昔からあった「私 日本人でよかった」的なポスター

「私 日本人でよかった」と言う神社本庁のポスターを見る人間は、国籍が日本であるとは限らず、自分自身が排除されていると悲しい思いをする者は必ずいる。

神社本庁が作成し、全国の神社に配布し、張り出していると言う「私 日本人でよかった」のポスターがネット上で炎上している。私自身も実際に張り出されているポスターを見た。

このポスターを見て、違和感を覚えるか否かについてである。感じる、感じないの割合が計算できたらどんなに面白いだろうかと想像する。この国の一つの大事な実態が浮かび上がるに違いない。

事実、違和感を覚える人もいれば、何の違和感を覚えず、普通のポスターだと見ている人もいれば、中には素晴らしいと絶賛する人もいるに違いない。

その違いは、ポスターを表面的にだけ見ているのか、多角的に観ているのかによって変わる。

ここで、私の手元にある二つのポスターをお見せしたい。

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一つは、まず一つ目は、当時の大蔵省(2001年1月6日、中央省庁再編により大蔵省は財務省に改称された)税を知る週間(1999年11月11日から17日)ように作成されたポスターである。そこに、次のような文言が登場している。

「日本人として、

これからの先の日本を考えた。

国は税金で支えられている。

日本の税金を考えることは、つまり

家族の、子供の、未来を考えることなんだと。

ラモス瑠偉」

二つ目のポスターは、1994年4月3日の横浜市長選挙及び市議会員補欠選挙(神奈川区・緑区)のものである。そこに、このような文言が書かれている。

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「投票してこそ。横浜市民」

ここで読み手の皆さんに聞きたい。これらのポスターを見て違和感を感じるのか否かである。

実は私は両方ともに関して違和感を感じた。

まず、ラモス瑠偉が登場している1つ目のポスターについてである。

他の文言と比べて二回り大きい文字で書いてある「日本人として」に注目していただきたい。

ラモスは、この頃、日本国籍を取得しており、日本人になったからには税金を払いましょう」と言うことを伝えるように大蔵省側が彼を使ったに違いない。

でもちょっと立ち止まって考えて欲しいことがある。

それは日本の税金は何も日本人だけが払っているのではなく、日本にいる外国人も皆が払っていると言うことである。

このポスターを見かけた頃、私自身は外国籍だったが「外国人だから税金いらないよ」などと個人的に言われたことももちろんない。

つまり、これを見た日本にいる外国籍の人間は悲しい思いをするかもしれないと言うことに、ポスターを作った側の人間の想像力は至っていない、と言うことである。

次に、横浜市長選のポスターについてである。

「投票してこそ横浜市民」と書いてあるが、投票権のない外国人は市民ではないのか。生まれも育ちも日本でありながら投票権のない人すらいる。

例えば、2017年の数字だと市の人口の2.2%を占める82,500人が外国人市民で、市内の区によっては人口に占める外国人の割合には10%を超えるところもある。

間違いなく、投票率を上げるための策として上記の文言を使ったに違いない。しかしこのポスターを作った人たちは「外国人」に対しての想像力は十分だったのだろうか。

実は、「私 日本人でよかった」と言う神社本庁のポスターを見る人間は、国籍が日本であるとは限らず、自分自身が排除されていると悲しい思いをする者は必ずいる。

さらには神社本庁がこのポスターを作った目的は「祝日の国旗掲揚を啓発するため」だと言っているが、日の丸の掲揚は何も日本人だけがするのではなく、日本にいる外国人の中にも祝日に日本の国旗を掲揚する者はいる。

そのような人々の日本社会にいるということまで、このポスターを作り、張り出している人間は想像出来ているのだろうか。

きっとこの記事を読んだ人の中には、「考えすぎ」と言う人がいるに違いない。

でも日本社会にはこのポスターを見て、作った側が「考えなさすぎ」と思う人もいることを知ると良い。

社会が分断されず人々は一緒に考えることが大事である。その中で最も大事な心構えの一つは、多数派本位に偏らないことである。

(2017年5月11日Yahoo!ニュース個人「昔からあった「私 日本人でよかった」的なポスター(にしゃんた)」より転載)