北澤豪は、ミサンガとともに平成を駆け抜けた「ドーハの悲劇では、願いは叶わなかった」

1993年のワールドカップ予選で、つけていたものが切れた。そこで、最終イラク戦の前に、ゴールポストに埋めた…
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平成のスポーツ史を振り返る上で、忘れてはならないのが1993年(平成5年)のJリーグ発足。そして、空前のサッカーブームに押されて、爆発的な人気を誇ったのがミサンガだ。

切れたら願い叶うという“魔法のアイテム”は、サッカーやスポーツの枠を超えて、若者のファッションアイコンにもなるほど、一時代を築いた。

そのミサンガブームのきっかけとなったのが、リーグ発足当初から身につけていた元日本代表の北澤豪さんだ。

ミサンガから平成の時代を振り返ってほしい。

そんな無茶ぶりに、北澤さんは「こんなにミサンガのことを聞かれるのは久しぶり」と笑って応じてくれた。

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北澤豪さん
Ayako Masunaga

––Jリーグを象徴するアイテムとして当時大流行したミサンガは、北澤さんやラモスさんが始めにつけていたことで広がったと言われています。ミサンガとの出会いはいつごろですか

ミサンガの存在は、中学生ぐらいから知っていました。もともと、国際試合で南米のチームが日本に来た時に、選手が手にしているのを見て「あれは何だろう?」みたいな。

サッカーウェアの着方とかに関してアンテナが高かったので、たとえばストッキングをおろす、シャツを出す、髪の毛もそう。最初は、海外の憧れの選手の真似をしたいという、ちょっとミーハーな思いがありましたよ。

それから、1990年ごろにブラジル留学して、本格的にはそこで会いましたね。

ラモスさんやブラジル人していたのは、編んだものとは違って、教会が出してるものです。ちょっと宗教・お守り的なものもあったりします。 

それが少し変形して、編んだり、思いを込めたりするという風に変わっていって、日本的なミサンガになっていくんですよ。

最初はファッションとして見ていたんだけど、自分の思いや信念を込めるお守りや、初詣で願いを叶えてもらうのと同じようなものなんだと、90年のときに知りました。それからは、より真剣につけるようになりました。 

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北澤豪さん
Ayako Masunaga

初めてのミサンガ

––一番初めにされたときは、いつか覚えていますか

いつだろう…20歳前、10代のころですね。ホンダ技研の時です。

–– 自分で編んだもの?

自分でつくったものではないです。一番はじめに日本で売り出したのが、静岡に「サッカーショップ・ゴール」という、カズさんのお父さんの弟のお店だと思います。

カズさんは昔からブラジルに行っていたし、(その店は)ブラジルからそういったアイテムを輸入していたので、そこでしか売っていなかったんです。

––ファッション要素を取り入れた日本版ミサンガとして売り出した?

そうです。日本で国際試合をやるときに、テントを出してグッズ販売するブースがありますよね。当時は「サッカーショップ・ゴール」しか出店していなかったんですよ。

だから試合会場に行くと、「サッカーショップ・ゴール」のブースで売っていました。そのころは、カズさんの親族とは知りませんでしたけどね。 

ただ、試合のときしかブースが来ないので、普段は静岡に行かないと買えない。今のように国際試合がそんなに多いわけじゃないから、年に何回かしかチャンスがありませんでした。そこで買ったのが最初かな。 

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ミサンガのイメージ写真
bee32 via Getty Images

ゴールを守ってくれるように...ドーハで叶わなかった願い

––初めてのミサンガにはどんな願いを込めましたか

サッカー選手になりたい、ということですよ、やっぱり。

ホンダ技研はプロ契約ではなく、社会人としてのサッカー部で、サッカー選手ではない。仕事の給料で、サッカーでお金をもらっているわけじゃなかった。 

当時はJリーグもなくて、プロになるには海外に行かなければ無理だと思っていたので、海外に行きたいという願い。あとは、怪我をしないように

願いは3つ叶えられる。だから、3回縛るんですよ。

手首用と、足を怪我するから足首に巻くことが多くなりました。あとは、首にするものもありました。

––それもミサンガですか?

ミサンガという呼び方ではないですが、聖母マリア様が2つついていて、ブラジルの教会でもらったものをずっとつけていました。糸だけど、Jリーグ開幕後もずっと切れなくて。それも「切れたら...」というものでしたが、あまりにも切れないから、切れないほうがいいんじゃないかな?と。

それをつけている間に、Jリーグが始まったり、自分がプロになれたりしたから、信じますよね。 

当時していたものは、「ドーハの悲劇」があったワールドカップ予選のときに切れたんです。それで、最終イラク戦の前にゴールポストのところに埋めた。でも、願いは叶わなかった。 

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終了直前、イラクのオムラム(右端)が同点ゴール。引き分けとなり、日本のW杯出場の夢が絶たれる。左端はGK松永(カタール)
時事通信社

このゴールを守ってくれるようにと埋めたんだけれど…。叶わなかった時には、何なんだろうな?って。だけど、それも何か我々に対する試練的なことなのかなと捉えました。

 ––次への1歩ということですか。すごいストーリーですね…

何とも言えなかったですね。切れたらいいはずなんだけれど、あのタイミングで切れたから、(叶うのか、叶わないのか)「やばい、どっちかな?」とは思いました(笑)

