「推定無罪」を無視した高畑裕太氏事件を巡る報道・放送

弁護人が、不起訴処分になった事件についてこのようなコメントを出すのは異例だ。

8月23日に、強姦致傷罪で逮捕された俳優高畑裕太氏が、昨日(9月9日)、不起訴処分となり、釈放された。同氏の弁護人は、以下のようなコメントを発表した。

今回、高畑裕太さんが不起訴・釈放となりました。

これには、被害者とされた女性との示談成立が考慮されたことは事実と思います。しかし、ご存じのとおり、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れません。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではありません。

一般論として、当初は、合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。

このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません。もっとも、このようなタイプではなく、当初から、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして、無理矢理性行為を行うタイプの事件があり、これは明らかに強姦罪が成立します。違法性の顕著な悪質な強姦罪と言えます。

私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。

しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。

平成28年9月9日

弁護人が、不起訴処分になった事件についてこのようなコメントを出すのは異例だ。そうでもしないと、「強姦魔が、金に物を言わせて、被害者と示談し、処罰を免れた」というような憶測に基づくバッシングが続くことが懸念されたからであろう。

弁護人としては、「被害者」側の了解がなければ、このようなコメントはできないはずだ。被害者との間での示談も、実質的には、「強姦」というほどの事実ではなかったことを被害者側が認めた上で行われた可能性もある。

高畑氏及び弁護人の側が、そのような懸念を持つのも当然と思えるほど、同氏の逮捕以降の報道は異常だった。「人気俳優が重大な性犯罪で逮捕された」として、連日、ワイドショー等でも大々的に取り上げられた。

この時点で、客観的に明らかになっていた事実は、「強姦致傷での逮捕」だけであり、それ以外に、本人や弁護人のコメントはなく、「容疑を認めている」という情報についても、警察の正式コメントか否かも不明であった。

にもかかわらず、逮捕が報じられた後、「俳優高畑裕太が悪質重大な強姦を犯した極悪非道な性犯罪者」だということが、ほとんど確定的事実のように扱われ、母親の高畑淳子氏が記者会見の場に引き出されて、300人もの記者から過酷な質問・追及を受け、その場面での高畑淳子氏の発言までもが事細かに取り上げられていった。

しかし、報道されていた断片的な事実などからすると、果たして、強姦致傷の事実があったか否か自体が、疑問な事案であると言わざるを得ない。強姦の被害申告をしてきたのが、被害者本人ではなく、被害者の「知人」であるというのは、あまり一般的ではない。

通常であれば、他人には明らかにしたくない事実であって、それが、事件後短時間の間に知人に話し、その知人がすぐに被害を届け出ている。また、態様にしても、ビジネスホテルの客室という周囲に音が聞こえやすい場所なので、被害者が抵抗したり、大声を出したりすれば、すぐに周囲に発覚するはずだ。なぜそのような場所で「強姦」をしようとしたのか、疑問がある。

私は、「示談の成否にかかわらず、起訴される可能性は低いだろう」と考えていた。そのことを、ブログで書こうかとも思ったが、重大な性犯罪で有罪になることを決めつける圧倒的な報道・放送の中で、それを否定する方向での意見を述べでも理解されるとは思えない状況であったので、フジテレビのバイキングという討論番組に弁護士コメンテーターとして出演した際に、「強姦致傷といっても、様々な事案がある。まだ逮捕されただけの段階であり、起訴されるかどうかもわからないのだから、重大な犯罪を行ったとの前提で先走って話をすべきではない」ということを繰り返し述べるにとどめた。

この件に関する同番組への3回目の出演となった8月30日、ある出演者が「これは凶悪犯罪」という発言をしたため、さすがに放置できないと考え、少し踏み込んだ発言をした。以下は、その時の発言内容である。

郷原)凶悪犯罪という言い方は絶対適切じゃないと思いますね。まず、まだ起訴もされていないんです。現時点であまり決め付けたものの言い方は絶対すべきではない。弁護人の立場から言わせてもらうと、「会見」というのは、弁護人としては好ましくないですよね。まだ認否も明らかにしていないわけです、弁護人は。本当にあの強姦の事実を認めているかどうかということも全く正式には何のコメントもないんですよ。

しかし高畑さんが、お母さんが会見をすれば、当然聞かれますよね、「本人は認めていましたか?」と。そこでお母さんが何と言ったかと言ったら、「ルールがあって聞いちゃいけないそうです。」と。そんなことないです。母親が面会に行って「あなたやったの?」当然聞きますよ。それを聞いたからといって面会が禁止になるという、そんなことはないです。

でも、だからと言って、それは嘘でしょう、なんてことは絶対言ってほしくないんです。そうやって息子が認めているのか認めていないのかということも、母親としては明らかにしたくないんですよ。

坂上)これは例えば、会見を開くということは、弁護士さんと相談していますよね。

郷原)していると思います。ですから、弁護活動という面で言えば、こんな段階で会見はしてほしくないですよ。

坂上)でも弁護士さんが、ある意味、GOを出したから、会見を開いたわけですよね。

郷原)そうでしょうね。もう致し方ないという判断でしょうね。その代わり、事件の中身についてはできるだけコメントしてほしくない。それがああいう発言につながったのかもしれないですね。

