奈良美智さんが「NO WAR!」という画集を出した理由【戦後70年】

終戦から70年という節目の年、安倍政権が進める安保関連法案は国民的な議論を呼んでいる。この夏、私たちは戦争や安全保障についてどう考えたらよいのだろうか。2014年末に戦争をテーマにした画集「NO WAR!」(美術出版社)を上梓した国際的な現代美術家、奈良美智さんに聞いてみた。なぜ、この画集を出したのですか?
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画集「NO WAR!」より。Untitled 2004-2005 (c) Yoshitomo Nara, courtesy of the artist

終戦から70年という節目の年、安倍政権が進める安保関連法案は国民的な議論を呼んでいる。この夏、私たちは戦争や安全保障についてどう考えたらよいのだろうか。2014年末に戦争をテーマにした画集「NO WAR!」(美術出版社)を上梓したのは、国際的な現代美術家、奈良美智さんだ。

画集をめくると、怒った顔が描かれた爆撃機が飛び、女の子は核戦争のキノコ雲が掲載された新聞を開いている。「あきらめるなんて 死ぬまでないはず」という言葉とともに、零戦とおぼしき、たくさんの飛行機が空を埋めつくす。いつになく、明確なメッセージをこれらの作品から受け取れる。今、どうしてこの画集を出そうと思ったのですか? 奈良さんに「戦争」のことを聞いてみた(文中敬称略)。

■通った小学校は、旧日本軍の兵舎だった

――「NO WAR!」の冒頭、奈良さんは生まれ故郷の青森県弘前で過ごした少年時代のことをテキストで書かれていますね。小学校の校舎が旧日本軍の兵舎だったり、廃墟になった弾薬庫や武器庫で遊んだり。終わった戦争の「気配」がそこかしこに残っていたわけでしょうか?

奈良:僕は1959年生まれで、戦争が終わってから14年が経っていましたが、当時の日本――1960年代の頃ってまだ地方格差が激しくて、中心地の戦後復興と地方の戦後復興にすごい時間差、温度差があったと思います。

弘前には元々陸軍の師団があったんですけど、そういう軍隊に利用された建物や施設がいっぱい残ってました。だから、新しいものを造るよりも、もうそれを利用するっていう発想がまず生まれたようで、昔の兵舎が小学校だったり中学校だったり、遊び場が昔の砲弾庫、弾薬庫跡だったりしました。

――奈良さんは戦後生まれですが、子どもの頃にそういう場所で過ごされて、戦争のイメージがご自身の中で大きくなったわけですか?

奈良:そうですね。戦後と言っても、僕が生まれたのは1952年のサンフランシスコ条約調印で日本が主権を回復してから7年目です。間接的に戦争はまだ身近にありました。普通、小学校は子どもにとって丁度いいサイズに作られるはずですよね。でも、そういう小学校だったので、子どもには天井が高くて、廊下が広くて、教室が大きい感じ。なんか体のサイズに合わない、なんだかホラードラマの世界みたいでした。そして、軍服を着た若い男性の遺影が、どこの家にも飾られていました。

ただ、子どもの時はそういうところに育ったとかは、今だから思うことであって、当時は何も考えてなかった。普通に野山を駆け回ってたりしてたんだけど、中学校に入ったあたりからすごく音楽が好きになって。小学校の頃から、ラジオのチューニングを合わせると、三沢基地(青森県にある航空自衛隊唯一の日米共同使用航空作戦基地)の米軍放送が聴こえるので、ずっと聴いてたのね。

その放送は非常用にも使われることを想定してて、24時間かけ続けないといけないんだけど、難しい番組はなくて、ほとんどリクエストで音楽ばっかり流す番組が多かった。それで、中学を卒業する頃にはすっかりアメリカの音楽に夢中になっていました。その音楽が耳について離れなくて、レコード屋さんで思い出せる限り好きだった曲のメロディとか、サビとかを口ずさんで、レコードを探すようになっていくのね。

■音楽や映像を通して、ベトナム戦争を知る

――1970年代に入った頃でしょうか。当時、アメリカはベトナム戦争末期でした。

奈良:そうですね。米軍放送の音楽が入り口で、そこからいろんな音楽――公民権運動のフォークソングだったり、反戦や反核のロックであったり、フラワームーブメントや愛と平和を求めるヒッピーの人たち――いろんな世界を知っていき、身近ではないけど、戦争っていうものがこの世にはあるんだっていうリアリティーが生まれた。特にベトナム戦争は、初めてテレビや報道カメラマンたちが入った戦争だったので、テレビや雑誌で戦争をリアルタイムで感じられたし、どうして英語の米軍放送があるのかとかも理解したんだよね。

