南相馬市の高齢化問題について

復興は遠く、被災地の苦難は続いている。新しい考えが求められている。地域の問題を、地元の人々の愛郷心と努力に過剰に頼って解決しようとするばかりでは、あまりにも当事者となった人々の負担が大きい。
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震災後3年が経過した。平成24年4月に私が福島県南相馬市で暮らし始めてからも、2年の月日が過ぎた。

やはり、復興が進んでいるとは言えない。さまざまな課題が山積しているが、現場で動ける人の数は限られている。そのような状況であるから、今後は重要な課題に対して、優先順位を意識して実効的な介入を行う努力が必要となるだろう。

現在、行政の施策では広い面積で除染を行い、外部被ばくを低減化することが重視されている。しかし、地域に暮らすことを安心・安全で魅力的と感じ、事故を 起こした原子力発電所から近い場所に、これから定住する若者を増やすためには、除染の他にも取り組まれるべき課題が複数存在している。

その中の一つとして、地域の高齢化対策を指摘したい。

被災地の医療現場で働いているが、震災後に急速に進行した高齢化が地域のコミュニティーに与える影響の大きさを実感している。このことへの対策は喫緊の課題である。南相馬市の人口は震災前には72000人弱であったが、平成23年3月29日前後に9000人程度にまで減少した。その後は徐々に回復し、緊急時避難準備区域が解除された2013年の9月30日で、震災前の約3分の2に相当する48000人程度であった。その後も人口数は緩やかに増加を続けている。

その過程において、南相馬市で65歳以上が人口に占める割合で示される高齢化率は急速に増大した。平成23年3月11日で25.9%(18547人 /71561人)であったが、平成26年1月23日には住民基本台帳ベースで29.4%(19072人/64941人)、実人口ベースで33.2% (16485人/49664人)となった。

もちろん、地域に生まれ育った人々の地元への愛着は強い。しかしながら、その強さには年代によって差が生じている。特に高齢者ほど地元での生活を熱望する人が多いが、若い世代では避難した先の土地での生活再建を選択する人も少なくはない。元来南相馬市では、一世帯に三世代6~7人の家族が暮らしていること が平均的だったという。ところが震災後には、高齢者夫婦が2人の世帯や、単身世帯も珍しくなくなった。

このことは、高齢者に認知症の悪化などの健康上の問題が生じた場合に、一気に生活が成り立たなくなるリスクが高い世帯が増加したことを示している。南相馬市によると、要支援・要介護認定者数の合計は平成22年9月で2747人、平成23年3月に2613人であった。それが、震災後の平成23年9月には 3036人、平成24年9月には3327人に増加した。これをもとに市では、平成25年9月に3553人、平成26年9月には3666人になると推計している。

ここからは当然、介護施設の増床や介護ヘルパーの増員が必要となることが予想される。そして、建物の増設については不可能ではない。しかし、問題は人手不足である。地域を支える介護の人員は震災で減少した。残った介護職員たちは震災発災から現在にいたるまで増加した業務への対応を続けている。そして今後については、介護を必要とする高齢者の増加が予想されるにもかかわらず、地域で介護にかかわる人員が増加することは容易に期待できない。現在、南相馬市で施設入所が急に必要になった高齢者が、市内の施設に入所するのはほぼ不可能な状況である。

この様子はメディアでも取り上げられた。平成26年3月4日には、NHKのEテレで『頑張るよりしょうがねぇ‐南相馬・瀬戸際の介護現場で‐』という番組 が放送され、介護施設が新設されても介護職員が集まらない様子が報告された。市は無料のヘルパー講習会を開く対応を行ったが、実際に施設に就職した人は少 数だったのである。

また番組では、認知症の妻の介護を行う85歳の男性が、介護の環境が整わない状況に憤り、抑うつ傾向のある妻を叱咤激励する様子が描かれていた。結局この男性は、自力で妻の介護を行うために、自分たちの家を新築することを決断した。

地元の精神科病院を、認知症の進行にともなう行動異常で新規に受診する患者は、減少することなく着実に一定の数を保っている。病歴をうかがうと、何段階かに分けて生活上の負担が重なり、その中で認知症を悪化させた場合が多い。

