大川小裁判、証人尋問で津波直前の現場にいた目撃者を採用 真相解明に近づくか

遺族は司法の場に期待している。
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加藤順子

東日本大震災で学校管理下の児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の惨事を巡り、23人の児童の遺族19家族が市や県に国賠請求を求めた裁判は1月22日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で口頭弁論が開かれ、同校の当時の校長ら5人の証人尋問を4月中に行うことが決まった。引き渡し時に校庭の様子を目撃した保護者が証人として採用され、教職員で唯一、学校現場から生還したA教諭の証人申請については引き続き「留保」となり、5人の尋問の後、裁判所が採否を決める。

この裁判は、子どもたちの遺族が同校に津波が襲来するまでの約50分間、児童らが校庭に居続けたことについて、市側に詳細な経緯と原因を明らかにするよう求めて提訴したもの。これまでの5年間、未だ明らかにされてこなかった事実を目撃者らから得て、真相解明に近づくことができるか。遺族は司法の場に期待している。【加藤順子、池上正樹】

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口頭弁論が行われた仙台地裁

今回、新たに原告側から証人申請され、採用が決まったのは、地震後、学校に当時小学6年の娘を迎えに行った保護者。採用された5人の中でも、津波に襲われる直前に、校庭での児童引き渡しの現場に立ち立った唯一の目撃者だ。

原告側の吉岡和弘弁護士(仙台弁護士会)によると、この保護者は、地元民放ラジオの津波情報を聞きながら学校に娘を引き取りに向かい、14時52分頃から15時10分頃まで校庭にいた。この間、小学6年生の子どもたちが「山に逃げよう」と言って、教諭と口論している光景を目撃。ふだんは泣かない娘が泣いている異常な状態を見て、「津波が来ますよ」と担任に伝えると、「お母さん、落ち着いてください」などと、たしなめられたという。

また、娘を連れて帰る途中、学校とも深いつながりのあった地域住民が「津波が来る」と言って学校に駆けつけてきた場面にも遭遇したという。

証人尋問は、2日に分けて行われる。

1日目の尋問は、震災当時は別の学校にいたが、かつて同小の教頭時代に災害対応マニュアルの改訂などに携わり、震災後に指導主事として保護者や住民などからの聞き取り調査にも携わった現校長と、震災当時の校長の2人。

2日目は、地震直後に広報車で2度にわたり大川小前を通った市役所の支所職員のほか、前出の校庭の様子を目撃した保護者と、「山さ逃げよう」と主張したとされる当時6年の男児の父親で原告団長の今野浩行さんの計3人が証言する。

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証人に採用された原告団長の今野浩行さん。当時6年生の長男は「山さのぼろう」と主張したと言われる

また、原告が申請していた、震災当時、同市内の中学教諭であり、小学6年の娘を亡くした遺族でもある母親の証人尋問については、採用されなかった。

原告の遺族たちは、震災直後から「目の前に裏山があるのに、なぜ避難できなかったのか?」「広報車の“河川に近づかないでください”という呼びかけを認識しているはずなのに、なぜ避難先に選んだのが河川のすぐそば(堤防上の三角地帯)だったのか?」などの観点から、真実の解明を求め、これまで20人くらいから聴き取りをしてきた。

現場で児童らと共にいて唯一生還した当時の教務主任だった男性教諭については、地裁は引き続き「留保」とした。この教諭については、遺族たちから証人として採用するよう裁判所に対して強い要請が出されているものの、主治医が、体調や精神状態を悪化させると尋問に反対している。裁判所側は、他の証言を聞いた上で、さらに教務主任の証言が必要かを判断する方針だ。

一方、被告側の準備書面によれば、市は、当時、校庭から移動を始めた児童らに向かって、教頭が、「津波が来ていますので皆さん急いでください」と発言したことを、<「津波を目撃した」事実を裏付けるものではない>とし、教職員が津波を予見できていたとする原告側の主張に反論した。また県も、高知県でサッカーの試合中に落雷で亡くなった部活動事故の平成18年の最高裁判決や、平成27年の宮城県山元町立東保育所の高裁判決(上告中)を引き合いに出し、東日本大震災の特殊性を踏まえた上で予見可能性や予見義務の判断すべきとし、「学校の校庭から避難することを選択することが法的に義務づけられる程度の危険が迫っていることを予見するのはなおのこと困難であったとみるべきである」と主張した。

