南沙織の息子アッキーの「等身大の沖縄」レポートが深イイ!

報道番組以上に「報道的」な内容だったが、報道番組の担当者たちはもっと悔しがった方がいい。君たちができないことを情報番組の『あさイチ』がやっているのだ!
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『あさイチ』での沖縄レポート

辺野古の米軍基地の建設をめぐって、中央政府と沖縄県が真っ向から対立するなか、日本国民は沖縄についてどう考えれば良いのだろう。

ニュースやドキュメンタリーなどの「報道番組」をいくら見ても、なかなか伝わって来ないものがある。私のようにテレビ報道の世界に長く身を置いて、テレビドキュメンタリーのコンクールの審査委員などをやっている人間でさえも、沖縄県民の実感をテレビから得ることはめったにない。頭ではわかっても、心でわかるというプロセスがストレートではないのだ。沖縄の歴史などの事前知識がないと難しい。映像をぱっと見て全員がすぐにピンと来る、という問題ではない。

沖縄県民の"痛み"は、テレビで県民以外の人間が見ても、本当の意味で共有することは難しいのではないか? そんな"モヤモヤ"がずっとあった。

その"モヤモヤ"を晴らしてくれたのが、5月27日(水)放送のNHK『あさイチ』だ。

この日の特集が「もっと沖縄を知りたい! ~アッキー・沖縄旅~前編」。アッキーというのは番組のレポーターを務めているタレントの篠山輝信(しのやま・あきのぶ)のあだ名だが、彼の父親は有名写真家の篠山紀信。そして母親は1970年代に『17歳』などの歌で一斉を風靡した元アイドル歌手の南沙織。沖縄の出身で長い髪に大きな瞳、健康的な小麦色の肌が人気を集めた。

どちらかというと篠山紀信も息子として語られることが多いアッキーだが、この日は「小さい頃よく訪れていた沖縄を旅して再発見する」というコンセプトでアッキーによる観光地めぐりのような体裁で沖縄の現状を紹介していた。

那覇にある国際通りや公設市場で、沖縄特産の魚介類や菓子などを紹介したり、一見、民放の番組の観光めぐりと大差ない。ところが、公設市場の店の人たちが「かつてはなかったけれども、最近、オスプレイの騒音がひどくなった」という声を取材している。

観光地である那覇・公設市場でさえ、オスプレイの騒音がひどくなった、という現状は他の番組でも見たことがない。

アッキーはこの後、沖縄で人気のお笑いグループ「お笑い米軍基地」の稽古の様子を取材し、ネタを披露してもらう。

死にかけているおじいさんの「最期の声」が米軍機の騒音によって、家族が聞くことができないという「沖縄あるある」がネタになっていた。

それを笑っていいのか、と一瞬、戸惑うアッキー。このシーンのスタジオトークでは「見て笑うのが興味を持つ入り口」になると説明していた。沖縄放送局で20年取材を続ける記者も、笑っていいのか、と戸惑うことが地元の人たちの「痛み」を理解する入り口だと解説。

コントを笑っていいのかどうか、という身近な入り口から、沖縄の人々の「痛み」をどう理解するか、というすごく深いテーマに触れていた。

このあとアッキーが訪れたのは、祖母の家があった地域。つまり、南沙織の生家があった地域だ。ここは人口が密集し「世界一危険な基地」とも言われる普天間基地のすぐ近く。

幼い頃によく行っていた祖母の家近くに行くと、基地があってフェンス越しにオスプレイが止まっていて飛び立っていく。近くの商店にいくと、商店の女性はアッキーのことを覚えていた。彼女も基地に隣接した生活を「本当に怖い。小さな孫たちがいる」と正直に語る。

スタジオでは1996年に日米の間で普天間基地の返還合意が成立していたのに実現されていないことや今もあちこちに残る戦時中に住民が避難したガマ(自然の洞穴)の跡を訪ねていき、2ヶ月半そこで暮らしたという74歳の男性と一緒に中に入る。その男性は当時4歳。暮らした頃の記憶はまったくないという。

アッキーはガマの暗がりから外に出てきた時に「地上はいいな」と感じた感想をスタジオで説明しながら、こう語った。

「でも1945年、沖縄で生き延びた人には何があったのかということは、ガマから出てきた後はそこはあたり一面、焼け野原で自分の家もなくなっている。その後、収容所に入れられて、戦争が終わった後、自分の集落に戻ってみると、もうそこにはフェンスが張られて米軍の基地として土地は接収されていた」

さらにアッキーはさらに続けたのだ。

「その時の沖縄の方の屈辱って、大きかったのだろうなって、本当に思います。沖縄の人にとって、そもそも基地というものは、そういう感情や思いが根底にあるんだよっていうこと。そういう思いを持った人がいらっしゃるんだよということを理解しようとすることはすごく大事なことなんじゃないかと思いました」

この後、解説委員の柳澤秀夫キャスターがフォローした。

「ある意味、70年経ったといわれる沖縄の現実を見ていくと、その『70年』」というのはまだずっと続いているんですよね。よく『戦後は終わった』という言葉を耳にするけど、どうじゃないじゃないかなあと考えさせられる」

キャスターのイノッチ(井ノ原快彦)が続けた。

「同時に74歳の方でも記憶がないという」ことですから、どうにか、この思いとか、想像力を働かせて、『どんなに大変だったんだろう?』ってことを考えるべきですよね」

沖縄戦の記憶さえもうなくなりつつある、という現状も含めて、「戦後70年」の意味を感じさせてくれる、優れた放送だったと思う。

今、テレビの報道番組がなかなか表面的なことを伝えることに終始してしまう「戦後70年」の現実。また本土の人間にとっては「遠い」と感じてしまう「沖縄の人々の思い」。それをまさに「等身大」で伝えてくれた放送だった。

もちろん祖母が沖縄で生活し、幼少期の記憶が少し残るアッキーの存在とてもは大きく、その言葉は心に響いた。

自分の「言葉」で伝える、という才能の片鱗が光っていた。さすがは両親ともに「表現者」ゆえ、言葉の選択などへの感覚の研ぎ澄まされているのかしれない。

沖縄の米軍基地のように、一見、あまり関係がない視聴者にとっても身近に感じられる、「等身大」で伝える見本のような放送だった。

報道番組以上に「報道的」な内容だったが、報道番組の担当者たちはもっと悔しがった方がいい。君たちができないことを情報番組の『あさイチ』がやっているのだ!

『あさイチ』では、明日も「沖縄特集」の後編をやるそうだが、どんなふうに放送するのか楽しみだ。

(2015年5月27日「Yahoo!個人」より転載)