高齢者が震災で住みなれた家から仮設住宅などに移住した場合には、その影響が大きい。震災前の被災地の住環境は都会より明らかに恵まれていた。そこからの 移住は、単に場所を移動させて建物が狭くなっただけではない。農作業などを中心とした健康的な生活習慣が失われることであり、毎日のおしゃべりや情報交換 を楽しむ地域の仲間とのつながりが断たれることであった。震災前から同じ建物への居住を続けた場合でも、「周囲の人たちが避難してしまった」ことの影響を 受けることがある。

元来、高齢者では転居のような生活環境の変化への対応能力が限定され、そのこと自体が健康状態の悪化の引き金となりうる。そして、震災後に一般的な疾病を発症したり悪化させたりするケースも少なくない。脳血管障害を発症して、認知症が悪化するのは典型的であろう。

避難生活等の負担は大きく、災害関連死の増加と関連していると考えられる。平成26年2月19日まで、認定された福島県の震災関連死は1656人で、南相 馬市は447人である。Nomuraらは南相馬市の5つの高齢者施設を調査し、避難後の死亡率を避難前5年間の死亡率と比較して、2.68倍という結果を 報告した。

震災後の3年間で、自分の子ども世代や孫世代が避難を開始したり、家族が健康を害したり死亡したりして別離を経験したケースも存在する。そして、それをきっかけに認知症が進行することもある。

ここまで述べてきたように、南相馬市の高齢化問題は深刻である。そしてこれが放置された場合には、状況はさらに深刻化し、介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。

この状況がもたらす葛藤が、さらに当事者となった人々の苦難を増している。地元に残る人々は他地域に避難した人々に対して複雑な思いを持つことがある。避 難生活を継続している人、あるいは一時避難を行った人が、垣間見せる地元への罪悪感や申し訳なさの思いは、とても重く、苦しい。

復興は遠く、被災地の苦難は続いている。

新しい考えが求められている。地域の問題を、地元の人々の愛郷心と努力に過剰に頼って解決しようとするばかりでは、あまりにも当事者となった人々の負担が大きい。

地方の人口流出と人口の高齢化は、日本全体の問題である。そして、南相馬市のような被災地は、震災の影響で猶予なくその課題への対応を求められている。もはや「震災復興」という枠組みにとらわれ続けるべきではない。

日本社会が抱える問題に先進的に対応し、他の地域と客観的に比較しても魅力的な地域を構築していくこと、その困難な課題に取り組むことが求められている。これは言うは易く行うは難い、大変に困難な事業である。

日本中が一体となってそれに協力するべきだ。国家的な課題に対しての先駆的な取り組みのモデルが提示されることは、日本全体の利益にかなうことでもある。

(2014年4月23日MRIC医療ガバナンス学会より転載」)

