントだ。

「皮肉なのは、樹上生活が人類の進化上どのような役割を果たしてきたのかという議論の中心にある化石が、おそらく木から落ちた負傷により死亡したということだ」と、テキサス大学オースティン校の人類学と地質学のジョン・カッペルマン教授は述べた。

Open Image Modal

ルーシーが木の上から落下した時の予想図

ルーシーはどのように木から落ちたのか。研究グループの仮説によると、彼女はまず足で着地し、体は右側に向けて前に投げ出されたという。

この研究において、カッペルマン教授と地質学のリチャード・ケッチャム教授はCTスキャナーを使用し、ルーシーの化石化した骨格を35000以上の断面にスキャンし、記録を作成した。

断面の解析から、ルーシーの右上腕骨の端に見受けられる鋭いはっきりとした損傷が明らかになった。研究グループが言うように、落下したけが人に見られる骨の損傷と似ている。

テキサス大の研究グループは、これらと彼女の骨格の他の損傷からみて、ルーシーはおよそ3フィート6インチ(約114cm)の身長、60ポンド(約27kg)の体重だと推定した。

研究グループは、ルーシーが高さ約12メートルの木から落下したと考察。地面に落ちた時の速さは時速約11メートルだったと推定した。まず、足から落ちて自分をかばうために腕を使ったが、衝撃の強さが大きすぎたために助からなかったと考えている。

Open Image Modal

ジョン・カッペルマン教授と、リチャード・ケッチャム教授がルーシーの本物の化石をスキャンしながら(背景)、骨のモデルを観察する様子。

この分析は理にかなっているが、少しむごい。しかし、他の科学者たちは疑念を抱いている。

アフリカのケープタウン大学で考古学者を務めるレベッカ・アッカーマン博士はワシントンポストの取材に対し、「今回の研究ではルーシーの骨折に対する他の説を覆すまでには至らない」と語った。しかし、アッカーマン博士は調査結果自体を否定していない。

「個人的には、科学的に見ても歴史的に見ても、人類の進化を理解する上で重要な役割を果たしたルーシーに関する興味深い話を教えてくれる、いい研究だと思います」と、アッカーマン博士は語った。

■ 懐疑的な見方も

しかし、新しい説をより厳しく評価する研究者もいる。

「説明のつく骨折の原因は数え切れないほどある」と、ルーシーを発見した研究者の1人で、人類起源研究所長のドナルド・C・ヨハンソン博士はガーディアン紙に語った。「ルーシーが木から落ちたという説は、立証も反証もできない、ただその通りの話なので確証がありません」

ヨハンソン博士はニューヨークタイムズに、「ルーシーの骨折は死後かなり経過してから起こった可能性が高く、象の骨やカバの肋骨も似たような損傷を起こすし、そのような動物が木から落ちる可能性は低い」と述べた。

これに対し、カッぺルマン教授はハフポストUS版に「新たな研究では骨折のごく一部分に焦点を当てており、それは骨と骨の間に起こる高エネルギーの衝撃と一致し、さらには骨化化石によく見られる類の損傷とは異なっている」「これらの骨折は死戦期(死亡時あるいはその近辺)に起こったと考えられます」と説明した。

いずれにせよ、ルーシーの化石に新しい視点をもたらしたことは、彼女をより人間らしくした。少なくともカップルマン教授はそう考えている。教授はハフポストUS版に次のように語った。

「我々の仮説では、ルーシーの上腕の骨折は落下の衝撃を和らげようと、死に物狂いで両腕を伸ばした時に起こったものです。我々も、転ぶ時には同じようなことをしています。彼女の死因がわかった瞬間、そして彼女が経験したことをそのまま同じように体験できた瞬間、感情移入してしまったのです。彼女の死因がわかって、人間味が増したのです」

