大津・保育園児事故の記者会見から堀潤さんと考えた、被害者の取材はどこまで必要か

メディアを取り巻く環境は大きく変わった。私たちメディアは、そろそろネット上のメディア批判と正面から向き合うべきではないだろうか。
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大津市で5月8日にお散歩中の保育園児が犠牲になった事故で、発生からわずか半日で行われたレイモンド淡海保育園の記者会見が大きな波紋を呼んだ。泣き崩れる園長に対して感情を揺さぶるような問いかけをするメディアの取材が批判された。

私自身、子どもを保育園に通わせる母親だ。事故そのものが他人事とは思えず、一言では言えないほどのショックを受けたし、8日夜の記者会見は正視できなかった。

一方、私は、昨年12月まで毎日新聞社で働いていた。事件や事故の取材も経験があり、被害者の周辺取材の意義も理解しているつもりだ。もし自分が取材者だったら、とも考えてしまう。

 

被害者側の取材はどこまで必要か。記者会見でのメディアの取材は妥当だったのか。ネットで批判されたポイントを含め、これを機に改めて考えたいと思い、ジャーナリストの堀潤さんに話を聞いた。

 

被害者の取材は、なぜ必要か

大きな事件や事故が発生すると、メディアは「現場」に殺到する。

最初はその地域に取材拠点を持つ新聞社やテレビ局、通信社。より大きな事件事故であれば、東京などから記者やレポーターらが「応援」に駆けつける。テレビは番組ごとに取材チームなどが現場入りするため、同じ会社の記者がバラバラに取材をすることもある。

何が起きたのか、どうして起きたのか、どんな状況だったのか。警察や消防などの公的機関、現場の目撃者や被害者、加害者、街の人たちに話を聞く。大津の事故では、ハフポスト日本版も警察や消防に電話取材した。

発生直後に公的機関から得られる情報はごく僅かで、情報も錯綜する。警察が把握していない情報もあるし、時にはあえて事実を隠すこともある。事実を伝えるのが仕事である以上、メディアは「被害者側」の話も聞いて、できるだけ全体像に迫ろうとする。もちろん、取材を断られることも少なくない。

事件や事故の被害者取材は、記者にとっても気が重い仕事だ。

私も2005年から約6年間、新聞記者として事件や事故の取材をした。亡くなった被害者の遺族や親しい関係者にコンタクトを取る時は、相手を傷付けてまで取材する必要があるのかと葛藤したし、相手が少し遠い関係の人であれば、どのぐらい被害者本人の「人となり」を知っているのか、果たしてそのコメントが「真実」なのかと悩んだ。

それでも被害者がどんな人物で、なぜ事件や事故に巻き込まれたのか取材をするのは、社会全体で失った命の重みを受け止めるためだ。どうすれば同じような悲しい事件や事故を防止できるか考えるためだ。

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時事通信社

取材中の葛藤や疑問、目を背けていないか

だが、会見を見て、当時の葛藤と心の底に押し込めていた疑問が蘇った。本当に今の報道でその目的は達成できているのだろうか。事故の理不尽さや悲劇は、園長が「泣き崩れるシーン」や園児の様子なくても、十二分に視聴者や読者に届いているのではないだろうか。

NHK出身の堀潤さんは、被害者側の取材についてどう考えているのだろう。尋ねると、「取材する側が自分に言い訳をしない方がいい」と答えた。

「本当に正直なところを言えば、テレビはやっぱり撮りたいんです。質問を投げかけて、言葉が出ないところ、泣きの映像を撮りたい気持ちがあるんです」

「自分に嘘をつかない方がいい。撮りたい泣きの映像があるでしょう? ちょっとした功名心もあるでしょう? 撮れた!と思ってる自分もいるでしょう? 悪意はないし、それが必要な時だってある。でも、そのアプローチ、本当に必要なの? 昔から変わらない取材スタイルだけど、批判もあるし、そもそも本当にそれって意味があるのかな……。 こういう本音の自問自答を記者は現場でするべきだと思います」

私が取材を担当していた10年前は今のようにSNSが発達していなかったため、読者の声を聞く機会も少なかった。「どういう形で、被害者側の声を届けるのか良いのか」をメディア側の勝手な理想論ではなく、SNSを通して、実際の読者の反応をもとに考えることができる。

 

「お気持ち」報道は本当に必要?

