もう児童買春・児童ポルノ禁止法は抜本改正すべきではないか

有り体に言うと、「児童買春・児童ポルノ禁止法」とは、20世紀末の日本において社会問題化していた大人の児童への性的虐待行為を禁止した「だけ」の法律であり、従って、それはいつの間にやら児童保護の名を借りたある種の風紀取締法になってしまったのではないか、と筆者は考えている。
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去る2013年5月29日、自民党、公明党、日本維新の会から、衆議院に「児童買春・児童ポルノ禁止法」の改正案が提出された。これはネット内外で大きなニュースになり、特に問題を指摘する向きからは率直に「改悪案」とも非難されているほどである(本稿では、なるべく中立的立場をとりたいため、あえて「改定案」と呼ぶ)。

今次の児童買春・児童ポルノ禁止法改定案に関して、大きな論点が二つ指摘されている。

ひとつは児童ポルノの単純所持に対する規制の創設である。

本改定案では、児童ポルノは単に所持しているだけで一年以下の懲役又は百万円以下の罰金の処罰を受けることになっている。私は、結論から言えば、児童ポルノの単純所持を規制すべきことには賛成であるが、現在の改定案には反対である。

そもそも児童ポルノの単純所持の規制に賛成する理由は二つある。一つは、児童ポルノ業者は確かにほぼ消えた(と筆者は思う)けど、インターネットの発達の中で、未だに児童ポルノ自体の拡散は防ぐことができないということだ。ファイル共有ソフトの設定に無知なユーザーも多く、注意不足による拡散もあるだろうし。もう一つは、そもそも児童ポルノはその存在自体が被写体になった児童にとっては精神的苦痛そのものであり、社会からこれを消滅させることが当該児童の安心に繋がるだろうと思うからだ。

だが、そんな筆者にすら、現在の改定案は問題が多いように見える。最大の問題点は、多くの論者が指摘していることだが、児童ポルノの定義に曖昧な点があり、場合によっては、不当な逮捕や処罰が起きかねないという点にある。

筆者が児童ポルノの単純所持を規制する、すなわち児童ポルノを社会から消滅させるべきだと考える理由はすでに述べたようなことであり、筆者にとって、児童ポルノの所有者を非難し、処罰することは制度の本旨ではないと考える。そうであれば、まず必要なことは児童ポルノの消去命令(又は国による児童ポルノ消去の強制執行)であり、一般的禁止として処罰規定を置くとしても、偶発的な不当逮捕、不当処罰に繋がらないよう、処罰には大量所持した場合や、消去命令違反、消去命令後再び児童ポルノを取得した場合などの条件を附するべきだろう。

大きな論点の今ひとつは、規制対象に「児童ポルノに類する漫画等」を加えるための準備検証を行うというものだが、筆者は、これには真正面から反対する。「児童ポルノに類する漫画等」を現在の児童ポルノと同様に禁止することは、法制度の構成上、不適切な結果を招くと考えているからだ。

今回、改定案で「児童ポルノに類する漫画等」とされているものは大きく分けると二つあり、一つが漫画、アニメ、CGであって児童ポルノに類するもの(以下、児童ポルノ的描写物という)、今ひとつが児童の姿態の外見を持つ児童以外の者の映像であって児童ポルノに類するもの(以下、疑似児童ポルノという)である。両者の共通点は、それによって直接、いかなる児童にも被害が発生していないという点にある。

今回の改定案を見る限りでも、また児童買春・児童ポルノ禁止法の趣旨に鑑みても、これを規制するとすれば一種の「危険犯」のロジックにならざるを得ないが、両者の間の牽連関係は抽象的過ぎて、おおよそこれをことさらに取り上げて刑罰化するのは無理があるだろう。

確かに筆者は、表現物がそれによって世の中に犯罪を増やすネガティブな影響を持つことを認めるものだが、それを言うなら殺人や国家転覆、放火や賭博などあらゆる「犯罪」を描くことを禁止せざるを得ず、児童を対象にした性行為のみを取り上げる必然性がない。甚だしくは、結婚した児童の性行為に至ってはそもそも犯罪ですらないわけで、描かれた行為が犯罪でないものは、この論理では規制する理由がないことになる。

