低スペックでも、「ありたい姿」をあきらめない。大人こそ「HUGっと!プリキュア」を観るべき理由

「人生100年時代」のスキル勝負に疲れてない?
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「HUGっと!プリキュア」
公式ウェブサイトより

「人生100年時代」という言葉が飛び交っている。そんなに先の未来まで「きちんと考えなさい」と言われる世の中になるなんて、私は聞いてなかった。

スキルアップに、学び直し。発端となったベストセラー「ライフ・シフト」(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)を読むと、私たちは「生涯を通じて『変身』を続ける覚悟をもたなくてはならない」とまで書いてある。特に日本は超高齢化社会を目前にひかえる。

2017年には政府も「人生100年時代構想会議」なるものを設置。「必要とされ続けたいならスペックを上げないと」と外堀を埋められている気分になる。

私自身はおよそ半年前、会社を辞めてフリーランスの編集者・ライターに「変身」した。目の前のタスクをこなしながら、社会の変化にもキャッチアップして、自分の市場価値を高めて――。

生きるも死ぬも自分次第の世界はやりがいもあるが、数十年先まで「変身」し続けられるか、と問われると正直心もとない。書店でスキルアップやライフハックに関するビジネス書が飛ぶように売れるさまは、自分のスペックを手っ取り早く上げたい人たちの不安を表しているように見える。

「働く」というテーマを掲げる異色の設定

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プリキュアに追い詰められつつある敵の組織、クライアス社は中途採用を受付中
公式ウェブサイトより

ライフがシフトすると聞いて不安になっている大人に、ぜひお勧めしたいアニメがある。2018年2月から放送中の「HUGっと!プリキュア」(テレビ朝日系列など、毎週日曜)だ。

プリキュアって、小学校低学年以下の女児向けアニメでは......? そう首を傾げた人がほとんどだと思うが、まずはここで基本情報をおさらいしておこう。

プリキュアとは、敵に立ち向かうため、少女たちが変身する戦士の名前だ。ただ、どんな敵となぜ戦うことになるのかは、シリーズによって違う。

2004年から放送が始まり、「HUGっと!プリキュア」は通算15作目。「子育て」がテーマということで放送前から注目を浴びたが、大人にも刺さる理由はそこだけではない。プリキュアが戦う敵はブラック企業。「働く」というテーマも同時に携えた、異色の設定なのだ。

ブラック企業であるクライアス社の目的は、時間を止めて「未来を消滅」させることだ。ウェブサイトの社長挨拶では、その理由がこんな風に語られている。

「世に蔓延る(はびこる)明日への希望、そこに永遠はありません。未来は必ずしも明るいわけではないのです」

確かに、と大人ならうなずくだろう。成功した人たちはキラキラした「希望」を振りまくけど、器用に真似なんてできない。転んで立ち上がれる自信もないから、もはや現状維持のほうが気が楽。一方で変われない自分と付き合い続けることにも疲れた私たちに、クライアス社は「未来なんてない方が幸せ」とささやく。思考停止のススメである。

低スペックでも、「ありたい姿」をあきらめない

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序盤の山場、10話では自分を見失い変身できなくなる辛いシーンもあった
公式ウェブサイトより

これに異を唱えるのが、主人公の中学2年生、野乃はな(変身後はキュアエール)だ。はなは、主人公なのにスペックが低い。仲間のプリキュアは、運動能力が高かったり、分析力に優れていたりと目に見える強みがある。一方はなは「特に取り柄はない」と敵に見下されることもあるほど。

それでも、シリーズを通して印象的に使われるのがこのフレーズだ。

「私がなりたい、『野乃はな』は......」――。

例えば、プリキュアとして覚醒する前、クライアス社が放った怪物にひとりで立ち向かうことを決めた瞬間。襲われかけていた赤ちゃんを守るためだったが、怪物は自分の数倍を超える大きさで、スペックだけで見たら到底勝てそうもなかった。クライアス社にバカにされ、味方さえも心配する中、ここで逃げるなんて「私がなりたい『野乃はな』じゃない」と、踏みとどまる。その心が、プリキュアに「変身」する源になる。

一方、敵であるクライアス社も根っからの「悪」としては描かれていない。「社員」たちの身の上は完全には明らかになっていないが、プリキュアとの闘いの中でその苦しみが垣間見える。取り柄がなくて輝けなかったり、力不足で守りたかったものを守れなかったり......。彼らは、スペックにとらわれて「闇落ち」した存在なのだと私は思う。だからこそはなたちが主張する「私らしさ」をあざ笑い、攻撃してくる。

はなのなりたい「野乃はな」というのは、決して大それたものではない。作中では「大人っぽくて、優しくて、かっこよくて......」と等身大の表現で語る場面もあるが、本人もまだ、そのイメージを完全に言語化できていないようにも見える。

スペックありきで、自分の分際を決めない。「ありたい姿」を基準に考える。それが、はなの強さだ。時に自分の「何もできなさ」に苦しみながらも、この軸を絶対に手放さない。そんな彼女の姿は、社会に押し付けられるのではない「自分自身の物語」を生きることの大切さを、私たちに教えてくれる。

社会の押し付けへのアンチテーゼから始まったプリキュア

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15周年の節目とあって、伝説の「初代」が降臨する演出も。画像は37話より。
公式ウェブサイトより

そもそも15年前、初代「ふたりはプリキュア」が生まれたのは「女の子(というスペック)であればこう振舞うもの」という世の中の語りに対して打ち立てられた、切実なアンチテーゼからだった。

仁王立ちで、腹の底から叫ぶ。重めの打撃音を響かせながらの連続パンチや敵を床に叩きつける投げ技など、少年アニメも顔負けのアクションを繰り広げる。鷲尾天プロデューサーは、2018年2月28日付の朝日新聞デジタルの記事の中で「女の子がりりしく、自分たちの足で地に立つということが一番だと思って、プリキュアを作ってきました」と振り返っている。初代のキャッチフレーズは「女の子だって、暴れたい!」だった。

「HUGっと!プリキュア」のキャッチフレーズは「なんでもできる!なんでもなれる!」だ。それは15年前の原点を受け継いでもいるが、「女の子」という言葉は押し出していない。今作でプリキュアは、すべての生きづらい人たちを応援する存在へと新しい一歩を踏み出したように見える。作中には、男の子であるがゆえに社会から押し付けられる役割意識に苦しむ中学生も登場した。

「なんでもできる!なんでもなれる!」は誰のため?

社会は容赦ない。「人生100年時代だから」などと色々な都合で、自分を「変身」させるように促してくる。もちろん、変身は悪いことじゃない。でも「なんでもできる!なんでもなれる!」は自分のためであることが肝心なのだ。

私たちは、他人の都合や社会の視線を気にするうちに「ありたい姿」を見失い、スペックばかりを追い求めてしまいがちだ。自分のものだと信じていたはずの欲望や希望が、よく考えてみると他人のそれだった、ということも少なくない。

個人を自由にするはずのプリキュアの決め台詞「なんでもできる!なんでもなれる!」は、「自分以外の誰かのため」に使った瞬間、ブラック企業の論理にすり替わってしまう。実は、プリキュアとクライアス社は紙一重なのだ。

1年間続くシリーズも残り約2カ月、物語は最終コーナーに差し掛かっている。「変身」の希望と闇は、背中合わせ。そんな社会の「戦い方」のヒントを、プリキュアたちは教えてくれそうな気がする。

(文:加藤藍子 編集:泉谷由梨子)