今回の事故で保育園側が開いた記者会見が批判されたポイントも、被害園児の普段の様子や被害園児への気持ちを問う質問だった。

「(亡くなった2人についた)どのようなお子さんであったのか、ご存知の範囲で結構ですのでお話しいただけますでしょうか」(NHK)

「園児たちにどういった言葉をかけてあげたいでしょうか」(テレビ朝日)

「お散歩に出発する直前の園児さんの様子はどういったものだったでしょうか。いつもと変わらない様子でしたでしょうか」(産経)

いずれも回答者に園長を指名し、答えながら園長が泣き崩れると、カメラのシャッターを切る音が大きくなった。

私を含め、多くの視聴者が正視できなかった場面ではないだろうか。現場のカメラ記者も、葛藤を抱えながら取材していると聞く。

「情報」よりも「感情」を引き出すためのこうした質問を、堀さんは「お気持ち報道」と呼び、「ニュース番組がエンターテイメントの一つとして消費されている」と指摘する。

「ショーアップしたい、感情を引き出す『お気持ち』報道がしたい。悪意を持ってやってるんじゃないんです。見てほしいし、考えてほしいから。でもね、それは安直なんです。実際にやっていることは、強い刺激的な言葉で大衆の耳目を引きつける、どこかの国の大統領と変わらないですよね」

「そもそも、園長が通常の精神状態でないのは誰が見ても明らかだった。嗚咽にまみれて絞り出すように答える人に質問を続けて、きちんと信頼できる情報が取れるのでしょうか? テレビはもう、泣きの映像が入ったから冒頭5秒泣きを見せて…というような安直な作り方はやめた方がいい。私たちはプロとして取材をしているんですから」

 

ニュースをエンタメとして消費しないために

では、どう伝えれば、本当の意味で「事件事故報道の意義」に適うのだろう。

堀さんは「そろそろメディアはセンセーショナリズムから脱して、丁寧に、冷静に、淡々と、つまらない取材をするべきです」と言う。

「この国には、何年も同じような苦しみや悲しみと向き合ってきた交通遺族や遺児がたくさんいます。登校中の事故で子どもを失った親御さんが、どんな思いで今もなお我が子を悼んでいるのか。自分の生活を取り戻したのか、取り戻せなかったのか。今こそ話を聞かせてほしい。今日だから、あの日の出来事を伝えたい、というアプローチもできるはずです」

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時事通信社

納得しつつも、思わず「本当に?」と聞いてしまった。本当に、自分が取材者でもそう提案できますか?

「実際、そういうこともあったんですよ。有名女優が薬物使用の疑いで逮捕された時、他のメディアは本人や関係者のところに殺到しましたが、僕は断りました。みんなと同じ取材をする意味ありますか?代わりに薬物使用経験者を取材するから、と啖呵を切って…。mixiで覚せい剤コミュニティーというを見つけて、取材を申し込んだら10人くらい取材に応じてくれる人が見つかりました。みんな、今だからこそ自分の体験を話したい、と思ってくれたんです」

「もし僕が今回の事故で保育園の会見に行けと言われたら、会見は現場の記者に任せましょうと言って、過去に交通事故で子どもを亡くした親御さんやガードレールの設置状況などを取材したと思います。仮に会見場にいたとして、『もう園長に質問するのはやめませんか?』と提案したし、会見を仕切る幹事だったら、『園長先生はご無理なさらず、退席されて構いません。理事長と副理事長がお答えください』ときちんと話が聞ける状況を作ったと思います」

 

繰り返された、園の危険認識を問う質問

記者会見をめぐっては、「園の責任を追求しているように見える」という批判も挙がった。散歩コースや引率体制を確認したり、事故現場を危険だと認識していたかを尋ねたりす質問が、そう受け止められたのだろう。

だが、私も記者会見に出席していたら同じ質問をしたと思う。園の責任を追及するためではなく、保育士や園では防ぎようがない事故だったことを確認するためだ。

ただ、そんな私でも違和感を覚えた質問があった。「最後」と指定された質問が終わり、会見を終了しようとした矢先のことだった。

「最後もう一点だけ、テレビ●●です(聞き取れず)。園としては車の動きなど今日の事故についてどのように認識されているのでしょうか」

聞いていた私も、意図が分からず戸惑った。事故を起こしたドライバーへの怒りを引き出したいのだろうか。対応した理事長と副理事長も戸惑ったのだろう。続けて次のようなやりとりが行われた。

