ジーコ、FIFA会長選に出馬表明「私の義務だ」

サッカー元ブラジル代表のジーコ氏が、FIFA会長選に立候補することを表明した。「これは私の義務だ」と述べたという。
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Former Brazilian footballer Arthur Antunes Coimbra 'Zico', smiles during a press conference in Rio de Janeiro, Brazil on June 10, 2015 to announce that he will apply for the presidency of the FIFA in the next election. AFP PHOTO/VANDERLEI ALMEIDA (Photo credit should read VANDERLEI ALMEIDA/AFP/Getty Images)
VANDERLEI ALMEIDA via Getty Images

サッカー元ブラジル代表で日本代表の監督も務めたジーコ氏(62)が6月10日、FIFA(国際サッカー連盟)会長選に立候補することを表明した。「これは私の義務だ」と述べたという。BBCなどが報じた。

この日、ジーコ氏はリオデジャネイロで記者会見。FIFAの汚職事件をめぐりブラッター会長などが辞任したことなどについて「私たちのサッカー界で、このような汚職が起こっているのは残念。素晴らしい働きをしている他の多くの人の努力を、無駄にしてしまった。会長選に出馬して、これまでの私の経験や知識を活かすことは、私の義務だと思う」と述べた。1990年からブラジルのスポーツ相を務めた自らの経験にも触れ、「私にはその能力がある」と自信を見せた

■会長選に出馬できるのか?

一方で、これまでジーコ氏に対しては、会長選の出馬が難しいという報道も出ていた。会長選に出馬するためには、加盟5カ国の推薦が必要というルールがあるためだ。

ロイターによると、この日の会見でもジーコ氏は、まだ推薦がない状態だとコメント。欧州サッカー連盟(UEFA)会長のミシェル・プラティニ氏から、ブラジルサッカー連盟(CBF)の会長にまず立候補してはどうかとアドバイスを受けたと話した。しかし、ジーコ氏は、国内の8つの連盟と5つのクラブからの推薦がないので難しいとの考えを示し、「CBFよりFIFAのほうがチャンスがある」と話した。

ジーコ氏は、この会長選のシステムを批判。これが「汚職の原因になる」として、ルールを変えていく必要があることを強調した。

■ジーコ氏ってどんな人?

ジーコ氏は、1953年生まれ。本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。時事ドットコムによると、「ジーコ」というニックネームは「やせっぽち」という意味で、少年時代に小柄でやせていたために付けられた。

コトバンクによると、ブラジル代表MFとして、ワールドカップには1978年アルゼンチン大会から3大会連続出場し、80年代を代表する選手として活躍した。日本では1991年に住友金属(鹿島アントラーズの前身)に入り、94年に引退。その後、総監督などを務め鹿島を強豪チームに育てた。

2002年、日本代表の監督に就任。2006年に行われたワールドカップドイツ大会に日本を導いた。ワールドカップ終了後に代表監督を退任。フェネルバフチェ(トルコ)、ブニョドコル(ウズベキスタン)、CSKAモスクワ(ロシア)などの監督を務めた後、2011年にサッカー・イラク代表監督に就任。その後、カタールのアル・ガラファの監督になったが、2014年に退任した

1993年頃のJリーグと日本サッカー
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サッカーW杯アジア予選・日本-スリランカ/ラモスのドリブル \n\nドリブルする日本代表のMFラモス瑠偉(右、ヴェルディ川崎)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年04月15日 (credit:時事通信社)
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川崎の三浦知良(右)と鹿島の賀谷(左)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1994年01月16日 (credit:時事通信社)
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264倍強の当選率となったJリーグ開幕戦の名前入りSS席限定入場券。 \n\n撮影日:1993年03月13日 (credit:時事通信社)
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激しくボールを奪い合うヴェルディ川崎のペレイラと市原の新村(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年05月19日 (credit:時事通信社)
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磐田の中山(左)と鹿島の奥野(右)(茨城・カシマサッカースタジアム) \n\n撮影日:1994年03月26日 (credit:時事通信社)
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鹿島の秋田豊(左)と川崎の武田修宏(右)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1994年01月16日 (credit:時事通信社)
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細川護熙首相(右)から第26回日本プロスポーツ大賞の内閣総理大臣賞を授与された、ヴェルディ川崎の三浦知良選手(東京・首相官邸) \n\n撮影日:1994年01月28日 (credit:時事通信社)
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サッカー東京ドームカップ・ヴェルディ川崎-クルゼイロ(ブラジル) \n\n前半、攻めるヴェルディ川崎のMF菊原志郎(中央)(東京ドーム) \n\n撮影日:1994年02月10日 (credit:時事通信社)
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サッカー東京ドームカップ・ヴェルディ川崎-クルゼイロ(ブラジル) \n\n後半、同点ゴールを決めるヴェルディ川崎のFW阿部良則(右)(東京ドーム) \n\n撮影日:1994年02月10日 (credit:時事通信社)
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キリン杯サッカー・日本-アメリカ/ドリブルする都並 \n\nドリブルで攻め込む日本代表の都並敏史(右、ヴェルディ川崎)。日本は3-1でアメリカに逆転勝ちした(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年03月14日 (credit:時事通信社)
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天皇杯サッカー決勝・日産FC横浜マリノス-読売ヴェルディ/先制ゴールを決めた水沼 \n\n後半29分、先制ゴールを決め喜ぶ日産の水沼貴史(左から3人目)ら(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年01月01日 (credit:時事通信社)
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三浦知良選手、ブラジル訪問 \n\nブラジル・サンパウロでの歓迎パーティーで、ケーキのろうそくの火を吹き消すJリーグ・ヴェルディ川崎の三浦知良選手。左はりさ子夫人(ブラジル) \n\n撮影日:1994年02月01日 (credit:時事通信社)
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オフト監督 \n\nW杯アジア予選の展望を語るハンス・オフト全日本代表監督(東京・港区の東京プリンスホテル) \n\n撮影日:1993年10月02日 (credit:時事通信社)
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天皇杯サッカー決勝・日産FC横浜マリノス-読売ヴェルディ/優勝を喜ぶ日産イレブン \n\n2年連続6度目の優勝で大喜びの日産イレブン(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年01月01日 (credit:時事通信社)
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サッカーW杯予選・日本-UAE/祝福を受ける高木 \n\n後半31分、2点目のゴールを決めDF柱谷哲二(中央左、ヴェルディ川崎)の祝福を受ける日本代表のFW高木琢也(同右、広島)(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年04月18日 (credit:時事通信社)
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サッカーJリーグ開幕 \n\nサッカーJリーグのオープニングセレモニー(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年05月15日 (credit:時事通信社)
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サッカーJリーグ開幕 \n\nサッカーJリーグのオープニングセレモニー(東京・国立競技場) \n\n撮影日:1993年05月15日 (credit:時事通信社)
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松木安太郎監督(東京スタジアム) \n\n撮影日:2001年04月14日 (credit:時事通信社)
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サッカーW杯アジア予選・日本-イラン \n\n延長後半、岡野が決勝Vゴールを決める(マレーシア・ジョホールバルのラーキン競技場) \n\n撮影日:1997年11月16日 (credit:時事通信社)
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