サイボウズ式:「田舎だから無理」のいいわけはもう止める──課題の宝庫・海士町を日本の最先端にするには?

ヒト・モノ・カネのすべてがありません。あるのは、挑戦する機会と仲間だけ。
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地方創生の理想モデルとして注目を集める島根県海士町。日本海の島根半島沖合約60kmに浮かぶ、人口わずか2374人(2013年現在)の小さな島です。海士町には日本各地から人が集まり、地域活性化に取り組んでいます。

2015年11月6日に東京、20日に大阪で開かれる「cybozu.com カンファレンス 2015」の基調講演では、島根県隠岐郡海士町にある 隠岐國学習センター の豊田庄吾 センター長が登壇。これに先立ち、サイボウズの椋田が海士町を訪ねました。

豊田さんはなぜ海士町に移住し、海士町の教育を立て直したのか。地域が生き残るために何ができるのか──。

何の不満もない暮らしを捨てた理由

椋田:豊田さんは、海士町ご出身ではないんですよね?

豊田:はい。僕はここに来てから今秋で丸6年になります。

椋田:それまでは、どちらに?

豊田:生まれは福岡県の最南端にある大牟田です。その後、広島の大学に通って、就職してから海士町に来るまでは、東京、福岡、大阪で勤務していました。移住直前は東京にいましたが。

椋田:海士町に来るまでも、教育の仕事をされていたのですか?

豊田:教育というよりは、人材育成ですね。最初は新卒でリクルートに入社して、人事やWebのプランナーをしていました。30歳前くらいにウィル・シードという企業研修をしている会社に転職して、全国50ほどの自治体を回りながら、ビジネスゲームを通じて社会に必要な力を身につける場を提供する「出前授業」をしていました。

椋田:忙しかったんですね。

豊田:はい。とてもやりがいがあったし、それなりにお金も稼げていたので、生活にも何の不満もありませんでしたね(笑)。

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椋田:それなのに、どうして海士町に?

豊田:最初は「海士町の高校で出前授業をやってくれ」というオファーをいただいて...。

島に来て授業をしたあと、夜の飲み会で「実は、今日授業をしてもらった高校は、少子化で5年後には潰れる。どうにかこの状況を脱したいので、協力してくれないか」と言われました。

椋田:そこで一肌脱ごうと思われたのですか?

豊田:いえいえ、初めはていねいにお断りしました(笑)。半年後くらいに、また連絡がきたんですね。「60人くらいと面接したけれど良い人がいないので、話を聞くだけでいいから、もう一度きてくれないか」と。2009年の春のことです。

椋田:おぉ。

豊田:それでまた島にきて、いろんなプレゼンを聞いているうちに心を動かされて......。夜みんなでご飯を食べているときには「もう移住します」って言っちゃってました(苦笑)。

椋田:すごい!

「田舎であることを言い訳にしない成功モデル」を作りたい

椋田:そのとき豊田さんの心を動かしたものって、何だったんですか?

豊田:このスライドですね。

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椋田:これは?

豊田:今までの経済が最上位に来るような社会では、海士町のような地域って、アメリカという大きな船に追いつこうと、最後尾からなんとか追いつこうと必死でがんばっている負け組だったと思うんです。

しかし、高度経済成長が終わって、だんだんとこの向きが逆になって、持続可能な社会を目指すようになってきました。都市に集中した大量生産や大量消費の時代が終わり、「環境に配慮する」とか「都市と農村の交流」といった具合に、いろいろな価値観が見直されてきています。

同じような文脈で、教育でも従来の詰め込み教育ではなく、「生きる力」が重要視されるようになってきた。こうした時代の流れを受けて、これからは海士町が持続可能な社会の"タグボート"になるんじゃないかというのを示しています。

椋田:なるほど。海士町が時代の最先端になるということですね。

豊田:そうです。これを見て、純粋に「この青い船に自分も乗りたい」と思ったのが、移住を決めたきっかけでした。

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椋田:なるほど。

豊田:前職から比べると、4割引きくらいの給料しかもらえないので、なんで移住したのか不思議がられるんですけど、結構そのときは直感でしたね。「自分が行かなきゃ!」みたいな。