まだ子どもだから戦争自体を真剣には考えられないけど、世の中でうやむやになってることや、社会の中で隠されているもの、道徳的に考えておかしいようなことは、全部音楽や報道写真を通して教えられた。特にベトナム戦争関係の歌は、心を打つものばかりでした。例えば、ただただ戦争反対って言ってんじゃなくて、兵士に「君はそれでいいんですか?」と優しく語りかけるような歌や退役後の憂鬱を歌うものもいっぱいありました。

ちょうどそういう時に、この間お亡くなりになった哲学者の鶴見俊輔さんが、反戦思想を持ったベトナム戦争の脱走兵をかくまったりとか。何が正しくて、何が正しくないのかっていうのは、絶対に教えられているものじゃなくて、いろんな考え方がたくさん存在している。それで、自分はどっちなんだっていったら、報道写真やロックっていう表現の方の肩を持ってる!って思ったんですよね。

中学生や高校生ぐらいだから、政治のことは詳しくはわからないけど、その音楽の持つ誠実な強さに惹かれました。当時の音楽っていうのは今ほど商業主義に走っていなくて、アメリカの音楽史上に残る1969年の「ウッドストックフェスティバル〜愛と平和の3日間」とかが有名だけど、コミュニティー感、仲間感がありました。

映画でもベトナム戦争をテーマにした作品がたくさん作られていて、ちょっとシュールな「ジョニーは戦場へ行った」とか、ドキュメンタリー作品「ハーツ・アンド・マインズ」なんか、忘れられない。ベトナムを空爆する爆撃機は、沖縄の基地から飛び立っていったんですよ。70年代後半でもフランシス・コッポラの「地獄の黙示録」やマイケル・チミノの「ディア・ハンター」とか、ベトナム戦争の映画には、鬼気迫るものがいっぱいあって、そういうカルチャーを通して、戦争自体、特にアメリカが起こしている戦争が自分の関心レベルの上の方にくるようになりました。そして、反戦としてのベトナム戦争映画は現在までずっと作り続けられてる。それはきっと、実際にカメラが入りこんだおかげで、制作者たちはみんなリアルな映像を観ていて、今もなにかしら訴えたいものがあるからなんだと思います。

■21歳の時から、「NO NUKES」を描き始めた

――中学生、高校生の頃から、ずっと大人になるまで、「戦争」への関心は高かったのでしょうか?

奈良:その後、高校を卒業して上京するんだけど、そしたら青春自体が楽しくなるから、社会のことから離れて自分の世界に入っていって、もうあんまりそういうことも考えなくなった。世界のどっかで何かが起こってるとかも考えなくなったのが高校出てから20歳ぐらい。2年間くらいは目の前にあることだけへの反発とか、欲望のままに暮らしてて……。

――ちょっと想像つきません(笑)。

奈良:うん、想像つかないと思うんですけどね(笑)。かなりワイルドに生きてました。でも、また意識が戻ったのが、1979年にアメリカで起きたスリーマイル島原発事故の後でした。その時、ある写真雑誌にアメリカの若者が反核デモをしている写真が載っていて、その中にティーンエイジャーと思われる女の子が2人、顔にいわゆるピースマークをペイントしていたんです。それがねえ、めちゃかっこよかったんですよ。それで、そういえば自分は60年代、70年代とずっとピースマークが付いてるような音楽を聴いてたっていうのを思い出して。

その写真に何を感じたかっていうと、嘘じゃない世界。その「嘘じゃない」っていうのは、実際にそういうことが起こったことよりも、そのティーンエイジャーたちがそれに反対する意志を表明してるということ。やらされてるわけでもないし、大人社会のように何か計画があってやってるわけでもなく、実際にこれはなんとかしなければと思ってやってる。そういう嘘のない切実さ、嘘のない説得力がその写真にはあった。しかも、かっこいいなと思っちゃった(笑)。

