残業代ゼロ法案は、やはり「サービス残業奨励法案」だった。(榊裕葵 社会保険労務士)

いくら残業を減らせとか、労働時間を短縮しろとか、掛け声だけ発しても、仕事が減らなければ労働者の立場ではどうしようもない。現場レベルでの改善や効率化には限界があるのだ。
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残業代ゼロ法案の議論が白熱している。5/28の産業競争力会議では、残業代ゼロ法案の対象者について、厚生労働省案と財界案が平行線のまま閉会となった。

厚生労働省は、為替ディーラーなど、金融や情報技術(IT)の高度な専門性を持つ人材に限定すべきと考えているが、これに対して、財界は「一定の専門性や経験を有する者」や「将来の幹部候補」などへも対象をさらに広げるよう対案を提出したのだ。

私は、厚生労働省案を妥当と考え、財界案には到底賛成できないという見解である。

■為替ディーラー等は残業代ゼロで妥当

まず、厚生労働省案で考えている為替ディーラー等については、私も残業代ゼロ法案を導入しても問題ないと考える。

この点、モルガンスタンレージャパン事件(東京地判平17.10.19)という有名な判例があるのだが、外資系金融機関を解雇された社員が、「私の年俸には残業代は含まれていなかった」と主張して、元勤務先に残業代の支払を求めた事件である。

判決文において裁判所は、法的なロジックにやや苦しいところはあったものの、「原告は7,000万円を超える高額な年俸やボーナスをもらっている上、外資系金融機関の慣習も熟知していたはずだから、残業代は当然年俸に含まれていると考えるべきである。」という大岡裁きを行った。これは、一般的な国民感情としても納得できるものであろう。

したがって、世界中どこへ行っても通用する高い技術を持ち、数千万円を稼ぎ出せるような人物ならば、残業代ゼロ法案を適用してもよい、という厚生労働省の見解は、落し所として妥当ではないだろうか。

これに対し、財界案では残業代ゼロ法案をさらに拡大適用しようとしているわけだが、その対象者を具体的にイメージしてみてると、「名ばかり管理職訴訟」や「サービス残業訴訟」といった、現在企業が抱えている労働問題に行き着くことを、我々は懸念すべきである。

私の推測も混じるが、財界が残業代ゼロ法案で狙っていることの真意を、以下2点に分けて述べたい。

■名ばかり管理職が合法化される

第1は、「名ばかり管理職」の合法化である。

多くの企業には「部長」「課長」といった組織の長ではないが、社内ルールに基づいて管理職扱いされている社員が相当数存在している。「担当課長」「専門課長」「主幹」「シニアスタッフ」、といったように、組織によって肩書はさまざまだが、このような管理職待遇の社員には、通常、残業代は支払われていない。

しかし、残業代の支払が不要な労働基準法上の管理監督者と認められるためには、法的に厳しい要件が課せられていて、その肩書にとらわれず、経営会議への参画、人事権の保有、出退勤の自由など、実体として経営者と同一視できるような権限や待遇が与えられていなければならない。

したがって、勤続年数や年齢などの理由で、企業が独自の社内ルールに基づいて、「肩書きだけ管理職っぽくした社員」は、実のところ、法的にはほとんどが「名ばかり管理職」である。

このような名ばかり管理職も、財界が主張する残業代ゼロ法案の定義に基づけば、「経験があるので自律的な働き方ができるはず」という理屈で、残業代ゼロの対象にされてしまうのだ。

すなわち、企業は一定の勤続年数に達した社員に対し、「おめでとう。君は今日から管理職待遇だ。」という魔法の言葉をかけるだけで、残業代も役職手当も払わず、長時間労働をさせることが合法化されるということだ。

また、これらの社員は、場合によっては希望退職や整理解雇に対象にもなるであろう。そのとき、解雇される社員が刺し違える覚悟で「私は名ばかり管理職だ。過去のサービス残業代を払え!」という訴訟を次々に起こしたら企業側はたまらない。だから、解雇規制を緩和するための布石として、残業代ゼロ対象者の拡大を図っているのではないかと私は推測しているのだ。

■責任感の強い若手社員は無償でハードワーク

第2は、「残業は月30時間まで」といったような企業内のローカルルールを、実質的に合法化することである。

今回、財界案が残業代ゼロ法案の対象にしようとしている「現場のリーダー」は、係長、主任といった、管理職一歩手前の社員が務めていることが多いが、労働時間的には、最も負担がかかるポジションである。

部長や課長といった管理職からの要求事項を理解し、それを噛み砕いて一般社員に落とし込んで、実務の進捗を確認したりフォローしたりしていくのには大変な労力を伴う。

自分がどんなに効率的に働こうと思っても、上役からは呼び出され、部下からは相談されでは、自分の仕事に手がつけられるのはどうしても定時後になってしまい、残業が慢性化しているのというのが、多くの現場のリーダークラスの社員の働き方の実態である。

それにもかかわらず、部門ごとに予算目標があるなどの理由で、暗黙の残業時間上限のルールが社内にできてしまっていることが、サービス残業の温床になっているのである。

現場リーダーを勤めている若手社員は責任感も強いので、会社が定めた残業時間の上限を守り、仕事もやりきらねばならならないと考え、タイムカードを切って残業を続けたり、自宅に仕事を持ち帰ったりすることも珍しくない。そして、会社はそれを「美しい姿」と賞賛して黙認しているわけだ。これが法的にも合法化されれば、会社にとっては万々歳である。

結局のところ、財界の主張する残業代ゼロ法案は、現在の法制度ではサービス残業になってしまう働き方を合法化しようとしている、という意図が見え隠れしていると私は感じてならないのだ。

■本当の目指すべき姿

残業代ゼロ法案は、「お金のためにダラダラ働くことをやめて、ワークライフバランスを図ろう」ということが大義名分であったはずだが、私は本当に労働時間の短縮を図りたいのであれば、残業代をゼロにすることが解決策であるとは到底思えない。

真に大切なのは、参加者を絞らずダラダラ続ける会議のスリム化や、社内会議のための数百ページのパワーポイントの廃止など、「無駄な仕事」や「やらなくてもよい仕事」をあぶり出して、仕事が定時内におさまるよう、個々の企業において業務の効率化を図っていくことではないだろうか。

いくら残業を減らせとか、労働時間を短縮しろとか、掛け声だけ発しても、仕事が減らなければ労働者の立場ではどうしようもない。現場レベルでの改善や効率化には限界があるのだ。「この仕事はやらなくてよろしい。」と、社長や役員クラスの人間がビシッと判断しなければ、無駄だと分かっていてもその仕事をやめることができないのがサラリーマンの宿命である。

働き方については以下の記事も参考にされたい。

社員の負担をそのままに、小手先で法的なつじつま合わせをするのではなく、社員の目線に立って、働きやすい職場を作っていくことこそが、ワークライフバランスの実現のために本質的に大切なことなのではないだろうか。

特定社会保険労務士・CFP

榊 裕葵