よくミサンガをつけていたから、プレゼントはたくさんもらいましたね。選手とサポーターという関係は、今までなくて、平成の中で生まれてきたものじゃないでしょうか。

「応援する人」から、応援だけじゃなくて一緒に戦う「サポーター」に変わっていった。みんなはプレーできないから、それをミサンガという形で託されました。 

今はまったくつけていないんですけどね。 

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ワールドカップ出場がかかったイラク戦。ベンチで見守る北澤さん(中央)
Kaz Photography via Getty Images

ミサンガが広まった理由

––Jリーグは当時、社会現象となるほどの人気でしたよね。

ファンレターの中にはだいたいミサンガが入っていて、それはもうすごい量でしたよ。みんな自分で編んでくれたりして、思いがこもっていたと思います。

子供の頃から旅行で買ったキーホルダーを棒にくっつけて飾っているのが好きだったので、もらったミサンガも、全てをつけることができないので、そうやって家にずっと飾っていました。

––もらったミサンガを身につけたことは?

ありますよ。例えば体の不自由な方で、自分はスポーツができないけれど、自分も一緒になって頑張っていきたいという思いをぶつけられたときには、その分頑張らなきゃと思って、ミサンガをつけました。 

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北澤豪さん
Ayako Masunaga

––ミサンガは他のJリーガーやサポーターと、社会全体にすごく広がりました。ファッション性もあるし、Jリーグブームの後押しもあったと思いますが、なぜあそこまで広がったのでしょう

なぜでしょうね…ファッション性もあるけど、やっぱり1試合1試合を戦って、結果が出ないこともある中で、自分の行動や何かに思いを持つ。その証みたいなものを身につけるいうことを、みんなしたかったのではないでしょうか。 

ヴェルディはほぼしてました。本場のラモスさんもそうだし、でもジーコさんはしていなかったですね。

当時は、ワールドカップ出場、Jリーグの成功、チームの優勝とか、目標やターゲットが多かったから、必然的にミサンガをする数も増えたのかなと思いますね。

もらったものをつけるという、人との繋がりの部分も強かったと思いますね。あとは、みんな影響を受けて、真似したがるものですよね。

当時、ゴム製のヘアバンドも最初にやり始めたんです。いま商品化されているので、権利をとっておけばよかったかな(笑)

––色々なものを積極的に取り入れていたんですね

ずっと子供の頃から、髪の毛をなびかせているところや、結んでいる人が好きだったんです。

それ以前の日本のスポーツ界は、鍛えられたもの、という感じでしかなかった。楽しさやワクワク感は、色々な要素がないと生まれないじゃないですか。やっぱりサッカーは国際的でもあったし、今までの概念を覆すという意味でも、新しいものをやっていく必要がある。

だって、急にプロと言われても「どうすればいいの?」みたいな。そういう中で変化をつけていかなきゃとすごく感じていましたね。

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北澤豪さん
Ayako Masunaga

ミサンガを外した日

 ––ミサンガは、いつごろまでつけていたんですか

 2002年くらいまでしていたんじゃないかな。

切れたミサンガは、教会に持って行ってました。

もともと、ブラジルに行って教会からいただいたりしていたので、最初は切れたらどうしたらいいのか、当時はグラウンドに埋めたりもしていたんですけれど、それが嫌で、ちゃんと自分が思い込めたものを神父さんに渡して、神様に届けるみたいなことをしてもらいました。

海外の人達はサッカー好きの神父さんが多く、自分が頼んでいた神父さんはアルゼンチン出身で、切れたら新しいものをくれたりして、それで関係ができた。世界が広がっている感じがして、面白いですよね。

 ––2002年は、現役を引退するタイミングですか

そうですね。 

それと、だんだん試合中に指輪やネックレスをつけるのが駄目になりました。それで、ミサンガも駄目になっていくんですよ。時代とともに見なくなったのは、そういう理由もあるんですよね。 

––現役引退後は、ミサンガをすることはないのですか

お土産屋で売っていたりすると、必ず店員が寄ってきて、「ミサンガしてくださいよ」と言われて、いまだにやたらもらいますね。いまだにそう思うんですよね、みんな。

今はしていないけど、ジーコの兄のエドゥにもらったミサンガは玄関にも飾ってあります。身にはつけていないけれど、もらったものはとってあるし、見えているところに置いてあります。していないだけで、思いはそんなに変わるものではないですね。

 ––一番印象に残っているのは、どんなミサンガですか

どうだろう…最初につけたものと、やっぱりドーハの時に切れたものかな。叶うこともあれば、叶わないこともある。 

ミサンガには、自分が誓ったことを忘れない、その時の自分を思い出すといった役割もあると思います。

人間は忘れちゃうものだから、そうやって思いを忘れずにいることが、何かを継続して、達成することにつながる。自分がミサンガから得た1つの哲学でもありますね。

あとは、一緒のものを身につけることで、プレイする側、応援する側というスタジアム内の役割を超えて、共有感みたいなものはミサンガで生まれたんじゃないでしょうか。

それまでは自分のためにサッカーをしていたけれど、ミサンガを通じてサポーターの人と繋がることで、その人のためにも頑張ろうって。サポーターの人達も、自分がプレイしているかのように応援してくれる。今のスポーツ界に、そんな繋がりを生み出したアイテムだったんじゃないでしょうか。それが、「スタジアムに行くと楽しい」につながったと思います。 

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北澤豪さん
Ayako Masunaga