秋篠宮さま、眞子さんらへの誹謗中傷「許容できるものではありません」。皇室へのバッシング「今後も多分続く」と私見

皇室批判やバッシングには「基準作り」が必要と述べ、小室圭さんの会見での対応については「自分の口から話をして、質問にも答える、そういう機会があった方が良かった」と振り返られた。
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56歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さま=25日、東京都港区の赤坂東邸
時事通信社

秋篠宮さまが11月30日、56歳の誕生日を迎えられた。

それに先立って臨まれた記者会見で、長女の眞子さんと小室圭さんの結婚に触れ、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された眞子さんの体調に影響を与えたとされる週刊誌による報道やネット上での誹謗中傷に対し、自身の考えを述べられた。

バッシングや事実と異なる一部の報道についての質問には「何かやはり一定のきちんとした基準を設けてそれを超えたときには例えば反論をする、出すなど何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います」と回答された。

誹謗中傷は「許容できるものではありません」

記者から週刊誌報道やネット上の書き込みをどのように思われるかと問われた秋篠宮さまは、以下のように考えを述べられた。

週刊誌これは文字数の制限というのはあります。一方で、そのネット上のものというのはそういう制限がほとんどないわけですね。それなので、その二つは分けて考える方が良いのかと思います。

 

娘の複雑性PTSDになったのが、恐らくその週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうとは思いますけれども、私自身それほどたくさん週刊誌を読むわけでもありませんけれども、週刊誌を読んでみると、非常に何と言いましょうか、創作というか作り話が掲載されていることもあります。

 

一方で、非常に傾聴すべき意見も載っています。そういうものが、一つの記事の中に混ざっていることが多々あります。ですので、私は、確かに自分でも驚くことが書かれていることがあるんですけれども、それでもって全てを否定するという気にはなれません。

 

一方、ネットの書き込みなど、これも私はそれほど多く見ることはありません。

 

何と言っても、一つの記事に対してものすごい数のコメントが書かれるわけですので、それはとても読んでいたら時間も足りませんし、目も疲れますし、読みませんけれども、中には確かに相当ひどいことを書いているのもあるわけですね。

 

それは、どういう意図を持って書いているのかは、それは書く人それぞれにあると思いますけれども、ただ、今そのネットによる誹謗中傷で深く傷ついている人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。

 

やはりそういうものについて、これは何と言いましょうか、今ネットの話をしましたけども、誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。以上です。

アメリカで新生活を始められた眞子さんへの今の心境について問われると、「本人たちがアメリカで生活すると決めたわけですから、それが本人たちにとって一番良いことなんだろうと思っています」とした上で、小室さん側の対応については「やはり私としては自分の口から話をして、そして質問にも答える、そういう機会があった方が良かったと思っております」と振り返った。

今後も皇室へのバッシングを懸念「基準作りをしていく必要ある」

眞子さんと小室さんの結婚に際し、秋篠宮家に向けられた批判やバッシング。記者は「今後、佳子さまや悠仁さまが御結婚される際にも今回と同様の事態が繰り返される可能性も想定される」と指摘した。

これに対し、宮内庁と話し合って新たに対応策を検討するかと問われると、秋篠宮さまは次のように考えを述べられた。

いろいろな報道がなされて、中にはバッシングと取れるものもあります。

 

それらのことについて1回ごとに対応しないというのは、記事というのはある一定の長さがあるわけで、その中の一つだけをこれは違うというふうにして、例えば宮内庁のホームページに載せたりとかそういうことをした場合に、それではほかの事柄については全て正確なことですねということになり得ると私は思います。

 

一方で先ほども少し近いお話をしましたけども、記事の中にはもちろん創作もあれば正確なことを書いていること両方混ざっているわけですね。

 

一つを取り上げてそれは違うと言うこと、もちろん言うことはできますけれども、そうしたらやっぱり、ここも違うし、これは正確だしというのを全部説明していかないと本当はいけないのではないかなと思うのですね。ただ、それは大変な労力を費やすと思います。

 

一方でもし、そういう今言われたような関係の記事に対して反論を出す場合にはですね、何かやはり一定のきちんとした基準を設けてその基準は考えなければいけないわけですけれども、それを超えたときには例えば反論をする、出すとかですね。何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います。

 

今、おっしゃったように今後もこういうことは多分続くでしょう。その辺も見据えて宮内庁とも相談しながら何かその今言ったような基準であるとかそういうものをですね、考えていくことは私は必要だと思っております。

眞子さんを送り出した一人の父親としての思い

一人の父親として眞子さんを「どのような思いで送り出されたのか」と問われると、お気持ちを述べられる中で、秋篠宮さまは“ある場面”を次のように懐古した。

元気で暮らしてくれればいいなという気持ちでしょうかね。

そういうことを最後に言ったつもりなんですけれども、ヘリコプターの音で全てかき消されてですね。向こうも何か言ったのですが、結局、何も聞こえずに終わりました。

それで、以前は近くにと申しましたけど、今、世界中どこに行ってもかなり近くなりました。先ほどのリモートの話ではないですけど、何か連絡を取ろうと思えば取れるわけですし、顔も見られるわけなのでそれはいいのかなと思います。