震災復興 画像集
東日本大震災・手を合わせる女性 (01 of23)
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東日本大震災から2年半を迎え、多数の犠牲者が出た宮城県南三陸町の防災庁舎前で手を合わせる女性=11日午後 \n\n撮影日: 2013/09/11 (credit:時事通信社)
気仙沼に秋の味覚(02 of23)
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東日本大震災から2年半の11日、宮城県気仙沼市の気仙沼漁港で今季初のサンマが水揚げされた。北海道沖で捕れた約80トンを水揚げしたのは第六安洋丸(同県石巻市)。同港に係留中、津波で陸に打ち上げられたが、修理して出漁している。漁労長は「今年は群れが薄くて苦労したが、大きいものが捕れてほっとしている」と話した。 \n\n撮影日: 2013/09/11 (credit:時事通信社)
東日本大震災・第十八共徳丸とコスモス(03 of23)
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朝日に照らされる「第十八共徳丸」とコスモス=11日午前、宮城県気仙沼市 \n\n撮影日: 2013/09/11 (credit:時事通信社)
東日本大震災・2年半ぶりに灯った明かり (04 of23)
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宮城県石巻市の長面(ながつら)、尾崎(おのさき)地区に25日、東日本大震災以来約2年半ぶりに電気が届いた。同地区は居住が認められない「災害危険区域」だが、仕事などで日中滞在する住民らにとっては待望のライフライン。東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域を除いた被災地では最後の復旧となった。水産業に従事する小川英樹さん(32歳、中央)は「電気がきたことによって、できる作業の幅が広がる。これが復興の第一歩」と作業場に灯った明かりを見上げた。 \n\n撮影日: 2013/08/25 (credit:時事通信社)
大熊町のJR大野駅構内 (05 of23)
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立ち入りが規制されている福島第1原発がある福島県大熊町のJR常磐線大野駅構内。 \n\n撮影日: 2013/08/15 (credit:時事通信社)
漁業の復興・生イカの水揚げ (06 of23)
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日本有数の漁獲量を誇る八戸漁港の市場に水揚げされる生鮮スルメイカ。東日本大震災の被害から復興が進むものの、円安による原油価格の高騰が漁業関係者の痛手となっている=1日午後、青森県八戸市 \n\n撮影日: 2013/08/01 (credit:時事通信社)
仙台七夕まつり (07 of23)
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商店街に鮮やかな吹き流しが飾られた「仙台七夕まつり」。今年のテーマは、東日本大震災の復興への思いと、全国の支援者の気持ちをつなげていくとの意味を込めた「つなぐ」=6日夜、宮城県仙台市内 \n\n撮影日: 2013/08/06 (credit:時事通信社)
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(credit:時事通信社)
スイカ割りで祝う3年ぶり海開き (09 of23)
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東日本大震災以来3年ぶりの海開きで行われたスイカ割り大会=7月28日、茨城県北茨城市の磯原二ツ島海水浴場 \n\n撮影日: 2013/07/28 (credit:時事通信社)
被災地つなぐ1000キロリレー (10 of23)
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東日本大震災の被災地をランニングと自転車で駆け抜ける「未来(あした)への道1000キロ縦断リレー」が行われている。25日に青森県八戸市を出発し、約700人のランナーが東京(8月7日)までたすきをつなぐ。30日はバルセロナ五輪金メダリストの岩崎恭子さんらが津波の爪痕が残る宮城県南三陸町の防災庁舎前を通過した(写真)。コースは東京五輪が実現した場合の聖火リレーのルートを想定している。 \n\n撮影日: 2013/07/30 (credit:時事通信社)
日本酒を購入する安倍首相 (11 of23)
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「南三陸さんさん商店街」で日本酒を購入する安倍晋三首相=29日午後、宮城県南三陸町[代表撮影] \n\n撮影日: 2013/07/29 (credit:時事通信社)
3年ぶりに復活したトコヤッサイ (12 of23)
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東日本大震災で開催が途切れ、3年ぶりに復活した創作踊り「トコヤッサイ」のコンテスト=27日午後、宮城県南三陸町 \n\n撮影日: 2013/07/27 (credit:時事通信社)
成長する松の苗木 (13 of23)
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高田松原の松ぼっくりから採れた種から育った松の苗木=3日、岩手県陸前高田市 \n\n撮影日: 2013/07/03 (credit:時事通信社)
福島の海水浴場 (14 of23)
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東日本大震災のがれき撤去が終わり、3年ぶりに海開きした四倉海水浴場。東京電力福島第1原発事故による放射能汚染水漏れの風評被害で訪れる海水浴客もまばら=15日午前、福島県いわき市 \n\n撮影日: 2013/07/15 (credit:時事通信社)
福島県いわき市で3年ぶりの海開き (15 of23)
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東日本大震災のがれき撤去が終わり、3年ぶりに海開きした四倉海水浴場。打ち寄せる波に子どもたちが歓声を上げていた=15日午前、福島県いわき市 \n\n撮影日: 2013/07/15 (credit:時事通信社)
プロ野球球宴・黙とうする全セマスコットキャラクター (16 of23)
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試合前、東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげる全セのマスコットキャラクター=22日、福島・いわきグリーンスタジアム \n\n撮影日: 2013/07/22 (credit:時事通信社)
漁業の復興・サメの水揚げ (17 of23)