加えて、表現行為の規制には禁固や懲役などの自由刑を規定するのが常(行為の捕捉困難さから、罰金刑くらいでは違法行為へのチャレンジを抑制できない)だと思うが、そうすると具体的な法益侵害があった場合と、単にそれに繋がるかもしれない行為の処罰とがほぼ同じ処罰水準となり、どうにも整合しない。だからといって処罰水準を低くすれば、単なるザル法になるだろうから、そもそも立法する意味がない。

さらにいうと、児童ポルノの製造についてはそもそも被写体が児童であるかどうかを確認することにより不測の逮捕や処罰を回避できるし、単純所持についても被写体が児童であることの故意の認定は難しい(過失犯の処罰規定は今次改定案にもない)ので、現実問題として、気をつけていれば法律違反を回避することは可能だろう。しかし、児童ポルノ的描写物や疑似児童ポルノではこうした行為者の回避が難しい。

すなわち、この改定は成立した後に問題が生じやすい、「危険な」法改定である。実際に法律改正に参画した経験もある筆者としては、こうした「危険な法改定」をなぜ敢えて行うのか、理解に苦しむ。

だいたい、同様の取締はわいせつ物頒布等の罪によっても実現可能なはずである。わいせつ物頒布の罪については、その取締水準について歴史的蓄積もあり、確かに法文上は児童ポルノよりも曖昧な書き方をしていると言っていいだろうが、社会の信頼は得ている。外国を見ても、米国のように、児童ポルノ的描写物に関する規制が連邦裁で違憲認定を受けた後、あくまでわいせつ物規制の範疇に特別な規定を設けて取締をするようになった例もある。それに、そうした児童ポルノ「まがい」のコンテンツが世間に氾濫しているという批判については、まずはゾーニングをこそ立法すべきで、社会秩序をより適切な形で形成するべきだと考える。

つまり、今次改定案は、少なくとも児童ポルノ的描写物や疑似児童ポルノについては必要性もなく、将来的に規定としてのオチも見えず、或いは適用されないザル法を作るだけで、それでいて表現行為の萎縮等その弊害はいくつも予見されるという、結局のところ、あらゆることがらについて、刑事的取締規定を作ることを優先させている。これでは、刑事的取締規定を作ったという立法者の自己満足にすぎないと評されてもしかたない。これは、見識ある国会の判断としては、どうにも情けない話ではないだろうか。

なお、筆者はコンテンツ産業研究を主とする者なので、時折見られる、児童ポルノ的描写物と疑似児童ポルノに対する規制をコンテンツ産業の海外展開促進政策(というか、クールジャパン政策?)の文脈から支持する意見については一言批判しておきたい。

まず、カナダなど、一部外国で「児童ポルノに類する漫画等」を規制している国があることは事実である。こうした国に、日本の一部漫画等を輸出する際、それが「児童ポルノに類する漫画等」であるとされる可能性はある。

しかし、表現規制は各国で様々にあり、それを全て日本に輸入すべきだという論理はなりたたない。児童ポルノ的描写物や疑似児童ポルノについてだけ導入するのも、なぜそれだけを導入するのか論理がない。

そもそも、漫画等コンテンツ商品を海外に展開するかどうかは一義的に作者や出版社といった事業者の判断に任される領域であり、国家が海外に展開させなくてはならないというのは、事業者の事業の自由に不当に介入する考え方である。

事業者は、日本市場だけを集中的に開拓する自由もあれば、もちろん、海外に展開する自由もある。後者の道を選択した場合、仮に「児童ポルノに類する漫画等」が違法化されている市場を狙おうとすれば、作画段階から表現に制約を自ら加えることになろう。それが事業者の自由な判断の結果であるとすれば、何ら問題はない。

仮に海外市場において「児童ポルノに類する漫画等」と見なされる危険性を産業界に回避させたいのであれば、世界における各市場の「児童ポルノに類する漫画等」の規制ぶりについて調査を支援し、産業界に回避の手段に関する情報を提供するのが第一である。

ちなみに、こうした表現にかかる外国の規制情報は、「児童ポルノに類する漫画等」に留まらず流血表現や暴力表現など多岐にわたるわけで、産業界での情報の収集やアップデートがなかなか難しい。是非、クールジャパンなどと叫ぶのであれば、児童ポルノ的描写物や疑似児童ポルノの規制を立法化するのではなく、こうした産業界への情報面での支援を継続的に行うことを政府に義務づける立法をお願いしたい。