椋田:そういうものなんですね。

豊田:後になって移住の理由を整理して考えたのですが 、大きく2つあるのかなと思ってます。

1つは「島の人の危機感や覚悟に共感したから」。町長や島の人たちの、島の危機から脱出するんだという「本気」や「覚悟」に触れ、自分の経験や知識を生かして、島の人のためになりたいという思いが湧いてきたからですね。

もう1つは「田舎がいいわけをしないモデルを作りたかったから」です。田舎の人って、東京の人が企業と組んで何かしようとしても、"それは東京だからできるんだ"とか、"若者が出ていくんだから、どうしようもない"とか言って、すぐに悲観するんです。

でも海士町のような、過疎が進む地域のなかでも、一番条件が厳しいところで成功モデルを作ることができれば、他の田舎の人たちもいいわけができなくなるじゃないか、と思ったんです。

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椋田:地域活性には、もともと興味をお持ちだったのですか?

豊田:そうですね。僕が生まれ育った大牟田は炭鉱の町で、どんどん人口が減っていく姿を見てきていたので、「いつか故郷のために何か貢献したい」という思いは、小さいころからずっと持っていました。

いいわけだったら子どもでもできる。大人は覚悟を決めて、アイデアを出したり、アクションを起こしたりしながら、"現状を変える"という役割を果たさなければいけません

おこがましい言い方ですが、大牟田を元気にするためにも、大牟田より条件の悪い海士町で挑戦することで、間接的に大牟田に貢献できるといいなという思いは、常にあります。

海士町が直面した"高校廃校の危機"が意味するもの

椋田:豊田さんが呼ばれた時に、海士町が直面していた危機とはどのようなものだったのでしょうか?

豊田:多くの地域がそうだと思いますが、海士町も例にもれず、人口減少と超少子高齢化が進んでいました。また、地方交付税の大幅なカットにより、財政難にも苦しんでいました。

そういった状況を改善するために、海士町では行財政改革や、産業創出のチャレンジを行っていました。そんな中、新しい危機が訪れます。それが「教育の危機」です。

椋田:「教育の危機」とは何でしょう? 詳しく教えてください。

豊田:島根県では、「1学年21名を切った状態が3年続くと、高校が統廃合の対象になる」というルールがあります。島にある高校では平成20年の段階で、入学者が28名にまで落ち込んでいました。 海士町から本土までフェリーで3時間近くかかりますから、もし島に高校がなくなったら、高校生は島を出て、下宿しないといけなくなります。なかには、そのための仕送りができない親もいますので、家族全員で島を出て移住するしかなくなるんです。

椋田:なるほど。そうなると、ますます人口減少に拍車がかかりますね。

豊田:それだけではありません。生徒が減るということは、先生の数も減っていくということです。平成17年から20年にかけて、教員は19人から12人へと約4割が削減されていました。すでに物理の先生がいない状態でしたので、理系の大学進学も選択できません。

椋田:学力低下にもつながりますよね?

豊田:はい。当時は国立大学に進学できるのは、40人中1人いればいいほう。公立を含めても3~4人です。学力は島根県内で下から2番目でした

椋田:なかなか厳しいですね。県の教育委員会などからは、支援してもらえないものですか?

豊田:教育委員会としては、統廃合してくれた方が、経済的にも教員的にも教育的にも、ありがたいんですよ。だから統廃合の基準は作るけど、学校の活性化策は作らない、というスタンスでした。そんな環境だったので、当時は学校も荒れていてひどかったですよ。部室が燃えたり、近くに停めてある車が海に沈んだりね。

椋田:全国から入学希望者が集まる今となっては、想像もつかないですね。

海士町はこれからの日本の最先端

椋田:そんなピンチをどうやって乗り越えようとされたのですか?