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

▼画像集が開きます

人類が滅ぼした絶滅動物
(01 of20)
Open Image Modal
ドードー(1681年ごろ絶滅)\n\nマダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた鳥類。七面鳥のようにでっぷりと太った外見だがハトの仲間と言われている。空を飛べず地上をよたよた歩いていたが、大航海時代にヨーロッパ人が乱獲したことが一因で絶滅した。ルイス・キャロルの小説「不思議の国のアリス」にも登場している。 (credit:Wikimedia)
(02 of20)
Open Image Modal
クアッガ(1883年絶滅)\n\nシマウマの一種だが、体の後ろ半分にはシマがなく茶色一色となっているのが特徴。アフリカ南部の草原地帯に生息していたが絶滅した。人間による乱獲と開発に伴う生息地の減少とされる。 (credit:Wikimedia)
(03 of20)
Open Image Modal
フクロオオカミ(1936年絶滅)\n\nオオカミの名前で呼ばれるが、正確にはコアラやカンガルーと同じ有袋類の一種。オーストラリア南部のタスマニア島に生き残っていたが、家畜を襲うことで目の敵にされ、懸賞金をかけられて駆除された。 (credit:Wikimedia)
(04 of20)
Open Image Modal
ションブルクジカ(1938年絶滅)\n\n中国雲南省やタイなどに生息していたシカの仲間。漢方薬の材料とするための角を目的とした狩猟と、開発による湿原の消失が原因で絶滅したと見られている。 (credit:WIkimedia)
(05 of20)
Open Image Modal
ジャワトラ(1980年代に絶滅)\n\nインドネシアのジャワ島に生息していたトラの亜種。熱帯林の減少や狩猟によって絶滅した。 (credit:WIkimedia)
(06 of20)
Open Image Modal
カリブモンクアザラシ(1952年絶滅)\n\nカリブ海に生息していたアザラシの1種。16世紀以降、脂肪から油を取るための乱獲などで大きく数を減らした。 (credit:Wikimedia)
(07 of20)
Open Image Modal
ブルーバック(1800年ごろ絶滅)\n\n南アフリカのケープ地方に生息していた野生ウシの仲間。体の上面と側面は青っぽい灰色の毛並みに覆われていた。18世紀以降、移入した白人の牧畜と農業で生息地が奪われ、狩猟の対象にもなったことで絶滅したとみられる。\n\n (credit:WIkimedia)
(08 of20)
Open Image Modal
ウサギワラビー(1890年絶滅)\n\nノウサギのような姿をしたカンガルーの一種。オーストラリア南東部に生息していたが、狩猟や生息地の牧草化で絶滅したと見られる。 (credit:Wikimedia)
(09 of20)
Open Image Modal
フォークランドオオカミ(1876年絶滅)\n\n南米アルゼンチン東方のフォークランドに生息していたイヌ類の動物。オオカミとの名前がついているがキツネの近縁だ。フォークランド諸島唯一の肉食動物だったが、西洋人が移入してからは家畜に被害があるとの理由で、オオカミ狩りが行われ、急速に絶滅の道を歩んだ。 (credit:WikiMedia:)
(10 of20)
Open Image Modal
ニホンオオカミ(1905年絶滅)\n\n日本に生息していたオオカミの一種。絶滅前の正確な資料がなく、生態はほとんど分かっていない。絶滅の原因は、明治以降に西洋犬が入ったことに伴い流行した家畜伝染病や、生息地の分断などが考えられている。 (credit:シーボルト「日本動物誌」)
(11 of20)
Open Image Modal
ニホンカワウソ(1979年絶滅)\n\nイタチ科のほ乳類で全長1メートル前後、清流を好み、河童のモデルともいわれてきた 日本の近代化とともに河川環境が悪化、さらに毛皮をとる目的で捕獲され、次第に生息域を減らしていった。1979年に高知県須崎市で目撃されたのが最後の姿だった。 (credit:須崎市役所)
(12 of20)
Open Image Modal
ニホンアシカ(1975年絶滅?)\n\n日本沿岸で繁殖する唯一のアシカ科動物。島根県の竹島が最後の生息地となっていたが、韓国が領有権を主張して同島を要塞化したことで生息が危ぶまれている。1975年に韓国の自然保護団体が目撃した記録が最後の目撃例だ。 (credit:シーボルト「日本動物誌」)
(13 of20)
Open Image Modal
モア(18世紀までに絶滅)\n\nニュージーランドにかつて生息していた巨大な鳥類。頭頂までの高さは最大で約3.6m、体重は250㎏ほどであったと推定されている。マオリ族のニュージーランドへの上陸後、生息地の森林の減少や乱獲により急速に生息数が減少したという。 (credit:Wikimedia)
(14 of20)
Open Image Modal
オオウミガラス(1850年ごろ絶滅)\n\nカナダ北東部のニューファンドランド島などに住んでいた大型の海鳥。好奇心が強いこの鳥は、羽毛や脂肪を取るためにヨーロッパ人に乱獲されて絶滅した。本来はこの鳥が「ペンギン」と呼ばれていた。 (credit:Wikimedia)
(15 of20)
Open Image Modal
カロライナインコ(1918年絶滅)\n\n北アメリカに生息していた唯一のインコ。フロリダ半島などに広く分布していたが、アメリカ合衆国の建国に伴う開拓の進展で個体数が減少。1918年にシンシナティ動物園で飼われていた「インカス」という名のオスが死んで、完全に絶滅した。 (credit:WIkimedia)
(16 of20)
Open Image Modal
リョコウバト(1914年絶滅)\n\n北アメリカ大陸東岸に大量に生息していたハト。巨大な群れを作る渡り鳥で、大量に数がいたが、羽根ぶとんの材料になる羽毛の採取などを目的とした無制限な乱獲で絶滅した。 (credit:Wikimedia)
(17 of20)
Open Image Modal
ワライフクロウ(1914年絶滅)\n\nニュージーランドの北島・南島にそれぞれ一亜種ずつが生息していたが、両方とも絶滅した。ヨーロッパから来た船にひそんでいたネズミに卵などが食べられたことなどが原因とみられる。名前の由来は、人間の高笑いのように聞こえる独特の鳴き声による。 (credit:Wikimedia)
(18 of20)
Open Image Modal
ゴクラクインコ(1927年絶滅)\n\nオーストラリア東岸に生息していたインコの一種。ゴクラクインコ(PARADISE PARROT)の名は、その姿の美しさ故につけられた。イギリスでペットして飼うことがブームになったが、蟻塚で巣を作る習性があったため繁殖が困難だった。乱獲や牧場の増加によって絶滅したと見られる。 (credit:Wikimedia)
(19 of20)
Open Image Modal
オガサワラカラスバト(1889年絶滅)\n\n日本の小笠原諸島に生息していたハトの一種。島の開拓による生息環境の破壊と、外部から移入したネズミ、ヤギ等による卵の食害などが影響して絶滅したと見られている。 (credit:Wikimedia)
(20 of20)
Open Image Modal
ピンタゾウガメ(2012年絶滅)\n\nガラパゴスゾウガメの亜種。ガラパゴス諸島のピンタ島に生息していた。最後の生き残りの「ロンサム・ジョージ」(写真)が2012年に死んだことで絶滅したとみられている。 (credit:WikiMedia:)

(スライドショーが見られない方はこちらへ)

Open Image Modal

関連記事

Open Image Modal