モテる艶女(アデージョ)は『コムスメに勝つ!』で一世を風靡した『NIKITA』【創刊号ブログ#2】

艶女は「モテる中年女性」として定義され、色気を有する大人の女性を表すまでになった。
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コムスメに勝つ!
たまさぶろ

ついうっかり連載をスポーツ誌からスタートしてしまったので、今回は艶っぽい女性誌の創刊号を取り上げる。

『NIKITA』は「ちょいワルオヤジ」のキャッチにより一世を風靡した男性誌『LEON』の女性版姉妹誌。『LEON』の読者と交流があるような女性をターゲットとして据えたのは当然と言えば、当然。表紙のキャッチ「コムスメに勝つ!」は創刊当時、すっかり「コムスメ」ではなくなった女性層を立ち上がらせたものである。雑誌名を知らずとも、むしろこのキャッチをご記憶の方もいるだろう。雑誌プロモーションの成功例と言える。

「たまさぶろ」を知らずとも『麗しきバーテンダーたち』をご記憶のバーテンダー諸氏が多いのと同じような例である(ちょっと違うか?)

『NIKITA』は、2004年9月28日に創刊。11月号としてこの世に出た。株式会社主婦と生活社より毎月28日に発売。発行人は坪中勇、編集人は岸田一郎。

少しでもメディアについてかじったことのある方にとって、この岸田一郎という編集長はかなりの有名人。1951年生まれの編集長となれば、出版社の元気がよい時期を過ごし、編集者としても出版不況の荒波に晒されることなく「逃げ切った」世代。いち編集者として非常に羨ましい世代である。ほんの10年ほどの世代の違いで、我々は逃げ切るどころか、会社にかじりついて生き残らなければならず、かつ定年したとしても喰って行けるかどうか切実な問題になって来たため、心底羨ましい。

岸田氏は大学卒業後、私のようなフリーランスとして活動していたそうだが、1979年に世界文化社へ入社。1988年に若者雑誌『Begin』を創刊。1993年に『MEN'S EX』を編集長として創刊している。どちらも野暮ったい、お洒落とは言えない男性誌と私は考えるが、そんな特徴が世の中を捕らえたに違いない。

岸田氏はそんな実績をひっさげ2000年末、主婦と生活社に引き抜かれた。2001年9月24日、『LEON』を創刊。「ちょいワル」は、流行語となり、その第二弾とも言える「ちょいモテ」は2005年の流行語大賞にもノミネートされたほどだ。二匹目のどじょうを狙う出版業界から、数多のちょいワル男性誌が発行ラッシュを迎えた。

その手法を女性版に発揮したのが、この『NIKITA』だ。『NIKITA』という誌名は、『LEON』同様、リュック・ベッソン監督の映画作品から名付けられている。1990年制作の映画『NIKITA』は、1994年制作の『LEON』ほどの興行成功に輝かなかったせいなのか、その後、リメイク作品が続いている。

ブリジット・フォンダの大ファンである私にとって、映画『NIKITA』がなければ、そのハリウッド版リメイクである彼女の主演作『アサシン(Point Of No Return)』(1993年)は世に存在しなかったことになるわけで、ベッソン監督により感謝しなければいかんかもしれん。1997年からはカナダでTVドラマとしてシーズン5まで続くリメイクが作られ日本でも『ニキータ』として発表されている。また、『ミッション・インポッシブル』シリーズや『ダイ・ハード』シリーズにも登場するマギーQの主演により2010年からアメリカでもリメイク・ドラマが作られているほど。ちょくちょく余談を挟むのは私の悪い癖である。

この雑誌では「コムスメ」を敵対視する手法により、ややお姉さん世代を取り込むことに成功したと言え、艶女(アデージョ)、艶男(アデオス)などの流行語を生み出した。「アデオス」は私自身あまり耳にした記憶はないのだが、「アデージョ」はそれなりに定着した模様。

私が贔屓にしている大森の名BAR「テンダリー」のオーナーのオリジナル・カクテル名が、まさに「アデージョ」。この一杯がまた格別なのである。

アデージョは、モテる中年女性として定義され、高収入のバリ・キャリアや裕福な主婦をターゲットに、色気を有する大人の女性を表すまでになった。まぁ、「熟女」というあたりがその層だろう。

『LEON』全盛期の創刊だけあって、かなり気合いが入っている。表4(裏表紙ね)には、ブルガリがドーンと構え、表2には資生堂が見開きで、表3にはアウディがやはり見開きを使用している。自分でアウディを購入するような女性って、ちょっと思い浮かばないけれども、まぁ、アデージョなら買うんでしょう。

巻頭の広告はなんと28ページ目まで延々と続き、当時の岸田氏の飛ぶ鳥を落とす勢いを感じさせる仕上がりになっている。1990年代『FMステーション』という雑誌で編集者を務めていた頃、編集長が台割をにらみながら出広を断らなければならない...と悩んでいたものだが、21世紀にもなってそんな状況を生み出すとは、岸田氏は恐ろしき編集長である。

10万部少々の雑誌を作りながら、広告収入は毎号5億円を記録したというほど。いやはや。私が入社した当時、『FMステーション』は50万部を記録したが、果たしてそれほどの広告収入があったかどうか...。

「コムスメに勝つ!」だけにその内容は、女性が「モテる」にこだわった。

特集は、「ファッション、ビューティ、ジュエリー、時計から立ち居振る舞いまで......。脱「若作り」!脱「無難」! モテる艶女(アデージョ)は「テクニック」でコムスメに勝つ!

その他も「艶男(アデオス)の本能に火を付けるゆ〜ったり口調の「こくまろトーク」、「足を組み替えるときだけ見せる禁欲?の「チラ赤」」などなど、女性があからさまに「モテ」に挑むとは、それはそれで現代に通じる「ダイバシティ」の先駆けだったのだろうか。いやはや。

『NIKITA STYLE BOOK』が別冊についている。「艶女的"大人買い"の心得10」と題された、なんとも物欲に訴えるテーマを扱っている。

これだけ華々しいデビューを飾った『NIKITA』ではあるものの、2008年1月28日発売の2008年3月号をもって廃刊となり、現在は発行されていない。もっとも大きな理由は、カリスマ編集長となった岸田氏が2006年9月をもって主婦と生活社を退社してしまったことだろう。以降、発行部数も広告収入も伸び悩んだ。

雑誌業界は派手に見えても所詮サラリーマン。どんなカリスマ編集長になろうが年収は1000万円に毛が生えた程度に収まる。実際、派手な記事ではあるが、主婦と生活社の原稿料も、一ツ橋や護国寺の出版社に比べれば見劣りするほど。独立し、自身のカリスマ性で勝負に出ようと考えるのは、ごく自然の流れだろう。彼が独立後にリリースした諸雑誌については、また別の機会に譲ろう。

『LEON』は健在で現在も男性誌業界を牽引中。同誌の中にNIKITA姉さんが現在でも頻出するのはご愛嬌だ。