ヒロミ)じゃあ聞けることは聞けるんですね。接見の場では。

郷原)聞けます。

坂上)ただそこで変なやりとりというか、作為的な方向に行ったらダメってこと。

郷原)もちろん、罪証消滅の恐れがあるということになると、口裏合わせとかですね。そうなると接見禁止ということになるんですよ。でも、この事件ではありえないじゃないですか、被害者と加害者との間の一対一の話だから。それで面会ができなくなるということはちょっと考えられないですね。

ヒロミ)起訴されるか、されないかというのはどれくらいの時期に。

郷原)いろんな可能性がありますね、今後。ひょっとすると示談が成立して不起訴という可能性があるし、それに、捜査の結果、これは本当に強姦なのか、無理やりやろうと思ったんじゃないんじゃないかということが問題になって起訴できないという可能性だってありますよ

ここで発言しているとおり、この時点でも、不起訴処分は十分に予想されたことだった。

この種の性犯罪では、今回のように、被害者側の事情に加えて、今回のように不起訴で決着する可能性も十分にあるので、一般的には、逮捕されたというだけで、起訴前に事件が報道されることはほとんどない。

マスコミは、事件の性格に配慮している。この事件では、高畑氏が人気芸能人であり、しかも、逮捕時の罪名が「強姦致傷」というセンセーショナルなものだったために、逮捕の段階から異例の「前のめりの報道」が行われた。

このような「前のめりのマスコミ報道」を招いた原因には、弁護士等の専門家のコメントが、影響したことも否定できない。

強姦致傷という罪名で逮捕されたというだけで、まだ、どのような事案なのかは全く不明であるのに、新聞でのコメントやテレビ番組での発言の多くが、「強姦致傷」という罪名だけで長期の実刑になるのが当然のように発言するものであった。

逮捕直後のスポーツ新聞の記事では、「元検事の弁護士」が、「恐らく高畑容疑者は4、5年の実刑判決」、「強姦致傷罪の場合、裁判員裁判で行われるので、もう少し重い実刑判決を受けるのでは」「一般の方の裁判員は性犯罪に厳しい傾向がある。このため最近の性犯罪の量刑は重くなることが多い。

また強姦致傷罪は求刑通りの判決が出ることが多く、執行猶予が付くことは考えにくい」などと、高畑氏が強姦致傷罪で長期の実刑になるのが当然のようにコメントしているだけでなく、「手口や高畑容疑者のコメントを聞く限り、本当に初犯なのかどうかを疑いたくなる。手口が巧妙で、思いつきでやったとは思えない」などと、全く的外れな「指摘」まで行っているのである。

このような専門家コメントが、マスコミの「前のめり報道」を煽る結果になったことも否定できない。

今回の事件ほど、「推定無罪」という原則(「有罪判決が確定するまでは何人も犯罪者として取り扱われない(権利を有する)ことを意味する」(国際人権規約B規約14条2項))が著しく踏みにじられた例は他にないのではなかろうか。

一度犯罪者とされた人間が、不当な取扱い、辱め、迫害を受け、冤罪が繰り返されてきた不幸な歴史の中で、近代法の原則として、近代社会のルールとして確立したのが「推定無罪」である。

もちろん、有罪判決が確定するまで、「犯罪者」として扱うことが一切許されないわけではない。犯罪の嫌疑を持たれた時点、逮捕・勾留による身柄拘束、起訴、裁判で、本人が罪状を認め、それが公表されることなどによって、最終的に有罪となる可能性が高いと判断されれば、その程度に応じて、「有罪」との前提で取扱うことも相応に許容されるであろうし、特に、覚せい剤のように、本人が認めている限り、有罪判決になることはほとんど確実な事件であれば、逮捕段階から有罪視することも、それほど問題にはならない。

しかし、本件のような性犯罪では事情は全く異なる。事件の内容からして、起訴されるか否か、有罪判決に至るか否かには、多大な疑問があり、しかも、被害者の保護の要請もあるのであるから、逮捕の段階での事件報道は、極力差し控えるべきだった。

そして、そのためには、マスコミに対してコメントをする専門家の側にも、公表されている事実、明らかになっている事実から、客観的に事態を把握し、冷静になって、可能な限り正確なコメントをすることが求められていることは言うまでもない。

今回の高畑氏の事件に関する「前のめり報道」は、有名芸能人などの刑事事件に関する報道に関して多くの教訓・課題を残した。新聞・テレビ各社は、まず、これまで高畑氏に関して行った報道を真摯に検証し、不起訴処分・釈放という事件の結末と弁護人コメント等に照らして、不適切だったと考えられる報道や放送については是正措置をとるべきであろう。

しかし、現在のところ、マスコミにはそのような姿勢は全くうかがえない。新聞各紙は、高畑氏の不起訴処分に関して、「高畑さんの弁護人は書面で『被害者とされた女性との示談成立が考慮された』との見方を示した。」(毎日)などと弁護人コメントを引用して、あたかも示談成立が不起訴理由で、「強姦致傷」の嫌疑は否定されていないかのような書き方をしている。

冒頭に引用したように、弁護人コメントは、「示談成立が考慮されたことは事実だが、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れない。

お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではない」と述べて、示談成立が直接の不起訴理由ではないことを指摘し、反対に、「仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件」と明確に述べているのである。それを、弁護人コメントの一部を抜き出して「示談成立による不起訴」であるかのように書くのは、コメントのねつ造に近いものと言えよう。

今回の一連の報道で、高畑氏が受けるダメージや今後のマスコミ側の対応如何によっては、本件は、深刻な人権問題となり、訴訟に発展する可能性もないとは言えない。

(2016年9月10日「郷原信郎が斬る」より転載)