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東日本大震災の津波で被災した気仙沼港に水揚げされたモウカザメ。高級食材のフカヒレが切り取られ、身は加工食品などの原料となる=5月23日午前、宮城県気仙沼市の気仙沼漁港 \n\n撮影日: 2013/05/23 (credit:時事通信社)
「千年希望の丘」が完成 (18 of23)
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東日本大震災の津波で生じたがれきを使い造成された「千年希望の丘」。津波の勢いを弱めるための防災拠点、震災の教訓を後世に伝える公園の役割も持たせる=9日午前、宮城県岩沼市 \n\n撮影日: 2013/06/09 (credit:時事通信社)
飛行するブルーインパルス (19 of23)
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「東北六魂祭」で、上空に白いスモークでハートマークを描く航空自衛隊の「ブルーインパルス」=1日午後、福島市 \n\n撮影日: 2013/06/01 (credit:時事通信社)
飛行するブルーインパルス (20 of23)
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東北六魂祭パレードが行われる国道4号の上空を飛行するブルーインパルス=1日午後、福島市 \n\n撮影日: 2013/06/01 (credit:時事通信社)
パレードの青森ねぶた (21 of23)
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福島市で2日間にわたり行われた「東北六魂祭」が2日、閉幕した。福島わらじまつりや青森ねぶた祭など東北6県の夏祭りが勢ぞろいし、東日本大震災の鎮魂と復興を祈った。来場者数は計25万人に上った。写真は2日目のパレードに登場した青森ねぶた=2日午後、福島市 \n\n撮影日: 2013/06/02 (credit:時事通信社)
六魂祭の山形花笠まつり (22 of23)
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東北六魂祭2日目のパレードで、練り歩く山形花笠まつりの踊り子=2日午後、福島市 \n\n撮影日: 2013/06/02 (credit:時事通信社)
被災地の仮設商店街 (23 of23)
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東日本大震災の被災地で営業する仮設商店街=5月23日、宮城県気仙沼市 \n\n撮影日: 2013/05/23 (credit:時事通信社)
福島第一原発事故
JAPAN EARTHQUAKE TSUNAMI FUKUSHIMA NUCLEAR POWER PLANT (01 of19)
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Workers wearing a protective suit and a full-face mask walks out and relaxing workers walk into a relax room at the emergency operation center at Tokyo Electric Power Company (TEPCO)\'s tsunami-crippled Fukushima Daiichi nuclear power station in Okuma, Fukushima prefecture, north east of Tokyo, Japan, 28 February 2012. Members of the media were allowed into the plant on February 28 ahead of the 1-year anniversary of the March 11, 2011 tsunami and earthquake. The accidents is second nuclear disast \n\n撮影日:2012年02月28日 (credit:EPA=時事)
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足元を気にしながら歩く作業員 \n\n雪が積もった東京電力福島第1原発の構内で、足元を気にしながら歩く作業員=16日午後0時39分、福島県大熊町[代表撮影] \n\n撮影日:2013年01月16日 (credit:時事通信社)
福島原発・防護服に着替える作業員(03 of19)
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防護服に着替え、原発での作業に向かう男性(福島県大熊町)[代表撮影] \n\n撮影日:2012年02月20日 (credit:時事通信社)
JAPAN EARTHQUAKE TSUNAMI FUKUSHIMA NUCLEAR POWER PLANT (04 of19)
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A worker prepares gloves at the emergency operation center of Tokyo Electric Power Company (TEPCO)\'s tsunami-crippled Fukushima Daiichi nuclear power station in Okuma, Fukushima prefecture, north east of Tokyo, Japan, 28 February 2012. Members of the media were allowed into the plant on February 28 ahead of the 1-year anniversary of the March 11, 2011 tsunami and earthquake. The accidents is second nuclear disaster, which triggered by the March 11 tsunami hitting northern Japan, since the world\' \n\n撮影日:2012年02月28日
福島原発・防護服を脱ぐ作業員 (05 of19)
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東京電力福島第1原子力発電所での仕事を終え、拠点のJヴィレッジに戻った作業員。防護服や靴のカバーなどを分別し、廃棄していた(福島・楢葉町)[代表撮影] \n\n撮影日:2011年11月11日 (credit:時事通信社)
APAN EARTHQUAKE TSUNAMI FUKUSHIMA NUCLEAR POWER PLANT (06 of19)
