映画『Inside Out』を観て考えた科学リテラシー

脳科学を研究対象とする私にとっては、さらに興味深い内容だった。
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FILE - In this Monday, June 8, 2015 file photo, Lewis Black, center, attends the Los Angeles premiere of
Dan Steinberg/Invision/AP

気温16℃のロンドンから直行便で26℃の羽田へ、そして仙台は20℃。今回の出張は、東北大学とリヨン大学他との連携によるELyT Schoolでの講義に他の訪問を合わせて、5泊7日でパリ、リヨン、ロンドンの3都市を周るというものだった。ロンドンはUniversity College of Londonの先生方と、国際共同大学院のための打合せを行って、比較的感触は良かったのだけど、まだ何か公表できる段階ではない(興味のある方は、どうぞ個別にお問合せ下さい)。

帰路はロンドン―羽田の直行の夜便。同行の国際交流支援室の先生はANA便で、同じ時刻に出発だったので、お互いに同じ便だと思いこんでいたら、私の方はJALでターミナルが違っていた(苦笑)。ともあれ、「今公開されているInside Out(邦題はインサイド・ヘッド)という映画が面白いから、ぜひ観て下さい」と言われていたので、帰路の機上で2回観た(笑)。なぜ2回かというと、字幕日本語の英語バージョンと日本語バージョン。その違いも含め、内容がとても興味深かったので記しておく。

ディズニーとピクサーによるアニメーション映画であるInside Outの主人公は、ライリーという11歳の女の子、というよりは、彼女の頭の中にある「感情」を擬人化したキャラクターたち。中でもJoy(字幕や日本語版ではヨロコビ)がいわば裏ヒロインなのだが、その他にSadness(カナシミ)、Fear(ビビリ)、Disgust(ムカムカ)、Anger(イカリ)というキャラクターがいる。物語は、ライリーの生まれたばかりの頃、まだ、JoyとSadnessしかいなかった時代から始まる。徐々に感情が複雑に分化し、思春期を迎えたライリーが、ミネソタからサンフランシスコへの一家の引越しに伴って、落ち込んだり複雑な気持ちになったところから回復する過程が描かれている。一見、ネガティブな役割しか無いように思えるSadnessが、ナイスプレーをするところが盛り上がるポイント。

もちろん、ディズニー映画であるから、困難の末のハッピーエンドが待っているし、家族愛など外せないテーマが通奏低音になっているので、子どもたちだけでなく、どんな世代の方でも安心して観られる作品だ。ピクサーのアニメーションのさらなる進化を堪能することも可能(ライリーの髪の毛、ライリーの想像上の生き物Bing Bongの体などの質感や、微妙な動作の人間らしさが際立っていた)。脳科学を研究対象とする私にとっては、さらに興味深い内容だった。

物語の中で、「記憶」は一つ一つが小さなボールとして表され、楽しい記憶には黄色、悲しい記憶は青、怒りは赤などの色が付いている。その記憶は眠りの間に整理されて、headquarter(司令部)からlong-term memory(長期記憶)に運ばれるモノとそうでないものに選り分けられる。中でもcore memory(大事な記憶)が中心となって集まった記憶からfamily island、friendship island、hockey island(ライリーはホッケーのチームに入っている)などの「島」を形成しており、それらの「島」の集合がライリーのパーソナリティーを形成している、という設定になっている。ストーリでは、引越し後のトラブルでライリーと家族や友達との絆の危機が訪れ、「島」が崩れていく様子は非常に心を揺さぶられるものであった。

また、長期記憶として貯蔵されたボールの中で、必要ないものは記憶の捨て場所に捨てられる(電話番号は携帯に登録したから大丈夫、米国の大統領はワシントンとリンカーンだけ覚えて入れば良いなど)。今までの経験で怖かったモノなどは「潜在意識」のエリアに格納されている、寝ている間は「思考」の列車が走らない、「夢」の作られ方、「抽象化」の表し方など、とても興味深いものだった。概ね、現在の脳科学で合意されている捉え方に則っており、アニメーションとしての具現化に際してツッコミ処はあるにせよ、子どもたちがこういう映画で、心をかたち作る脳の働きや、それがどんな風にしてできているのか、できてきたのかなどに興味を持ってくれたらいいなと思った。

残念だったのは、英語バージョンと日本語バージョンを比較すると、英語ではlong-term memoryなど、専門用語をそのまま使っているのに、日本語では「記憶の貯蔵庫」などの非専門用語に言い換えているケースが多かったこと。とくに、字幕よりも台詞の方にその傾向が著しかったのは、耳にしてすぐに理解できないと良くないと思われたのだろう。だが、こういう「科学」の入り口になるような内容の場合には、あえて専門用語を残すことも考えてもらえたらと思った。子どもが「長期記憶って何?」と訊かれた親が答えてあげたり、「一緒に調べてみようか?」とインターネットで検索することに繋がる方が、次世代の科学リテラシー向上のためにはずっと素晴らしいように思える。逆の言い方をすれば、このような点でも、英語圏の子どもたちと、日本語で育つ子どもたちの間に、科学リテラシーのギャップが生じてしまうのだ。子どもは面白いと思えば、ミクロパキュケファロサウルスのような難しい恐竜の名前だって簡単に記憶できる。しばらく使わなくて忘れてしまった言葉も、後で呼び起こすことも可能だ。大人になってから新しく覚えるよりも飲み込みが早いだろう。

ちなみに、原題のInside Outには、もともと「裏返し・あべこべ」という意味があるのだが(これはこれで、思春期の子どもの混乱した感情を表す)、邦題の「インサイド・ヘッド」のように「脳の内側でどんなことが行われているのか外に表してみた」という意味も持たせている。さらに、一言も触れられてはいないが、原題にはちょっとした洒落が入れてある(と、筆者は思う)。実は、長期記憶が貯蔵されているとされる大脳皮質の発生過程におけるでき方は、脳の内側から順に外側に神経細胞が積み上がっていくのでInside-out patternと呼ばれるのだ。これは、大学学部か大学院レベルの専門用語だが、この映画を子どものときに観た方が大人になって、神経発生の基礎を学んだときに「あ! あの昔、観た映画のタイトルと同じだ!」と気づいたりしたら、どんなに素敵なことだろう。

ともあれ、この映画、9月末の市民公開講座(下記参照)のネタとして使わせてもらいます♬

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(2015年9月6日「大隅典子の仙台通信」より転載)