「頑張っても無駄じゃないか」あの子の涙は、もう見たくない

子どもの貧困は、その定義の難しさや見えにくさなどから論争が起こっています。
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村尾政樹

あなたは、子どもの貧困という言葉を聞いてどのように感じますか?

昔と比べて日本は経済的に豊かな時代となり、あまり実感が沸かない人もいるかもしれません。もしくはパッと聞くと「みんな大変な中で暮らしているのに何を言ってるんだ」と、贅沢や甘えに感じてしまう人もいるかもしれません。

子どもは未来ある豊かな存在

子どもの貧困は、その定義の難しさや見えにくさなどから論争が起こっています。「本当にそんな子いるの?」。「何とかしなければいけない」。「いや、自己責任だろ」。それらのなかには、必死に生き抜こうとしているからこその冷たい言葉を聞くこともあります。小6で母親を自殺で亡くし「自分のことは自分でやってね」と言われて独りあがき続けた身として、何だか気持ちが分かってしまう部分もあります。

それでも、ひっかかる言葉がいくつかあります。そのひとつは、「心の貧困」です。心の貧困とは、経済的な貧しさと対比して心が貧しい意味合いで使われています。支援者の人からも、悪気なく「お金の問題だけじゃないよね」と、この言葉を聞くこともあります。

本心は違ったとしても、聞くたびに「問題なのはお金じゃなくて、心が貧しいことが問題なんだ」と聞こえて、もやもやします。今まで様々な子どもたちと出会ってきましたが一人として心が貧しいと感じる子どもはいませんでした。

春休みに開いたキャンプでは、大雪となりスタッフはひやひやとしたのですが、子どもたちは雪合戦や雪のすべり台、雪だるまをつくって思い切り楽しんでいました。キャンプに参加した子どもたちは、普段は我慢を強いられることも多く、使い余しているエネルギーをスタッフのお兄さん・お姉さんたちに遠慮なくぶつけてきます(笑)

むしろ、子どもは本当に豊かな存在です。生まれ育つ環境によって、その豊かな育ちを奪われてしまう状態が「子ども(が育つ環境)の貧困」なのではないでしょうか。問題の所在は子どもを取り巻く環境など支える私たち社会側にあるのに、心の貧困はその所在を子ども個人に向けてしまう危険性があります。

心の貧困は貧困によって辛い思いをさせてしまっていることを言いたいのだとしても、誤解を生むかもしれない言葉です。

必要なのは、諦めない力より諦めずに済む環境

「報道で高校生に批判があり、冷たい言葉を聞くと、お金がないなら部活を辞めろと言われているように感じた。」

去年の今頃、母子家庭で育つ高校生1年生のCさんは笑顔でそう話してくれました。

Cさんは高校に入ったらずっとやりたかった部活動がありました。その部活動はユニフォームや用具だけでなく大会などで遠征があり、お金がかかります。先日も遠征があったのですが、お母さんは「それは申し訳ない、ごめんなさい」と伝え、部員の中でCさんだけ遠征に行くことができませんでした。

Cさんは「いいよ、別に」と話していたそうですが、ずっと笑顔だったお母さんが私と二人になった途端「子どもに辛い思いをさせてしまったのではないか」と悲しそうな顔で話をはじめました。

Cさんは恋愛の話になるとニヤニヤが止まらなくなる、どこにでもいる、かけがえのない高校生の一人です。お金に十分な余裕がないと続けることが難しい部活動や、どこか「お金がないなら部活を辞めろ」と簡単に切り捨てる風潮を感じさせてしまう私たち社会側に、責任の一端があるのではないでしょうか。

私は高校生のときに大学に進学する費用をアルバイトで貯めるために部活動を諦めた一人です。「だから甘えてる」のではなく、次の子どもは経済的な理由で諦めずに済む環境をつくりたい。Cさんに必要なのは、諦めない力より諦めずに済む環境です。

「子どもの貧困対策法」について

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村尾政樹

子どもは生まれ育つ環境を選ぶことができません。にも関わらず自己責任を押しつけ、子どもに「頑張っても無駄じゃないか」、「そういう運命なんだ」、「自分さえ我慢すれば良い」と厳しい現実を受け入れさせようとする。そのような理不尽があってはいけないと立ち上がったのは、自身も親を亡くし厳しい環境で育ってきた学生たちでした。

彼らは広く草の根から集まった奨学金を借り、多くの人から温かい支えを得ることで進学の夢を諦めずに済みました。しかし、親を亡くしたひとり親家庭より離別や未婚の方が多く、同じひとり親家庭なのに進学や様々な経験を諦めている現状に彼らは胸を痛めました。また、そのころ初めて子どもの貧困率が公表され、厳しい状況にあるのはひとり親家庭だけじゃない現実も突きつけられました。

その後、市民団体との連携や超党派で国会議員の力添えもあり、2013年6月に念願の「子どもの貧困対策法」が成立しました。2009年に初めて呼びかけた学生たちはすでに卒業し、後輩が思いのバトンを引き継いでやっとできた法律でした。自分たちのためではなく、次の子どもたちのためにと願う「血の通った」法律で、来年6月に法成立から5年が経過します。

まだ社会が捨てたものではないと信じたい

私も呼びかけをしていた当時の学生の一人です。法律ができる直前に仲間たちと「法律ができただけでは子どもやお母さんたちに大丈夫とは言えない。これからが本番だ」など夜遅くまで議論をしていました。法成立と同時期に勉強会を始め、国の基本方針を定める大綱が決まってからは自治体などにも対策推進の呼びかけを行いました。

当時と比べて認識は確実に広がり、各地で学習支援や子ども食堂などの取組みも増えました。対策はひとり親家庭に支給される手当の拡充や給付型奨学金の創設、教育無償化の議論にもつながり、少しでも子どもたちにとって良かったと感じられる法律であることを日々切に願っています。

一方で、理解が伴う形で認識が広がったかのかについては課題が残ります。このことについても書く機会をつくりたいと思いますが、これ以上、傷つく子どもが増えてしまってはいけません。法成立5年が近づく今、改めて子どもの貧困について知ろうとしてみませんか。

「母子家庭で育ち、勉強を頑張りたいと思うけど、結局お金がないから進みたい進路へ進めないかもしれないし、頑張っても無駄じゃないかと思ってしまう。」

高校生を中心とした委員会の会議で、参加してくれた子が背中を小さくして涙ながらに語った言葉です。この言葉を言わせてしまっているのは、私たちです。なぜ子どもが涙しなければいけないのでしょうか。最後は子どもたち自身が自分の未来に一歩を踏み出すしかありません。それでも、一歩踏み出そうと思える環境をつくるためには、皆様のお力添えや寄り添う姿勢が必要です。私たちが背負わせている社会の理不尽は、大きすぎます。

今一度、みんなで一緒に考えてみませんか。私は信じています、この社会がまだ捨てたものではないということを。

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村尾政樹