戦後70年の夏 劇的な印象残した2本のNスペ

8月にNHKで放送されたいくつかの映像が、「劇的な」印象を私の中に残した。
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戦後70年を迎えたこの8月、戦争というテーマに正面から向き合おう、というNHKの姿勢が例年にも増して目立っていた。8月10日に放送されたドラマ『一番電車が走った』(総合・午後7時30分)は、原爆から3日後に、焦土の広島で路面電車を走らせた実話を元にした物語。制作はNHK広島放送局、主演・黒島結菜の集中力ある演技も光った。取り組む意欲はひしひしと伝わってきた。

しかし、どうにも説明的なセリフが目立ち、一目でセットとわかる平面的な映像も多く、「肌感覚」を揺さぶる要素が十分に伝わらずドラマ世界にどっぷり引き込まれるというより、一歩離れて冷めて見ている自分がいた。注目のドラマだっただけに少し残念。

それに対して、8月に放送されたいくつかの映像が、「劇的な」印象を私の中に残した。

一つが8月6日に放送されたNHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』。

原爆が投下され、3000度の熱で焼き尽くされた広島。街角で何が起こったのか。その地にいた人は、いったいどんな様子だったのか。熱で「壊滅」した直後の様子は、70年たった今も、多くの日本人にリアルに伝わってはいない。

「その時」を撮影した写真が、2枚残る。

世界中でたった2枚しかないモノクロ写真。爆弾投下から3時間、爆心地から2キロの「御幸橋」で撮られたものだという。

ちりちりに灼けてまるでアフロヘアのように膨らんだ髪の毛の、セーラー服の少女。破けたズボン、焦げた服で路上に横たわる人。座り込む人。50人ほどの人たちが映る。

その写真が、テレビ画面の中で動き出した。静止画が、動画になったのだ。黒く焦げた赤ん坊を抱いた少女の手が、前後に揺れ始め、「起きて起きて」と細い声が響く。

ヤケドをした脛や足首を繰り返しさするようにして、手で油を塗り込む人。両手を突き出して歩く人。熱で皮膚が裂けてめくれ指先からだらんと垂れ落ちている。茶色のぞうきんを指先からぶら下げているように見える。

写真を見た時は、「ずいぶん昔のこと」のように古めかしく感じた。遠い時のむこうに見えた。しかし、それが動き出すとたちまち目が吸い付けられ、画面に釘付けになった。

「今目の前で起こっていること」のように生々しくなった。人の「気配」を感じた。もし自分の皮膚だったら、と思うと、「激しい痛み」が伝わってくるようだ。

この「動画」は、いったいどのように作られたのか。

NHKのスタッフが2枚のモノクロ写真をもとにして、御幸橋にいた人、そこを通った31人の生存者を尋ね歩き、目撃した光景について証言を聞き取ったという。写真はデジタル技術で不鮮明な部分をクリアに加工された上、皮膚科医や時代考証の専門家による検証を踏まえ、皮膚の色などを追加し、フランス公共放送F5との国際共同制作によって写真をベースとした精巧なCGとなった。

色彩が加わり動きが加わると、風景は突如、リアルになる。たとえ擬似体験ではあっても、見ている人の皮膚感覚を通して被爆地の状況が伝わる。「動画」の力はとてつもなく大きい。そう実感した。

もう一つ、強く印象に残った映像がある。翌8月7日、やはりNHKスペシャルで放映された『憎しみはこうして激化した ~戦争とプロパガンダ~』。

サイパン島でアメリカ軍に追い詰められた日本人女性が、高い崖から海へと、赤ん坊を放り投げる。その後続くように、自分も身投げする。画面が切り替わると、海面にはうつぶせになった赤ん坊が黒い固まりのようになって浮かんでいる。

「バンザイクリフ」から女性が飛び降りるそのシーンは、実はこれまで何度か見たことがあった。

しかし、その前に母親が自分の赤ん坊を投げるシーンが存在していたことを、初めて知った。水面に赤ん坊が浮かぶ映像も、初めて見た。映像から受ける衝撃が一段と大きくなった。

焼けただれた皮膚、自決、遺体といった映像は、戦争のありのままを伝える「不都合な記録」であり、時の経過の中で次第に人目に触れないよう編集されたり隠されたりしてきたのだろう。しかし、この8月に放送されたNスペの映像は、はっきりと語っていた。

「皮膚感覚に訴える要素をとってしまったら、戦争のリアルは伝わらない」と。目をそむけたくなるような現実は、しかし実際に起こったことだ、と。

原爆直後の御幸橋の写真に映っていたセーラー服の少女は、生き残って高齢になっていた。

「私だけ残ったのは、伝えるためですかね。だから生かされているんですかね、分かりません」

女性の言葉が耳に残る。戦争を伝える作業はまだまだ達成されていない。この8月に見たいくつかの映像が、そう語っていた。