ヤンゴン最貧地区「ダラ」を歩いたから見えて来た、ミャンマーの急成長とその反動

ヤンゴンの対岸にある最貧地区「ダラ」をふらっと一人旅で訪れました。この地区には国籍がない人や不法滞在者も多くおり、犯罪も比較的多いエリアといわれています。

ヤンゴン随一の危険エリア!?

ヤンゴンの対岸にある最貧地区「ダラ」をふらっと一人旅で訪れました。この地区には国籍がない人や不法滞在者も多くおり、犯罪も比較的多いエリアといわれています。

ダラ地区へは、ヤンゴンのダウンタウンにある船乗り場からフェリーを使って10分ほどで着きます。

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▶日本が寄贈したフェリーでダラへ向かう。多くの人々が乗船している

このフェリーは日本政府から2014年に3隻寄贈され、運行されているものです。日本にとっても縁のある地域なんですね。

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フェリーでの移動中は、怪しげな現地人が巧みな話術で次々と話しかけてきます。ある人に至っては、ダラに到着後も後ろからついてきて、バイクを勝手にふたりぶん借りて、ガイドを始めようとしてきました。

やたら親しく話しかけてくる人たちは、すべて無視しましょう。大半がボッタクリです。

実際、ダラに到着するなり多くの客引きに遭遇しました。

バイクタクシーや人力車のサイカーなどの乗り物料金は法外な値段を要求してきます。1時間1000円なんてザラです。ヤンゴン市内での移動でさえ300円を超えることは滅多にないだけに、このエリアの外国人をターゲットとしたトラブルは特に多い印象を受けました。

私は意地になって徒歩で散策をしましたが、この料金トラブル以外は、ダラの町はミャンマーの田舎の風情を気軽に楽しめる、素晴らしい地域です。

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▶ヤンゴン市街地とはまた違った風情に癒される

孤児や貧民の村「バンブー・ヴィレッジ」へ

船着場から徒歩で30分ほどの場所にある孤児や貧民の村「バンブー・ヴィレッジ」に立ち寄って来ました。

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▶バンブー・ヴィレッジの入り口。小さな家々が並ぶ

私が予想していたほど治安は悪くなく、村内を歩いていると小さな子どもたちが次々に「ミンガラバ!」(こんにちは)と挨拶しながら笑顔で駆け寄って来ます。

彼らは草花をちぎっては、私にプレゼントしてくれました。

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▶私を見かけると元気に駆け寄って来てくれた子どもたち。人懐っこくてとてもかわいい!

衛生・医療事情は決して良いとはいえず、病や栄養失調などで長生きできる環境ではありません。村のはずれには火葬場がありました。

彼らには生活手段がなく、寄付で受け取るお米などを生活の糧にしているようでした。

私も微力ながら、近くの米屋で米を購入し(ここでも高額を要求してくるので、絶対に値切ること!)、袋に小分けした上で、一軒一軒家を訪ねて寄付をしながら村内を観察してきました。

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▶ボッタクリ米屋を値切り倒してお米を購入し、家々を回って寄付。村民の皆さんも手伝ってくれた

ひと通り見回して気づいたのは、働き手世代の若者をほとんど見かけなかったことです。

若者は小さな子どもか10代後半までで、20〜30代の若者がすっぽり抜けていました。自立できる年齢になった時点で若者は村を離れ、働きに出ているためだと思われます。

この村では、社会的に最も弱い立場の人たちが寄り添って助け合い生活しているのです。

スラム街と聞いていましたが、お米を配る際も運ぶのを手伝ってくれたり、お別れの間際に何度もお礼を言ってくれたりする人々ばかりで、とても温かい気持ちになれる場所でした。

ミャンマー成長の光と影

「アウン・サン・スー・チーさんがいれば、経済は、自分たちの生活はきっと良くなる!」という漠然とした期待をミャンマーの人々は抱いています。

実際にヤンゴン市内の発展の勢いは凄まじく、目まぐるしいスピードで変化を遂げています。

一方で、それらの変化に取り残されてしまった人々に、ヤンゴン市内をほんの少し離れた場所で、こうして出会うこともできます。ミャンマーの光と影を垣間見た想いがします。

スーチーさんの来日などもあって、日本でも新聞やニュースなどでミャンマーの情報を知る機会も増えていると思います。ひとりでも多くの方に実際にミャンマーに来ていただき、日本国として、日本人としてミャンマーに貢献できることを考えてもらえたら嬉しいです。

一番良いのは、この国に移住し、貴重な労働力として貢献いただくことですね。

ミャンマー創生! お待ちしております。

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ライター

D徳/D-toku

福岡県出身。中学は1ヶ月のみ登校、高校は未進学。フリーターとなって全国を旅して回る傍、大検を取得。09年に大学卒業後リクルート(現・リクルートライフスタイル)新卒入社。人口1万人の長野県小布施町役場に出向し、2年間、交流人口拡大と移住定住促進を担当。15年にリクルートを退職し、佐賀県庁に入庁。地方創生部門立上げ後、2016年3月に退職、突如フィリピン・セブ島へ。学生時代含め10年間携わってきた地域活性化の分野と日本から離れ、2016年4月よりミャンマーへ移り住む。

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