単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?

特に中村修二さんは企業(日亜化学)での仕事で受賞したわけですから、私は中村さんよりも下の世代ですが、企業で技術者だった私は大変勇気づけられました。

青色レーザーダイオードを実現した赤崎先生、天野先生、中村修二さんがノーベル賞を受賞されました。本当におめでとうございます。

特に中村修二さんは企業(日亜化学)での仕事で受賞したわけですから、私は中村さんよりも下の世代ですが、企業で技術者だった私は大変勇気づけられました。

大変失礼な言い方をすると、赤崎先生は偉すぎて雲の上の存在ですが、中村修二さんならひょっとしたら自分もなれるかもと、企業などで実用研究をしている技術者にも思われるところがあるのが、今回のノーベル賞は良いですね。

また実は私は学部、修士の時に青色レーザーに関連する研究をしていたので、昔(学生時代)を思い出して感慨もひとしおです。

当時は青色レーザーを目指して、今回受賞したGaNとZnSeが激しく競争。いずれの陣営も日本の企業・大学が中心で、「日本を制したものが世界を制する」という、日本の黄金期でした。

私は「負け組」であるZnSe陣営で、青色レーザーの実現を目指す企業の方と組んで、基礎的な物性の研究をしていました。

負け組の下っ端ながらも、熱い戦いの渦中に居られたことは、自分にとってかけがえのない経験でした。

私は修士を卒業後、東芝に就職。こちらもノーベル賞の候補者と言われる、フラッシュメモリの発明者、舛岡先生のご指導の下、フラッシュメモリの開発に取り組みました。

幸いにもフラッシュメモリの開発は成功し、こちらは「勝ち組」の一員になりました。

学部、修士、企業と長い間、ノーベル賞を取るようなコミュニティの中で仕事ができたのは、凡才の自分にとってもかけがえのない良い経験でした。

やはり、飛び切り優秀な人は、周囲にも波及効果が大きいですからね。

あの当時の熱気を思い出すと、もう一度、元気のある日本を取り戻したい、それが自分の責任だと改めて思いました。

ノーベル賞にうれしく思う一方、ノーベル賞のプレスリリースに中村修二さんが「American」と書かれていたのは、最初は誤植ではないかと思いました。

うそだろう・・・と思いたい。

中村修二さんはかねてから日本の中での技術者の扱われ方に批判的でした。

ただ、その批判も、「日本を何とか変えたい」という熱い思いからなんだろうな、と「中村語録」を愛読していました。

それが国籍まで変えられているとは・・・

個人の事情は他人にはわかりませんが、いろいろな思いをされたのだろうなとご本人の心中を思うにつけ、ショックであり、とてもやるせない思いを感じました。

中村修二さんが青色レーザーを立ち上げた日亜化学を辞めてUCサンタバーバラに移られたちょうど後に、私は同じ西海岸のスタンフォードに留学しました。

私も日本企業のエンジニアでしたので、最初に技術を立ち上げた人が、なかなか日本の組織では報われないことを感じていました。

中村修二さんは青色レーザーを開発した当時に在籍した日亜化学を特許の報酬が十分でないと訴えました。

私のかつての上司の舛岡先生も同様に古巣の東芝を訴えました。

私もいわば、エンジニアが古巣の企業を訴える渦中にいたわけですが、エンジニアはお金が欲しくて訴えるわけではないと思うのです。

「報われない」「リスペクトされない」という悔しさが、訴訟に駆り立てるのではないでしょうか。

そんな中、私も留学中は色々な思いがありましたが、結局は日本に戻って頑張ることを選択したわけです。

人にはそれぞれの道があって、日本に戻るという、自分の選択を後悔しているわけではありません。

それでも中村修二さんが国籍を変える決断をされた、というのは、大変衝撃を受けました。

古くは、江崎玲於奈さんもソニーでの仕事でノーベル賞を取りましたが、受賞時の所属は米国のIBMでした。

日本でノーベル賞を取るような仕事をした人が、その後、米国に渡るのは以前から良くあることだったのです。

これから日本が元気を取り戻すには、エンジニアに限りませんが、新しいことにチャレンジした人をリスペクトすることは絶対に必要でしょう。

私が新人の時に上司の舛岡先生が仰った言葉を思い出しました。

「ゼロから1を作った奴は、1を100、1000にした奴よりも偉いんだ」

日本はゼロから1を生み出した人をリスペクトするようになっているのでしょうか。

日本の組織も少しずつは変わっていますが、周囲からバカにされながらも新しいことを始めた人を、成功した後になってからは、

「周囲のサポートがあったからだ」

「あいつ一人の手柄ではない」

などと言ったり、ひどい場合には

「実は俺がやったんだ」

と成果を横取りすることが少なくないのではないでしょうか。

海外への人材の流出はノーベル賞レベルだけでなく身近な所でも起こっています。

技術者だけに限る話ではないと思いますが、まずはパイオニアをリスペクトするようにならないと、日本の復活はないのではないかと思わされたノーベル賞でした。

(2014年10月7日「Takeuchi Laboratory」より転載)

