「他人に迷惑をかけるな」と言うのはもうやめよう

私は人生で一度も親から「他人に迷惑をかけるな」と言われたことがない。それどころか、母親は名刺に「迷惑をかけ合おう」と綴っている。
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私は人生で一度も親から「他人に迷惑をかけるな」と言われたことがない。それどころか、母親は名刺に「迷惑をかけ合おう」と綴っている。

「重度の障がいを持つ方に『迷惑をかけるな』と言うことは、『死ね』と言っていることと同じだ」が母親の哲学。当初、少し極端な発想だと思っていたが、今回の相模原の殺傷事件は、この母親の仮定を現実のものとした。

「不幸を作ることしかできない」迷惑な障がい者は、消えてしまったほうが世のためだという論理で19人が抹殺された。

事件直後の菅官房長官の定例記者会見。記者が「テロをうかがわせるような状況はないのか?」との問いに、菅官房長官は「被害者とイスラム過激派との関係を示すものは今のところ把握していない」と答えた。いつのまにか、日本では「テロリスト」と「イスラム過激派」が同義語になっていることに驚いた。

「テロリスト」の定義は様々だが、簡潔には、政治目的のために暴力を行使する人を指す。「イスラム過激派」はイスラムの理想社会の実現に弊害となっているものを暴力で排除しようとする人々のことである。

逮捕された植松容疑者は「イスラム」という単語さえ抜かせば、「過激派」と「テロリスト」の定義にピッタリ当てはまる。障がい者のいない平和な世の中にしようという過激的な政治目的のために、邪魔な存在である特定の人々を無差別に排除した。

日本人7人が犠牲になった、バングラデシュの「テロ」事件の犯人たちが非イスラム教徒のみを狙ったのと同様、植松容疑者も施設の職員でなく、障がい者だけを狙った。

そして、勝手な推測で恐縮だが、バングラの犯人がイスラム国などの組織から思想的影響を受けたのと同様、植松容疑者も、インターネットなどを通して、誰かかしらから思想的影響を受けたのではないか。

自己体験のみを基に、「本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができる」などという過激な思想にたどり着くだろうか。障がい者は悪とする過激思想を持つ社会と接触し、感化され、行動に出れば、同胞たちから認めてもらえると思いこんだのではないか。

そして、その社会とは、植松容疑者が外国語に堪能でないかぎり、日本語をベースにしたものの可能性が強く、私たちの日本社会のどこかに過激思想がそれなりの影響力を持って存在しているということになる。

「迷惑をかけるな」が排他的に使われる例を良く見かける。九州の自治体が、パチンコをしたという理由で生活保護者の保護費支給を一時停止した時、ネットでは「うちの自治体も見習うべきだ!」と賞賛の声が多く上がった。

他人様の税金で生きさせてもらっている迷惑な存在である以上、納税者同様の権利があると思ってはいけないという思想は、過激さの程度に差があるとはいえ、重度障がい者は生きる権利がないという植松容疑者の主張と重なる部分がある。

人は他人に迷惑をかけてこそ寛容になれる。私は15歳で交換留学生として渡米した際、英語が全くわからなかったため、言語障がい者同様、他人に迷惑をかける道しかなかった。以降、8カ国で暮らし、そこで暮らす人々の習慣に対する無理解から多大な迷惑をかけてきた。

敬虔なイスラム教徒がいる夕食会に、ミリンを使った料理を持って行ったこともあれば、敬虔な仏教徒がいる場で、家の中の大仏様の位置を確認することなく、床に寝転んだ結果、大仏様の方に足を向けてしまうこともあった。

先日は友人とお茶をする約束をしたが、友人に急用ができて、40分待ちぼうけをくらったあげく、会うことができなかった。謝る友人に、自分が他人に迷惑をかけてきた長い歴史を思い出し、「仕方ないよ。忙しくて大変だね」と労い、3日後、その友人から家族同伴での夕食の誘いがあった。それまで昼間に2人でお茶する程度の仲だったのが、家族ぐるみの付き合いに発展していった。

前回のブログで書いたが、日本のメディアは外国で起きる凶悪犯罪をイスラム過激派と関連付けようとする反面、日本国内で起きたものは、「テロ」という言葉さえ使わない。

イスラムとは関係なく、過激的思想は様々な要因が絡まって生まれ、その要因の一つに「迷惑をかけるな」という社会の排他性があると思う。

凶悪事件が世界で立て続けに起こる中、「日本国内のはテロではない」と特別視することは、事件の全容解明の足かせになりかねない。イスラム以外にも、白人至上主義などの過激思想はたくさんあり、国際社会と連携できる余地はたくさんある。

私は9月に第一子が生まれる予定。母親のように「迷惑をかけあおう」と、まるで故意に迷惑をかけることを賞賛するような言い方はしないまでも、「迷惑をかけた人に感謝の気持ちは忘れるな」と息子に伝えていきたい。

社会の中に過激派の温床をこれ以上作らないため、そして迷惑に対して寛容な社会にするために、私ができるささいなテロ撲滅運動である。