と、まぁここまでは今次改定案に対するオーソドックスな論評だと思うのだが、本件についてTwitterでやりとりをしていた際、面白い指摘に出会った。それは、そもそも児童ポルノの定義が不備なのではないかというものだ。

実は、児童の体に精液等をかけただけの写真(写真上も現実にも性器は児童に触れておらず、児童は着衣のままであり、もちろん性交類似行為もしてない)は、児童買春・児童ポルノ禁止法が定める児童ポルノの規定にあたらないのではないか、という疑念を筆者は持っている。こうした写真は、それが通常のAVの宣伝写真にすら使われるように明らかに「性欲を興奮させ又は刺激するもの」であるにも関わらず、である。これは拙い(現実には「性交類似行為」の解釈を拡げるのだろうけど、それでいいのかね?)。

他方で、よく指摘されるように、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」の判断基準が不明確であることは、児童のヌード写真集に関する美術性や、家族などの児童(子供)の裸体写真の社会的取扱いの是非に関してでしばしば論じられるところである。

さらに加えて言うと、我が国では16歳での婚姻が認められていることから、16歳以上と16歳未満ではその性的自己決定権について社会的な取扱いにも差があるのに、現行の児童ポルノの定義にはそれが反映されてないし(16歳でも結婚すれば民法753条で成人と見なされるのに、結婚した16歳を撮影したものは児童ポルノになる、はず)、個人的には、児童の法益侵害が児童買春・児童ポルノ禁止法の本旨であり、児童にはその性的自己決定能力が未熟であることからその判断の如何に関わらず社会的な規制を作っているのだと考えれば、当該児童が成長した暁には、その取締はストーカー規制法と同様、申立主義になってもいいのでは、とか、もうこの法律には考え出したらきりがないほど論点がある。

さらに、不思議なことに、今回のような表現物に関する規制強化はしばしば叫ばれるのに、児童買春の取締強化や、被害児童のケア強化などはあまり耳にしない。今次改定案の中でも、申し訳のようにチラッと設けられた心身に有害な影響を受けた児童の保護に関する規定(法15条)の「関係行政機関」を、これまた申し訳のように具体的な省庁など機関名に変えるだけで、国の予算上の配慮義務すら規定しておらず、これがどれほど事態の改善に資するのか見当もつかない。

児童買春については、児童自身が買春を誘引していたケースが少なくないことから、出会い系サイト規制法では誘引した児童も処罰されるようになっているが、児童買春一般としては、買春をする大人「のみ」が悪いという世界観で、売春する児童に対する矯正や更生支援措置は何も規定されておらず(正確には、他の制度とのリンケージが明記されていない)、同一児童について児童買春行為が繰り返される危険についての配慮がない。

児童ポルノについても、被害児童の被害事実情報が地域に漏れる事の防止、漏れた場合のおける被害児童への差別的行為に関する禁止、あるいは、やむを得ず地域を離れる場合の関連支援措置(例えば名前を変えられる等)とか、立法でしか解決できない問題もいくらもある。

こうした児童の保護といった面での制度的検討は放置されたまま、単に表現物に関する禁止規定だけが拡充されていく。この違和感は一体何だろう?

有り体に言うと、「児童買春・児童ポルノ禁止法」とは、20世紀末の日本において社会問題化していた大人の児童への性的虐待行為を禁止した「だけ」の法律であり、従って、それはいつの間にやら児童保護の名を借りたある種の風紀取締法になってしまったのではないか、と筆者は考えている。そうであれば、10年間の実施を経て、児童買春の違法性を広く社会に知らしめ、また児童ポルノについてはほぼ業として行う者は取締り得たという成果が上がった今だからこそ、本来の目的通り、児童の権利侵害を防止し、被害に遭った児童を保護するための法制度として、今一度抜本改正をした方がよい。

その時、社会的に規制すべきものは「児童に対する性的虐待の結果として生じた写真、図画、映像等」となり、児童の精神的苦痛の本質が明らかになって、当該「児童に対する性的虐待の結果として生じた写真、図画、映像等」の単純所持を含む厳しい取締の意味も社会的に理解されると同時に、児童ポルノ的描写物や疑似児童ポルノの規制が如何にこの制度と関係が無いかも明白になると筆者は考えている。

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