【戦後70年】午前2時、昭和天皇の「聖断」 1945年8月10日はこんな日だった

「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」。この瞬間、1条件でのポツダム宣言受諾が決まった。いわゆる「聖断」が下された。
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8月9日から続く)

8月9日午後11時50分、皇居内にある御文庫附属庫。約50平方メートルほどの地下の防空壕で、昭和天皇が参席する御前会議が始まった。議題は一つ、ポツダム宣言を条件1つで受け入れるか、それとも4つの条件をつけるか。

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宮内庁が2015年8月1日に公開した、現在の「御文庫附属庫」の写真

前日の最高戦争指導会議で、東郷茂徳外相が主張したのは「天皇の国法上の地位を変更しない」1条件。これに対し阿南惟幾・陸軍大臣らは「占領は小範囲で短期間」「武装解除は日本の手で」「戦犯処置は日本の手で」を追加した4条件を主張した。

通常であれば用意される御本(御前会議の筋書きを書いた台本)もない、異例の御前会議は、両派が意見を述べ合うばかりで、意見の一致は見られなかった。

日付が変わり、8月10日午前2時を回ったところで、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の意見を求めた。

「まことに異例で畏多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」

促された昭和天皇は言明した。

「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である」

この瞬間、1条件でのポツダム宣言受諾が決まった。いわゆる「聖断」が下された。

同席していた迫水久常・内閣書記官長によれば、昭和天皇は続けて以下のように語ったという。

大東亜戦争が初まってから陸海軍のして来たことを見ると、どうも予定と結果が大変に違う場合が多い。今陸軍、海軍では先程も大臣、総長が申したように本土決戦の準備をして居り、勝つ自信があると申して居るが、自分はその点について心配している。先日参謀総長から九十九里浜の防備について話を聞いたが、実はその後侍従武官が実地に見て来ての話では、総長の話とは非常に違っていて、防備は殆んど出来ていないようである。又先日編成を終った或る師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は兵士に銃剣さえ行き渡って居らない有様である事が判った。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。それにこのまゝ戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である。

史料紹介―最後の御前会議における昭和天皇御発言全記録 | チャンネルNipponより)

午前7時、中立国のスイスとスウェーデンの日本公使あてに、ポツダム宣言を受諾するとの電報が送られた。両公使によって降伏の意思はアメリカ、中国、イギリス、ソ連に伝達された。

午前11時、東郷茂徳外相はソ連のヤコフ・マリク駐日大使と会談した。東郷はマリクからは公式な宣戦布告状を受け取り、ポツダム宣言受諾の意思を伝えた。(*1

午後7時(日本時間)、日本政府の対外情報発信の役割を担っていた「同盟通信社」は、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。しかしこのニュースは、日本国民には伏せられた。

■ホワイトハウスを駆け巡った噂

日本が降伏の条件を議論していた頃、アメリカや連合国では、「日本の降伏がまもなく発表される」との噂が駆け巡った。ワシントンやニューヨーク、サンフランシスコでは、一般市民から、確認の電話が新聞社や警察に殺到したという。

トルーマン大統領が軍需生産や価格統制の関係幹部と会談したことが「平時体制への速やかな移行をはかっているのではないか」とみられ、会談後に大統領が車でホワイトハウスを離れたことが、ドイツ降伏のときと同じ行動だったことも、噂を増幅させた。

AP通信は「漫画のようだった。メディア各社は『目に見える進展』を確認しようと無様な姿をさらした。まったく目に見えるものでも、進展でもなかったからだ」と伝えている。(*2

■野菜不足にはお茶を食べるべし

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朝日新聞(東京本社版)1945年8月10日付2面

この日の朝日新聞の紙面は、食糧不足についての記事で埋め尽くされていた。少ない食糧を巡って社会の雰囲気も殺伐としていたことがうかがえる。

警視庁が立件した、配給を受ける側の元締となる町会長や隣組長、工場幹部らが、地位を悪用して架空の配給を受け取っていたケースを報じている。

その横には、「お茶も食べ物 飲むより効果的」と題した、以下のような囲み記事があった。

今まで飲みものの部類に入っていたお茶が食べものとして登場する。これは理化学研究所の武見博士の研究によるもので、お茶は飲むよりも食べた方が栄養価が高く、これで最近のような野菜不足による栄養障害を克服しようというのだ。

同博士の研究によれば、冬季中に採集した茶の葉はビタミンCの含有率が最も高く貯蔵にも耐えるから、これを直火熱風処理という特殊な方法で処理し、乾燥粉末にしたものを1日やく7瓦(茶匙3ばい)とれば、それで人間のビタミンC必要量が供給できる。その上お茶のビタミンは他の野菜のビタミンと違って熱に強く、純粋ビタミンが98度の熱湯では99.8%まで破壊されてわずかに0.2%しか残らないというのに対し、お茶は98%まで完全に残る。だから之さえ摂っていれば野菜類が何一つなくても栄養障害を起こす心配のないうえ、人体の胆汁分泌を促し消化を助け、呼吸を旺盛にし、血圧を下げて強心作用に役立つという有難い特性さえもっている。(*3

8月11日に続く)

*1 半藤一利『ソ連が満州に侵攻した夏』文芸春秋、1999

*2 The New York Times 1945年8月10日付

*3 朝日新聞(東京本社版)1945年8月10日付

文中の引用は現代表記に改めました。