豊田:海士町・西ノ島町・知夫村の3つの島の生徒が通う島前(どうぜん)高校を、生徒が「行きたい」、保護者も「行かせたい」、地域住民も「生かしたい」と思うような魅力的な学校にしようとしました。

具体的には、「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠の発展の会(魅力化の会)」を発足し、島前地域内の入学率向上だけでなく島前地域外からの入学数増を目指すことにしました。

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椋田:当時、島前地域内の入学率はどれくらいだったのでしょう?

豊田:45%です。残りは松江などの島外に出てしまっていました。この入学率を70%に引き上げるのを、ひとつの指標として設けました。

椋田:地域外から人を増やすと言っても、当時の現状では難しかったのでは?

豊田:そうなんですが、どんなに島の子どもの入学率を上げたとしても、島の子どもの数自体が統廃合の基準21名を下回ってしまうと潰れてしまうので、足りない分は外から呼ぶしかないと。

最初は仙台・福岡・広島・米子で説明会を開いても、参加者は0。東京ではかろうじて子どもが8名・大人が20名来てくれましたが、来たのは中学3年生ではなく、小学5年生の虫好きな子みたいな状態でした。こちらとしても「今は全然すごくないけど、これからすごくなるから来て!」としか言えませんしね......(苦笑)

椋田:そういった数値目標を達成するために、具体的にどのような取り組みをされたのですか?

豊田:大きく2つの打ち手を打ちました。まず島前地域内の入学率向上のために「塾を作りましょう」と。これが私のやっている「 隠岐國(おきのくに)学習センター」ですね。

当時、島外にどんな子どもが流出していたかというと、学力が高くて、やる気があって、親がお金を持っている子。この子たちが島内で大学進学を目指せる環境を作ろうということで、学校地域連携型の公立塾を設立しました。

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手前の建物が 「隠岐國(おきのくに)学習センター」。その上に見えるのが島前高校

椋田:もう1つは?

豊田:島前地域外からの入学数増のために、島前高校内に「 地域創造コース(まちづくりコース)」を創設し、地域協働型のカリキュラムを作ったのが2つ目です。高校だけが学校じゃなくて、地域の人たちも全員先生ととらえて、島全体を学校としてとらえる。それでも足りない部分はICT(情報通信技術)を活用して、グローカルに学ぼうというコンセプトです

椋田:聞いただけで魅力的ですね。

豊田:どちらの施策でも共通して目指していることは、"人の自給自足"です。「海士町が好きなんだけど、仕事がないから帰って来られない」と言っていた子どもたちを、「海士町のために、仕事を作りに帰って来るんだ」と言わせたい

結局、どの中山間地域や離島も直面しているのは、「既存産業衰退、若者流出、後継者不足、公共依存」という課題です。これを打破するためには、地域で新しい生業(なりわい)を生み出すことができる"地域起業家"的なグローカル人材を育てるしかない。とはいえ、ただ起業するだけではダメで。起業する人がいても廃業する人も多いのでね。

廃業した人が残した資源を生かして、世の中や地域の状況に合わせて、仕事のリノベーションするような継業ができるような人を育てる必要があります。

椋田:都会の人が惹かれる理由がわかってきた気がします。

豊田:海士町は課題の宝庫。ヒト・モノ・カネのすべてがありません。あるのは、挑戦する機会と仲間だけ

確かに今までの価値観のなかでは、東京は最先端です。でも、人口減少や少子高齢という日本の未来において、社会の様々なリソースが限られてきます。そんななかでも結果を出せる人間を育てるには、海士町のような厳しい制約のあるところで学ぶのが最適じゃないですか、という話です。

確かに、きついですよ。漁業ひとつをとっても、本土まで魚を運ぶのに時間のロスがあって、鮮度も落ちるし油代もかかるし。それに対して文句を言うのは簡単ですけど、それでも挑戦しようという文化が、ここにはあるんですよ。

後編に続きます。

執筆:野本 纏花、写真:川島 稔

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本記事は、2015年10月30日のサイボウズ式掲載記事「田舎だから無理」のいいわけはもう止める──課題の宝庫・海士町を日本の最先端にするには?より転載しました。