思ったことをはっきり言うことは、かっこいいことなんだ、だから、それまでは、本当に自分さえよければいいというふうに流されていた時期があったような気がするんだけど、その頃から、ちょこちょこ落書きとか、絵描く時の下図みたいなものに言葉が入るようになった。1982年にはもう既に「NO NUKES」を勝手に描いたりしていましたね。

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画集「NO WAR!」より。反原発デモでシンボルとなった作品。「No Nukes」1998 (c) Yoshitomo Nara, courtesy of the artist

――「NO NUKES」と描かれた奈良さんの作品といえば、福島第一原発事故に端を発した反原発運動のデモで、参加者の人たちがプラカードに使用したことが記憶に新しいですが、源流をたどると、スリーマイル島原発事故がきっかけだったのですね。

奈良:だらだら難しいことたくさん唱えるのではなく、そういうシンプルなメッセージっていうのにも打たれたのね。ただ「NOナントカ!」と叫んでみても、何かがすぐに変わるわけでもなく、そのようなテーマが時々、出てくる感じだったけど。ニュースでパレスチナがどうのとか流れると、自分が知ってる戦争物語――それが映画であったり、小説であったり、歴史の教科書であったり――そういうものからインスパイアされて、絵ができてきたりしてたと思う。

そういう感じで段々と、戦争や核っていうのはいけないんじゃないかという考えの基礎が自分の中で作られてきました。で、絵にも出てくるようになったけれど、それは個人的なものであって、社会に対して取り立ててなにか言ってやろうってわけではなかった。

■世の中の流れに不安を覚えて出した「NO WAR!」

――ところが、画集「NO WAR!」では、あえて明確なメッセージを出されていますよね。それはなぜですか?

奈良:うん、この画集を出したのは2014年なんだけど、なんでかっていうと、やっぱり自分の作品を見返してみると、反戦であるとか反核であるとか、そういうテーマがすごく多いんですよ。自分でもそれはわかってたんだけど、さっきも言った通り、それはあえて人々になにか言うものじゃなくて、自分の考えだから、見る中でそういうのを発見してもらえればそれでいいやと思っていたんです。

ところが、東北の大震災や原発事故以降の流れ、原発再稼働とか安保関連法案とか、そうした世の中の流れを見ている時に、「ちょっと待てよ」と思って。このままだと、おかしくなっちゃうんじゃないかと不安をすごく覚えた。今まではわかってくれる人にだけ、わかってもらえばいいやと思ってて、自分が描いてきたものを、今だったら自信を持って人前に、「僕はこういうことを考えてきたんだよ」っていうふうに出してもいいんじゃないか、いや、出すべきなんじゃないかって思ったのがきっかけなんです。

――初めて「NO WAR!」を手に取った時、その本としての作りに驚きました。綴じられていないのですね。新聞のようにページを一枚一枚、バラバラにして見ることができました。

奈良:まず、「本」という形にしたくなかったというのがありました。本ってすごくパーソナルなもので、電車に乗って読んでる時だって、隣の人が何を読んでいるか、本をのぞきこまない限り読めないですよね。そして、読み終わったら、本棚に入ってしまう。でも、こういうふうに大きな図版を綴じずに、文字もなくて絵だけがドンとあるような見せ方をしたら、どうしても開いた時に公共性が生まれるのね。

僕は広告にあんまり興味がないのだけど、広告的手法を採ることはいいのではないかと。たとえ一人で見ていても、その人がすごいパーソナルな存在である以上に、もっと開かれた社会を意識するんじゃないかなと思いました。この画集を自分の部屋に貼ってもいいし、町で掲げてもいい。

――「NO WAR!」が拡散していくイメージですね。

後半に続く】

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Photo: Minami Tsukamoto

■奈良美智さん略歴

1959年、青森県生まれ。1987年、愛知県立芸術大学大学院修士課程修了後、1988年にドイツへ渡航、デュッセルドルフ芸術アカデミーでマイスターシュウラーを取得。2000年に帰国した。主な個展に2001年「I DON'T MIND,IF YOU FORGET ME」(横浜美術館ほか)や2010年「Nobody's Fool」(アジア・ソサエティー美術館)、2012年「君や 僕に ちょっと似ている」(横浜美術館)など。ニューヨーク近代美術館を始め、国内外の美術館に作品が収蔵されている。2012年にTwitterで広まったドローイング「NO NUKES」(1988)が反原発デモのポスターとして掲げられ、話題を呼んだ。

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