「地裁で負け、高裁で負け、最高裁で負けても諦めない」同性婚訴訟のゲイカップルが判決前に語った決意

なぜ諦めないかって?だって「誰かがやらないと、変わりませんから」
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2019年4月15日の第1回口頭弁論には、たかしさんのお母さんとお姉さんも駆けつけた。ふたりの家族も裁判を応援している。
ご本人提供写真 / 撮影 JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

2年前、「不平等をなくしたい、逃げちゃいけないという思いから、同性婚訴訟の原告になった」と話してくれた北海道・帯広市に住む同性カップルの国見亮佑さんとたかしさん。

2人が原告として加わる「結婚の自由をすべての人に」訴訟は、3月17日に札幌で初の判決を迎えます。

戸籍上同性同士の結婚、通称「同性婚」の実現を求めて、全国5地裁で28人が国を訴えているこの裁判。

日本で初めて、同性婚ができないのは憲法違反かどうかを示す判決を、ふたりはどんな気持ちで迎えようとしているのでしょうか。 

自分にも家族ができるんだと思った相手

原告として同性婚裁判の判決を迎えることについて、国見さんは「20年前と比べると隔世の感がある」と話します。

今から約20年前、国見さんは同性愛者の仲間たちと「みんなで婚姻届を区役所に出しに行こう」と話していたことがあったといいます。

「私たちを認めなさいよと婚姻届を100人分集めて区役所に出しに行こうなんて話していたこともありました。その場にいた人たちの誰もが、その時にはパートナーがいなかったんですけれど……(笑)」

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休みの日になんとなくふたりで出かけた襟裳岬
ご本人提供写真 / 撮影 JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

当時自分はゲイだから家族は持てないだろう、と考えていた国見さん。それを変えたのが、18年前に出会ったたかしさんでした。

いつも温かく見守ってくれるたかしさんとの時間が長くなるにつれ、「死ぬまで一緒にいるかもしれない」「自分にも家族ができるんだ」と思うようになったといいます。

コロナで感じた社会的認知の大切さ

自分たちの関係をまぎれもない家族と話すふたり。それでも、差別や偏見を持たれたくないという思いから、国見さんとたかしさんは同性パートナーがいることを勤務先には伝えていません。

そのことが同性カップルを緊急時に追い詰めると感じる出来事が、最近ありました。

新型コロナウイルス感染症が各地で広がっていた2020年9月に、たかしさんが38℃の高熱を出してPCR検査を受けることになったのです。

国見さんは公立学校の教員で、万が一自分や家族がPCR検査を受ける時には、学校に連絡し休むよう教育委員会から指示されていました。

そのため仕事を休まなければいけませんでしたが、状況をどう説明するか悩んだといいます。

「校長先生に電話で『同居人がPCR検査を受ける』と言うにしても、同居人が誰かという説明をしなきゃいけない。これはもう思い切ってゲイなんですと言うしかないのではと思いました」

最終的に「一緒に暮らしているパートナーがいてPCR検査を受けるので一日休む」と説明し「他の人には伝えないで欲しい」と伝えたところ、校長は納得したといいます。

また、幸いにも検査結果が陰性だったため翌日には復帰でき、それ以上の説明はせずにすみました。

しかし万が一陽性で2週間休まなければいけなかったとしたら、望まないカミングアウトを迫られたかもしれないと国見さんは言います。

「異性カップルだったら『配偶者がPCRを受ける』の一言ですむことだと思うんです。結婚できない同性愛者がパートナーの存在を伝えるハードルの高さを感じました」

体調を崩したたかしさんも、新型コロナのような特殊な状況で、同性カップルは簡単に追い込まれてしまうと実感したと話します。

「体や心が弱ると、いつものように思考できなくなるんです。そんな時に病状を伝えながらカミングアウトもしなきゃいけないという状況は、本当に大変だと実感しました」

「人によっては怖くて保健所に電話できない人もいるかもしれません。社会的認知がどれだけ大切かを、改めて思い知りました」

時期尚早なんかじゃない

国見さんとたかしさんは、こういった日々感じている問題や不安を裁判で語り、結婚できるようにして欲しいと訴えてきました。

「同性カップルも婚姻ができるようになれば、異性カップルと同じように社会の一員として、多くの人々から認められるようになり、差別や偏見も減っていくのではないかと思います」と、国見さんは裁判で語っています。

