日本は何も変わらない。震災から3年経っても

日本の根源は殆ど目には見えないが、仏教である。仏教は、人間の存在に関する第一の法則は苦難であると説いている。近年輩出された高僧の一人は、人生の意味を聞かれて、ただ一言「総てのものは移り変わる」と答えている。
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3年前の3月11日、日本の自宅を出発した私は飛行機に乗り、カリフォルニアに住む母のもとを訪れた。私がサンタバーバラに到着してわずか数時間経った時、私が24年間住んだ日本がマグニチュード9.0の地震に襲われたというニュースを聞いた。

私の息子と彼の家族が住む東京のアパートも、この地震によって突然傾いてしまったのである。地震の後、想像を絶する津波が来襲した。それ以降、被災地域で起こった原子力発電所のメルトダウンのニュースが昼夜分たず報道され続けた。

バンガロールやトロントに所在している雑誌社やラジオ局は、私に連絡を取り始めた。私が、日本で生活している珍しいフリーランスの西洋人の作家だからだ。どの問い合わせに対しても、私は発言したり、執筆することは全く出来ないと伝えた。その理由は、家族や近隣の人々が助けを必要としていた時に、彼らを残して出掛けてしまった事に対して罪悪感を覚えていたからである。

日本に戻ってすぐに、私は壊滅的な被害にあった福島の原子力発電所の周辺地域を訪れた。そこで私は、原子力発電所から戻って来た白髪交じりの労働者たちが、公共のコインランドリーで服を洗濯しているのを目撃した。他の誰にも見られないという条件で、私に話をすることに同意してくれた1人の労働者と一緒に、古びたお墓に囲まれた神社まで歩いた。

それから2週間後、ダライ・ラマが墓地で孤児や生存者に慰めの言葉をかけるのを見るために、私は津波によって瓦礫が散乱した漁村を訪れた。普段はゴミ1つ無い道が瓦礫の山と化し、町の半分が閉鎖されていた。車はひっくり返り、電柱は考えられない角度に曲がっていた。かつて日本は堅牢で奇麗に整頓されていたが、今やハリケーンの後の南太平洋の島のように変わり果てていた。

震災の年の、あの日と同じ日である3月11日、-- 奇しくも私の亡き父の誕生日に -- 私は空路、再びカリフォルニアに向かった。バックパッカーが集まる京都のレストランで、私の周りの外国人は、放射線の問題が深刻だから魚を最近食べない、などと話している。首都を離れて、ハワイやモンタナに匹敵する地方都市へ移住する反文化的な日本の若者の数が増えている。私と一緒に福島を訪れた放射線の専門家は、惨劇の予想のいくつか -- それは恐怖や誤解から生じたものである -- が誇張されていたとする自らの主張の多くが今、実証されていると述べている。

私の知る限りどんな文化であっても、不確実さに立脚している文化は全く変化しない、という考えを私は持っている。政府は相変わらず新しい税制を導入しようとしている。優秀なピッチャーはアメリカへ旅立って行く。人口の高齢化は深刻化する一方である。そして今週、高層ビルが立ち並ぶ京都の郊外にある丘陵地帯をドライブしている時に、私はクマ注意の看板を見かけた。

一方で、福島の辺りに住む聖職者たちは、邪悪な霊を追い払うことに専念している。私の日本人の妻は、綺麗な宗教施設を横切る時には、体を硬直させる。生け贄が捧げられる、不穏な儀式が真夜中に行われている、と彼女は言うのだ。西洋かぶれでメタリカを信奉し、イギリスから取り寄せたパンクのファッションアイテムを販売する私の妻だが、ステレオの横に設置した手作りの小さな祭壇の前に、新鮮な水を毎日お供えしている。そして、その祭壇の前で長い間瞑想し、彼女がかろうじて名前を唱えることが出来る神々に対して祈りを捧げている。

日本の根源は殆ど目には見えないが、仏教である。仏教は、人間の存在に関する第一の法則は苦難であると説いている。近年輩出された高僧の一人は、人生の意味を聞かれて、ただ一言「すべてのものは移り変わる」と答えている。

来月京都に向かう途中のダライ・ラマは、悟り、奇跡、涅槃、不思議なパワーについては何も言わないだろう; 単に現実について述べると思われる。さらに彼は、物事のあり方に対する学習を、経験に立脚しながら普遍的な正確さを持ち合わせて行う必要性について言及するのだろう。

ダライ・ラマが15ヶ月前にここに来た時、-- 折しも彼の最新刊である『宗教を越えて』で明らかにされたように -- 彼は大聴衆に向かって、自分のような法衣を纏った人の話に耳を傾けないように、との発言をしている。その代わり、科学者のもとを訪れるべきだと。それは科学者が、普遍的かつ正確なデータに基づいて、因果律を理解できるからである。ちょうど重力の法則がかつてそうであったように、科学者は主義主張や宗教の違いを超克できるのである。

日本は今でも霊魂や神々の国であるし、これからもずっとそうあり続けるだろう。多様性とグローバリゼーションが席巻する世界の中で、日本がいろいろな意味 (その中には日本に犠牲を強いるものもある) に於いて世界の他の多くの国々からかけ離れたままである理由の一つは、ここにある。

日本は、おとぎ話で満ちている。しかし、それは現実性が希薄だという意味ではない。また、理解を越えた深い境地に耽溺しているという訳でもない。

今週再び、私は東大寺という自宅近くの寺院に足を運んだ。11人の僧侶たちは季節の中に身を委ね、静寂を保ちながらも、古びた木造の建物の縁側を急ぎ足で歩いていた。僧侶たちは (西暦752年から行っている作法そのままに) 大きな松明を振り回し、頭を垂れる信者たちに聖なる灰を振りかけていた。まるで、振りかざす大きな炎によって、信者たちの信心を試すかのように。

ここにいる私の家族、近所の人々、幼い孫娘は、津波が再び来襲する可能性を認識している。もちろん来襲は起こらないかもしれないが。また、3年前の惨劇を忘れた人は誰もいない。しかし今や、その他の地域の多くの人たちは、災害を仮想的なものや例外的なものとして (つまり、ほとんどの人が理解出来ない「放射線」のようなものとして) 話すようになっている。

日本在住の私の友人たちの心の動揺も、極めて小さくなったように思われる。しかし、総ての物事には不確定さが付きまとう。そして、私たちの命は永遠ではない。これらの点に関しては、3年前と何も変わっていないのである。

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増上寺を訪れたダライ・ラマ14世
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増上寺を訪れたダライ・ラマ14世 (credit:猪谷千香)
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