東芝問題に見る、会社の危機は個人の危機?

東芝の不適切会計問題については、上司のパワハラで担当者が不適切な会計処理に手を染めざるを得なかった、上司にノーと言えない文化が問題だと報道されています。
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Toshiba Corp. CEO Hisao Tanaka, center, bows with chairman Tadashi Muromachi, left, and executive director Keizo Maeda during a press conference to announce his resignation at the company's headquarters in Tokyo, Tuesday, July 21, 2015. Tanaka stepped down Tuesday to take responsibility for doctored books that inflated profits at the Japanese technology manufacturer by 151.8 billion yen ($1.2 billion). Toshiba acknowledged a systematic cover-up, which began in 2008, as various parts of its sprawling business including computer chips and personal computers were struggling financially, but top managers set unrealistic earnings targets under the banner of âchallenge.â (AP Photo/Shizuo Kambayashi)
ASSOCIATED PRESS

東芝の不適切会計問題については、上司のパワハラで担当者が不適切な会計処理に手を染めざるを得なかった、上司にノーと言えない文化が問題だと報道されています。

上司に嫌われたら査定が悪くなって昇進に響くし、転職市場がさほど活発ではない日本では、転職しても東芝以上の職場がなかなか見つからないから上司の命令に逆らえない、などと当事者の話が内部通報の形でメディアで報道されています。

日経ビジネスの「社員が本誌に決死の告発 東芝 腐食の原点」はそういった内部通報がふんだんに書かれていて、読み応えがありました。

確かに自分がその状況に置かれたら、「絶対にそんな不正をやらないよう頑として上司に抵抗できる」かというと、私も自信はありません。

今回の不適切会計は不採算事業を延命させるため、リストラを回避し、現場の社員の雇用を守るためにやったという面もあるでしょう。

事件の問題の本質は、パワハラ・上司の命令に逆らえない文化よりも、不採算事業を放置してきた、代々の経営者の経営判断。事業をやめる決断をせずに、不適切会計で延命しようとしたならば、事業戦略の間違えこそが問題の根源ではないかと。

東芝が本当に利益追求主義なら、とっくの昔に不採算事業から撤退してるでしょう。実際は雇用を守ることも考え、やめる決断ができずにダラダラ続け、どうしても帳尻が合わなくなって、不適切会計になったのではないか。

ただ、損失の露見を永遠に先延ばすことはできません。不適切会計処理で数年赤字を隠し、リストラを回避できたところで、(もし不適切会計がばれなくても)いずれにせよ当該事業は巨大赤字を計上せざるを得ず、リストラは避けられなかったでしょう。

時間を稼いだだけの不適切会計のメリットはどれだけあったのか。

恐らく、あと数年で逃げ切れる、という一部の上の世代の方以外には、(不適切会計がばれなくても)さしてメリットはなかったのではないでしょうか。

というのも、東芝のような大企業であっても、専門性の高い技術者にとって、新卒で入社した企業に定年まで働き続けられることは難しくなっているからです。

私は1993年に東芝の半導体部門に入社しました。当時、東芝の稼ぎ頭はDRAMでした。日米半導体摩擦を引き起こしたように、DRAMは東芝のみならずまさにRising Sun、急成長の日本の象徴でした。

社内では「DRAMにあらずば人にあらず」などとも言われ、不採算の新規事業であるフラッシュメモリを開発している私たちは肩身が狭い思いをしていました。

一時は東芝の主力事業であったDRAMも韓国の三星電子や米国のマイクロンなどとの競争に敗れ、2001年には事業撤退に追い込まれました。

その結果、多くの優秀なDRAMの技術者が東芝を去っていきました。

DRAM撤退後に急速に伸びていったのがフラッシュメモリ事業でした。今ではフラッシュメモリは東芝を支える主力事業です。

しかし、フラッシュメモリ事業を立ち上げた立役者のエンジニアたちのうち、かなり多くの人達がライバル企業に引き抜かれていき、東芝を退職しました。

一緒にフラッシュメモリ立ち上げた先輩、仲間が東芝を去ることに寂しく感じながら、私も2007年に東芝を退職し大学に移りました。

こうして私が東芝で事業の栄枯盛衰を経験して痛感したのは、企業の幸せと個人の幸せは必ずしも同じではない。東芝のような100年以上も続く名門企業は、時には事業や従業員をリストラしながら、事業を変え続けて生き残るもの。

これは企業経営の観点からは決して間違っていませんし、東芝に限ったことでもありません。日立、三菱電機なども同様にリストラと事業ポートフォリオを転換しながら、生き残ってきているわけです。

ですから個人としても、過度に会社に期待せず、会社はスキルを身につけて次のキャリアに結びつける場であると、割り切ればよいのではないでしょうか。

退職した元東芝の優秀なエンジニアには、世界の舞台で活躍されている方もたくさんおられます。東芝で学んだことを活かして外で活躍しているわけです。

私にしても、東芝で多くを学んだからこそ、大学で研究室を運営できていると思っています。

さて、東芝の今後について、メディアについてようやく前向きな意見が出てきました。

アナリストの若林秀樹さんのインタビュー記事で、さすがですね。私も以前のブログ以前のブログ(「東芝のような巨大企業を経営する困難さ」)でオブラートで包んだ書き方で表現していましたが、東芝からフラッシュメモリ部門は独立した方が良いと思います。

決断のスピードが必要な半導体と原発など電力事業は違いすぎますから。

上記の若林さんの記事によると、もしフラッシュメモリ事業が分社化され、上場されると、時価総額は2兆円以上で、「親会社」の東芝には1兆円以上の売却益が入るだろうとのことです。若林さんは逆に東芝にフラッシュメモリ事業を残して、原発事業を東京電力に統合する案も出されています。

結局のところ、不適切会計がもし無かったとしても、事業は永続するものではありません。雇用も永続するわけではありません。

会社が生き残っても、個人がリストラされることは珍しくありません。会社の危機でも個人としてはチャンスに変えることもできるのではないでしょうか。

(2015年9月3日「竹内研究室の日記」より転載)