 <副理事長>
交通量が多いとか少ないとかそういうことですか?どうですか?(理事長に小声で)
<理事長>
(小声で)今日の事故?(記者に向かい)今日の事故について?
<記者>
今日の事故の発生について、どのような状況を園として認識されているんでしょうか。
<理事長>
(小声で)今日の事故、今日の事故で…
<記者>
ではすみません。普段の交通量の問題ですとか、交差点の、昔から事故があったという情報もある中で、そういったところどう認識されているんでしょうか。
<理事長>
……。交通量は多いと。普段は多いと聞いております。ただあそこは渋滞、そういう時は車がゆっくり走ると聞いております。そんな風な…
<記者>
普段から少しは危ない場所という認識だったんでしょうか。
<理事長>
我々、外で遊ぶ、限られた資源の中で外で遊ぶということをしていく中で、前の道路は必ず出ないといけないと思います。その中で最善のコース選びだったり方法をとっているとは思います。

30分足らずの会見の中で、事故現場の危険性を認識していたか尋ねる類似の質問はそれまでに2回あり、過去に危険を感じたことはなかったこと、どんな場所であっても最大限の安全対策を行っていたと回答されている。

このタイミングで敢えて再び質問するのは、「交通量が多い危険な道路をコースに選んでしまった」という園側の反省を引き出したい意図があるからのように感じられ、不要な質問だと私は思った。

 

無駄な質問はない。

だが、堀さんの考えは異なる。

「質問が悪いですよね。聞きかたの問題だと思います。これまでに危険を感じるようなことは過去にありましたか、ということですよね。彼は彼なりにあそこの現場を知っていて、ここ危ないよなと普段から思っていたのかもしれない。それを聞き出すのはある意味大切な作業だったと思います」

「ちゃぶ台を返すようですけど、僕は無駄な質問ってないと思うんです。とんでもない質問が、すごくいい答えを引き出すことはよくある。ただ質問自体は大いに謗られればいい。批判されたら反論するなり謝るなり、記者も発信して議論したらいいんです」

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堀潤さん
撮影:幡野広志

たしかに、3度目となる質問で、改めて「外遊びのためには、たとえ交通量が多くても事故現場の道路は必ず渡らないといけない。その中で園として最善策を講じてきた」という回答を引き出したことには意義があったのかもしれない。

 

分断は埋められるか?

ただ、記者が発信して取材意図を説明したとして、今回の記者会見にとどまらず、メディア不信は広まっている。「マスゴミ」と罵るバッシングとの分断は、埋められるのだろうか。

「歩み寄れますよ。取材者側が一生懸命に説明をすれば」

意外にも、堀さんからは楽観的な答えが返ってきた。

「メディアってまるで頑固なラーメン屋。俺の作ったもんは黙って食え。残すなら食うな、文句言うなら帰れってね。不満やクレイムは全部スルー。素人考えで俺たちプロの仕事に口を出すな、という目線すらありましたよね。そうじゃなくて、『麺が固いな』『じゃあ柔らかくしようか』『味変わったんじゃない?』『まじか?』みたいなやりとりが、カウンターと厨房でできるラーメン屋になりましょうよ、と」

「僕らにはこういう意図があったんです。今は考えが変わりました。でも僕たちには、こういう理由で譲れない一線もあるんです。この部分は至らなかったと思いますーー。記者側もこうやって反論なり説明なり、もっと発信をしたらいい。その上で、じゃあどうしたらいいメディアが作れるのか一緒に考えましょう、と誠実に対話しないといけないのです」

 

約1時間半の堀さんへの取材を通し、改めて実感した。

この10年でメディアを取り巻く環境は大きく変わった。SNSの発達で、今は報道がどう受け止められているかが可視化されるようになった。

私たちはなぜ報道するのか、どう報道するのか。そのために何を、どう取材するのか。テレビや新聞などの大手メディアは今回のバッシングをスルーするのではなく、取材の手法や意図についてもっとオープンにしていくべきだ。

メディアの内部には様々な議論の蓄積があっても、社会にうまく伝わっていない部分もあると感じる。一方、加害者の呼称が議論を呼んだ池袋の母子死亡事故では、理由を説明する記事が掲載されるなど、大手メディアも変わり始めている。私たちウェブメディアも一緒に、ネットのようなパブリックな空間でもっと議論を尽くすべきだと思う。

 一方、ネット上のメディア批判は単なる誹謗中傷も多い。メディアに不信感を持っている人も「マスゴミ」とただ罵るのではなく、これからのメディアにちついて一緒に考えてほしい。

今回の議論を次に生かすために、私も引き続き考えたい。

 

*記事中に出てくるメディアと会見出席者のやりとりは、ハフポスト日本版が会見に中継映像(テレビ東京・現在はページが削除)を元に書き起こしたものです。

*検証のために、会見で質問をした報道機関名を掲載しています。掲載理由については別の記事「大津事故の記者会見、質問する記者の社名は公表すべきか」の中で説明しています。