堤幸彦監督「明日の記憶」

日本ならではの、奥深さを感じずにはいられないのである。

萩原浩氏原作の小説が映画化された「明日の記憶」。

もう一生忘れられないシーンがある。主人公を演じる渡辺謙さんと妻役の樋口可南子さんのラストシーンだ。

ニューヨーク滞在中、世界中のいろいろな種類の名作を大学で観る機会にめぐまれたが、あの瞬間をつくりだせるのは、この地球上できっと日本人だけだろう。

そして、他でもない、堤幸彦監督であり、主演と助演のお二人だろう。

この映画に出逢うきっかけになったのがミュージシャンのSEKAINO OWARIのみなさんのインタビュー記事だった。

「明日の記憶を観てつくづく、人間は20歳を超えるとあとは年を重ねることに生物学的にはおとろえていく。でも人は、年々成長しようと、その老いにまけないようにと、がんばって生きていく」

幼いころは大人になるのがワクワクだった。毎日毎日、過ごしていれば成長しかなかったのである。

それが20歳を超え、教育を修了し、社会を構築する側に経つ頃には、もう上がるも下がるも自分次第。

そして、明日の記憶は、そのおとろえていく自分の記憶と闘う一人の男性と、厚く側に寄り添う妻と、その周囲の人々の人間模様を描く。

映画の途中、わたしたちは、スクリーンで病と闘う男性が、渡辺謙さんであることを一切忘れてしまっている自分に気付く。渡辺謙さんの存在をほとんど忘れてしまうかのような、素晴らしい演技なのだ。

とても俳優として成熟しきった男性が露呈できるとは思えないような人間の、男性の弱さ、もろさを、彼は臆する事なく体現する。かっこいい自分など見せようとしない、ある意味この作品のために、この役のために、自分があえて負ける。

負けられる懐と余裕がちゃんとある。それができる俳優の覚悟とその全身の表現に、わたしたちは、そのキャラクターを信じきり、俳優に賞賛を贈る。

ラストシーン、深い森の中でしばらく過ごした後の夫とようやく再会するも、夫はもう何十年と寄り添ってきた夫ではなくなってしまっていた。

目の前に健康な姿はあるのに、もう二人の記憶も思い出も全部消えてしまっている、こうして二人再会できたとしても、以前のような夫婦にはもう戻ることができなくなってしまった。

そのたとえようのない悲しみに、一瞬にして包まれる妻の枝実子。涙もすぐにこらえて、今や他人となってしまった夫に笑顔で応える。夫を想って、一歩引いて寄り添って歩んでいく懐の深さと、寛く温かい愛情に、心を打たれる。

思ったことを全て口に出す文化ではない。沈黙を美として、時には相手を立てるために、ぐっと心の奥に言葉をしまう。その我慢する気持ちも決して外には見せず、表情はあくまでも明るく穏やかなのだ。

本音とたてまえの日本であるが、自分をまもるための嘘ではない、相手への愛情がとらせる沈黙と後退に、日本ならではの、奥深さを感じずにはいられないのである。