しかしそんな原告を目の前にして、国は「憲法は同性同士の婚姻を想定していないので、法整備を検討することはない」という主張を続けてきました。

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旅行で訪れた台湾101展望台
ご本人提供写真 / 撮影 JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

想定していないという言葉に、「ここにいて存在しているのに、想定していないってすごく失礼なことだと感じる」とたかしさんは言います。

同性婚を「時期尚早」や「まだ理解が追いついていない」 という理由で反対する人もいますが、たかしさんはそれにも違和感を感じています。LGBTQ当事者たちは何十年も前から声をあげ、差別解消を求めてきたからです。

札幌では、30年以上前の1980年代から当事者が活動してきました。1996年にはプライドパレードが始まり、2003年には当時の市長が行政機関の長として全国で初めて、パレードで挨拶をしました。

その時にパレードで挨拶した上田前市長は今、同性婚訴訟弁護団の1人として原告をサポートしています。

そうやって声をあげ、行政を巻き込み、LGBTQ当事者の権利を擁護する活動をしてきた人がいたからこそ、今があるとたかしさんは感じています。

「まだ早いとか理解が先とか言う人がいるけれど、札幌では30年以上前からずっと活動してきた人がいて、ここまできているんです。札幌に限らず各地域やコミュニティでも、それぞれの人がやってきたこと。今ここにいるのはみんなの力だったと思います」

地元のラジオ番組「Knock on the Rainbow」に2020年3月に出演した時

負けても負けても負けても諦めない

ふたりが原告になったのも、そういった先輩たちからバトンを引き継いで、若い人たちが生きやすい社会にしたいという思いがあったからだといいます。

「自分たちがどうこうというよりも、続く人たちが結婚できる選択ができるのが大事だと思っている」と話す国見さん。3月17日に良い判決が出ることを期待していますが、たとえ負けたとしても、決して諦めることはないと言います。

「地裁で負けて、高裁で負けて、最高裁で負けたとして、また何年か後にもう一回訴訟を起こしますよ。勝つまでやるつもりです。だって裁判を起こさない限りは変わらないから。そのために裁判をやっている。誰かがやらないと、変わりませんから」

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2019年2月14日に提訴した時の記者会見
ご本人提供写真 / 撮影 JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

同性婚訴訟を考える時、国見さんはいつも、権利獲得のために闘ったある少数者の裁判のことを思い出します。それは1960年代に提訴された、聴覚に障がいがある人の運転免許裁判です。

「その裁判を起こす前、耳が聞こえない人は運転免許が取れませんでした。だけど免許が必要だった1人が、免許が取れないのはおかしいと訴えて裁判を起こしたんです」 

「結局訴訟は負けたんだけれど、国が動いた。それまでは聞こえない人は免許は取れなかったのが、補聴器をつけて10メートル離れたところで一定の音が聞こえたら免許が取れるようになったんです。そこに到るまでは、無免許でつかまりながらも裁判を起こし、声をあげた人がいた。彼らが変えてきたんです」

運転免許訴訟と同じように、裁判の結果に関係なく、国会議員や国が法律を整備すれば同性同士の結婚はできるようになります。

「自分たちも裁判を続けながら、国会議員に法整備を求めていきたい」と、国見さんは話します。

たかしさんは最近、自分の結婚式をこれまで想像したことがなかったことに気が付いたといいます。

「それは自分が、結婚できない状況で生まれ育ってきたからだと思うんです。自分と同じように『どうせ結婚できないんだから同性婚裁判なんて関係ない』と考えているLGBTQ当事者はいるのではないかな。彼らのためにも結婚の平等を実現したい」

 国見さんは「今は考えられなくても、制度ができて変わるものもある」と話します。

「できてから変わるもの、できるようにならないと変わらないものもあると思うんです。だからこの裁判を通して若い人たちのために、結婚できるという状況を実現したいんです」