今後、A教諭の証人申請が採用されない場合は、6月頃に結審し、夏頃をめどに判決が下される見込みだ。

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4月の証人尋問で、校庭での出来事はさらに明らかになるか

写真家・ジャーナリスト加藤順子氏が追った大川小学校
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あの日、この校庭に子どもたちが待機していた(2014年3月11日 石巻市釜谷の大川小学校) (credit:加藤順子)
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教室で見つけた孫の遺品の国語辞書を見つめる(2014年3月11日 石巻市釜谷の大川小学校) (credit:加藤順子)
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大川小の児童23人の遺族が、市と県を相手取り、損害賠償を求めて仙台地裁に提訴した(2014年3月10日) (credit:加藤順子)
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記者会見を行ったのは8人の父親(2014年3月10日) (credit:加藤順子)
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会見中、苦しそうに目を閉じる遺族の中村次男さん(2014年3月10日) (credit:加藤順子)
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東京で行われた「DCI日本・子供の権利条約市民NGO報告書を作る会」主催のシンポジウムに向かう生存児童(2013年11月23日) (credit:加藤順子)
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「DCI日本・子供の権利条約市民NGO報告書を作る会」主催のシンポジウムで発言する生存児童の父、英昭さん(写真右、2013年11月23日) (credit:加藤順子)
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大川小学校遺族の佐藤和隆さん(写真左)と今野ひとみさん(同右) (credit:加藤順子)
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裏山にある津波到達点付近から見た石巻市立大川小学校(2012年7月9日) (credit:Yoriko Kato)
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石巻市立大川小学校校門前(2011年4月5日) (credit:Yoriko Kato)
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大震災からひと月足らずの大川小付近(2011年4月5日) (credit:Yoriko Kato)
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三角地帯から見た釜谷地区。住宅や商店が立ち並んでいた集落に残っていたのは、校舎と白い診療所の建物のみ (credit:Yoriko Kato)
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子どもたちがいなくなった校舎は、スズメたちの住処になっているのか、たくさんのさえずりが聞こえた(2012年7月10日) (credit:Yoriko Kato)
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校舎の裏山の斜面には、「津波到達点」と書かれた札が立てられている。学校の屋根とほぼ同じ高さだ(2012年7月9日) (credit:Yoriko Kato)
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裏山は、「立入禁止」の看板が立てられた。この付近に何ヶ所か、子どもたちが逃げようとしていたと思われる斜面がある(2012年7月9日) (credit:Yoriko Kato)
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月命日に献花台で手を合わせる人々。校舎や、児童が大勢見つかった山根付近で、手を合わせる遺族も見られた(2012年8月11日) (credit:Yoriko Kato)
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大川小の児童の遺族有志、8家族11人が石巻市教育委員会に質問書を提出したことを報告し、一人ひとり思いを語った(2012年6月16日、仙台市内) (credit:Yoriko Kato)
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小学6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さんは、話し合いの場で「いよいよ津波が溢れてきた時点であわてて逃げたのが川でしたよね。そこを大事なところだと認識して、説明していかなければいけないのでは」と石巻市教委の指導主事に問いかけた(2012年8月10日、石巻市) (credit:Yoriko Kato)
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被災当時6年生だった次女みずほちゃんは、家族のアイドルのような存在だった。たくさんの写真が並ぶ仏前で、取材に応じる佐藤かつらさん(2012年7月10日、石巻市内) (credit:Yoriko Kato)

加藤順子

ライター、フォトグラファー、気象予報士。テレビやラジオ等の気象解説者を経て、取材者に転向。東日本大震災の被災地で取材を続けている。著書は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社、共著)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社、共著)など。Yahoo! 個人 http://bylines.news.yahoo.co.jp/katoyoriko/

池上正樹

大学卒業後、通信社などの勤務を経てフリーのジャーナリストに。主に心や街を追いかける。震災直後から被災地で取材。著書は『大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち』(講談社現代新書)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)など多数。厚労省の全国KHJ家族会事業委員、東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会委員なども務める。ヤフー個人http://bylines.news.yahoo.co.jp/masakiikegami/