日本人のノーベル賞受賞者
湯川秀樹さん(1949年・物理学賞)(01 of17)
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中間子の存在の予想で受賞。\n\n自宅の庭でくつろぐ湯川秀樹京大名誉教授とスミ夫人(京都市左京区の自宅、撮影日:1977年01月22日) (credit:時事通信社)
朝永振一郎さん(1965年・物理学賞)(02 of17)
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量子電気力学分野での基礎的研究でノーベル物理学賞授賞。受賞式後、記者会見で金メダルを見せる(右から)朝永振一郎博士、領子夫人、藤岡由夫埼玉大学長(東京・港区のスウェーデン大使館、撮影日:1965年12月10日) (credit:時事通信社)
川端康成さん(1968年・文学賞)(03 of17)
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『伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた繊細な表現による叙述の卓越さが認められ、受賞。\n\nノーベル賞受賞の喜びに顔をほころばす川端康成氏(神奈川・鎌倉市の自宅、撮影日:1968年10月17日) (credit:時事通信社)
江崎玲於奈さん(1973年・物理学賞)(04 of17)
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半導体におけるトンネル効果の実験的発見\n\n1973年ノーベル物理学賞受賞 (駐日スウェーデン大使館で行われたノーベル賞受賞祝賀会に出席。東京・六本木のスウェーデン大使館、撮影日:2008年11月26日) (credit:時事通信社)
佐藤栄作元首相(1974年・平和賞)(05 of17)
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非核三原則の提唱で受賞。\n\n三木武夫首相(右)にノーベル平和賞のメダルと賞状を披露する佐藤栄作元首相(東京・首相官邸、撮影日:1974年12月27日) (credit:時事通信社)
福井謙一さん(1981年・化学賞)(06 of17)
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化学反応過程の理論的研究\n\nノーベル化学賞受賞の喜びを語る福井謙一京大教授(左)と友栄夫人(京都市左京区の自宅で、撮影日:1981年10月19日) (credit:時事通信社)
利根川進さん(1987年・医学・生理学賞)(07 of17)
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多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明\n\nノーベル医学・生理学賞の受賞が決まり、マサチューセッツ工科大学での祝賀会で真由美夫人(右)と乾杯する利根川進教授(アメリカ、撮影日:1987年10月12日) (credit:時事通信社)
大江健三郎さん(1994年・文学賞)(08 of17)
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『個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩的な言語を用いて現実と神話の混交する世界を創造し、窮地にある現代人の姿を、見る者を当惑させるような絵図に描いた功績。\n\n1994年度ノーベル文学賞受賞 (駐日スウェーデン大使館で行われたノーベル賞受賞祝賀会に出席。東京・六本木のスウェーデン大使館、撮影日:2008年11月26日) (credit:時事通信社)
白川英樹さん(2000年・化学賞)(09 of17)
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導電性高分子の発見と発展\n\n講演する白川英樹博士・筑波大名誉教授(東京都世田谷区の東京都市大学、撮影日:2013年12月18日) (credit:時事通信社)
野依良治さん(2001年・化学賞)(10 of17)
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キラル触媒による不斉反応の研究で、2001年に化学賞を受賞。\n\n分子模型を前に、研究について記念講演を行うノーベル化学賞受賞の野依良治名古屋大学大学院教授(名古屋市西区のウェスティンナゴヤキャッスル、撮影日:2001年12月26日) (credit:時事通信社)
田中耕一さん(2002年・化学賞)(11 of17)
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生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発\n\n島津製作所フェロー 2002年ノーベル化学賞受賞者 (京都市中京区の島津製作所本社、撮影日:2010年10月06日) (credit:時事通信社)
小柴昌俊さん(2002年・物理学賞)(12 of17)
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天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献で受賞。\n\n講演会で参加者の質問に答えるノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊東京大学名誉教授(東京・文京区の東大、撮影日:2007年02月17日) (credit:時事通信社)
益川敏英さん(2008年・物理学賞)(13 of17)
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小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献\n\nヒッグス粒子とみられる新粒子発見の発表を受け、感想を語るノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さん(名古屋市千種区の名古屋大、撮影日:2012年07月04日) (credit:時事通信社)
小林誠さん(2008年・物理学賞)(14 of17)
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小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献\n\nヒッグス粒子提唱者のノーベル物理学賞決定を受け、記者会見する高エネルギー加速器研究機構の小林誠特別栄誉教授(茨城県つくば市の同機構、撮影日:2013年10月08日) (credit:時事通信社)
下村脩さん(2008年・化学賞)(15 of17)
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緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献。\n\nノーベル賞授賞式への出発前に、妻明美さん(左)と言葉を交わす化学賞の下村脩・元米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員(スウェーデン・ストックホルム市内のホテル、撮影日:2008年12月10日) (credit:時事通信社)
鈴木章さんと根岸英一さん(2010年・化学賞)(16 of17)
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クロスカップリングの開発。\n\n北海道大学触媒化学研究センターの特別招聘(しょうへい)教授の称号記を授与され、握手するノーベル化学賞を受賞した同大学名誉教授の鈴木章さん(左)と米パデュー大学特別教授の根岸英一さん(北海道札幌市、撮影日:2010年12月23日) (credit:時事通信社)
山中伸弥さん(2012年・医学・生理学賞)(17 of17)
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iPS細胞の作製\n\n京都大学教授、医学者 2012年度ノーベル医学・生理学賞受賞 2012年度文化勲章受章 (春の園遊会で。東京・元赤坂の赤坂御苑、撮影日:2013年04月18日) (credit:時事通信社)