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Workers wear off protective suits to receive radiation screening as they returned to J.village after leaving Tokyo Electric Power Company (TEPCO)\'s tsunami-crippled Fukushima Daiichi nuclear power station in Okuma, Fukushima prefecture, north east of Tokyo, Japan, 28 February 2012. Members of the media were allowed into the plant on February 28 ahead of the 1-year anniversary of the March 11, 2011 tsunami and earthquake. The accidents is second nuclear disaster, which triggered by the March 11 t \n\n撮影日:2012年02月28日
福島原発・廃棄物の山 (07 of19)
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東京電力福島原子力発電所で働いた作業員の使用済みの防護服や全面マスクに付けるフィルターなどの廃棄物が、Jヴィレッジの中にあるサッカー練習場に集められていた(福島・楢葉町)[代表撮影] \n\n撮影日:2011年11月11日 (credit:時事通信社)
福島原発・ゲートモニターを通る作業員 (08 of19)
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防護服を脱いだ後、ゲートモニターを通って放射線量をチェックする作業員(福島・楢葉町)[代表撮影] \n\n撮影日:2011年11月11日 (credit:時事通信社)
JAPAN EARTHQUAKE TSUNAMI FUKUSHIMA NUCLEAR POWER PLANT (09 of19)
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Workers receive screening as they returned to J.village after leaving Tokyo Electric Power Company (TEPCO)\'s tsunami-crippled Fukushima Daiichi nuclear power station in Okuma, Fukushima prefecture, north east of Tokyo, Japan, 28 February 2012. Members of the media were allowed into the plant on February 28 ahead of the 1-year anniversary of the March 11, 2011 tsunami and earthquake. The accidents is second nuclear disaster, which triggered by the March 11 tsunami hitting northern Japan, since th \n\n撮影日:2012年02月28日 (credit:EPA=時事)
福島原発・出入りする作業員 (10 of19)
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東京電力福島第1原発の重要免震棟にはひっきりなしに現場作業員らが出入りする(福島県大熊町)[代表撮影] \n\n撮影日:2012年03月08日 (credit:時事通信社)
福島原発・はみ出した鉄筋を切断する作業員 (11 of19)
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東京電力福島第1原子力発電所4号機原子炉建屋の壁からはみ出した鉄筋をクレーンのゴンドラから切断する作業員=12日、福島県[代表撮影] \n\n撮影日:2012年10月12日 (credit:時事)
福島原発・福島第1原発の山側から見た4号機と作業員 (12 of19)
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報道公開された福島第1原発の山側から見た4号機(右)と作業員。中央が3号機=1日午前11時17分、福島県大熊町[代表撮影] \n\n撮影日:2013年03月01日 (credit:時事通信社)
福島原発・配管工事の作業員 (13 of19)
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1号機タービン建屋に隣接する復水貯蔵タンクの配管工事を進める作業員。後方にはがれきと化した車が残る=11日午前、福島県大熊町の東京電力福島第1原子力発電所[代表撮影] \n\n撮影日:2013年06月11日 (credit:時事通信社)
福島原発・安倍首相が福島第1原発を視察 (14 of19)
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安倍晋三首相が福島第1原発を視察 免震重要棟で構内の汚染水タンクのパトロールに出発する作業員を激励し、見送る安倍晋三首相(左)=19日午後、福島県大熊町[代表撮影] \n\n撮影日:2013年09月19日
JAPAN-DISASTER-ACCIDENT-NUCLEAR (15 of19)
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epa03741036 Cover installation for spent fuel removal from the pool is ongoing at the unit 4 reactor building at the Fukushima Dai-ichi nuclear plant at Okuma town in Fukushima prefecture on June 12, 2013. EPA/TOSHIFUMI KITAMURA (credit:EPA=時事)
福島原発・1号機と2号機の原子炉建屋 (16 of19)
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福島第1原発の2号機(右)と1号機(左)の各原子炉建屋=2013年6月11日午後0時7分、福島県大熊町[代表撮影] (credit:時事通信社)
福島原発・4号機、3号機、2号機の原子炉建屋 (17 of19)
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報道陣に公開された廃スラッジ建屋屋上から見た(奥右から)4号機、3号機、2号機の各原子炉建屋=2013年6月11日午前11時39分、福島県大熊町の福島第1原発[代表撮影] (credit:時事通信社)
自衛隊による除染作業 (18 of19)
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除染作業する自衛隊(福島県飯舘村)\n2011年12月10日撮影\n (credit:時事通信社)
民家の除染作業(19 of19)
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空間放射線量が比較的高い福島市渡利地区での除染作業。民家の屋根を高圧洗浄機で除染する作業員(福島市、2012年2月14日撮影) (credit:時事通信社)