アメリカの選民意識と北朝鮮の心理ゲーム

核兵器に対する伝統的なアメリカ人の意識は、日本人には理解しにくい。まず、神の領域をアメリカが手にしたという宗教的な選民意識だ。
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「ならず者国家」と呼ばれる国が核兵器を所有したとなれば、「敵国」の人々にとっては穏やかではない。加えて、その核兵器を搭載可能な弾道ミサイルを発射するとなれば、恐怖が頭の片隅に忍び寄りもする。

ボストンマラソン爆破事件で、アメリカ人の恐怖の最大関心事は自国で起こりうる爆破テロに(すくなくとも、今は)移っている。とはいえ、歴史的に自分たち以外の国が核兵器を持つことに恐怖を抱き続けているのがアメリカだ。冷戦時代にはソビエトが核攻撃を仕掛けてくるという想定で日常的に訓練が行われたし、イラクが核兵器を開発していると「でっちあげて」戦争さえ起こして政権を滅ぼしてしまう。イランに対するアメリカ政府の態度も、しかりである。

核兵器に対する伝統的なアメリカ人の意識は、日本人には理解しにくい。説明しよう。

まず、神の領域をアメリカが手にしたという宗教的な選民意識だ。言い換えると「我々アメリカ人は神によって選ばれ、神が造った物質の根源である原子の力を手にした」というものだ。この宗教がかった意識はイスラム原理主義者と似ていたりする。この選民意識に人類史上最大級の科学的達成感と自尊意識が寄り添う。神の力を手にし、それを使うことは正しいアメリカにだけ許されるという意識が多かれ少なかれ深層意識に流れている。

一例を挙げると、広島への原爆投下は戦争終結を早め日米の人々の命を救ったsalvation(救い)と表現される(ウオールストリートジャーナル社説、2005年8月5日)。salvationは「神による救い」を示唆している。この社説はこう結んでいる。「原爆を投下したのがヒトラーや東条、スターリンではなく、トルーマン(米大統領)だったという事実を誰が喜べないだろうか。正しい考え方の人たちが権力を常に保持することの必要性を誰が疑うことができるのか」。

こうした選民意識の裏返しが、自分たち以外の国や非政府組織、つまり「正しくない国や連中」が核を持つことに対する底知れぬ恐怖心だ。恐怖感とは心理的な現象である。この心理現象をうまく使っているのが北朝鮮だろう。

北朝鮮の核兵器所有、そして弾道ミサイル開発が対米戦略的に効果的なのは、この恐怖の心理作戦に尽きると思う。なぜなら北朝鮮のミサイルが物理的な軍事的意味を持つかどうかは、反論を承知で言えば、あまりないからだ。米海兵隊出身のハワイ大政治学者、ブライアン・ハレットは、北朝鮮が本気でアメリカを攻撃しようと思えば核兵器をミサイルではなく漁船か貨物船に忍び込ませて、港か運搬中の陸上で爆破させればいいだけだという。

証明などできないが、北朝鮮に開発できる程度のミサイルでは使い物にならず、そもそも実戦的には核を搭載するミサイルなど必要ないと思う。核搭載可能でアメリカ本土が射程に入るというミサイル発射実験という示威行為は、アメリカにとって北朝鮮が「正しくない」国だけに効果的である。

アメリカ軍としても、そんなことは承知の上で、自分たちの核保有にかかる膨大な管理費、新しい核兵器の開発費を正当化するために、北朝鮮の核兵器・ミサイル実験を利用している面もあるだろう。それもこれも、マスメディアによる報道のおかげであるが。

こうした一歩間違えば戦争、そして核戦争にも発展しかねない恐怖の心理ゲームは、まずは「正しい」国であるアメリカがゲーム・チェンジャー(game changer)となる以外に方法はないかもしれない。その可能性、つまりアメリカ人の核兵器に対する意識変化については別の機会に書くつもりだ。