「ひとりじゃないよ」虹のトラックが岡山発で全国へ。在仏書道家Maaya Wakasugiさんに聞く、アートとLGBTQ

中国地方初のプライドパレード『ももたろう岡山 虹の祭典2021』が11月28日(日)に開催される。ラッピングトラック「虹トラ岡山」のアートワークを担当した、岡山出身でオープンリー・ゲイの書道家、Maaya Wakasugiさんにインタビューした。
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中国地方初のプライドパレード『ももたろう岡山 虹の祭典2021(愛称:ももにじ)』が11月28日(日)に開催される。パレードの開催を記念してメッセージを届けるラッピングトラック「虹トラ岡山」が全国を走るプロジェクトがスタートした。

 

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ラッピングトラック「虹トラ岡山」
ももたろう岡山 虹の祭典2021

 

トラックの側面には「ひとりじゃないよ」「WE ARE ALL WITH YOU」のメッセージとともに躍動感のある8色の虹が描かれている。このラッピングトラックは岡山市の運送会社・岡田商運が提供したもの。今後5年間、運送業務を通じて全国を駆け巡る。

このトラックのアートワークを担当したのが、岡山出身でオープンリー・ゲイの書道家、Maaya Wakasugi(マーヤ・ワカスギ)さんだ。このプロジェクトへの思いや、フランスで同性パートナーと暮らす一人として日本のLGBTQをめぐる環境について聞いた。

 

 

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Maaya Wakasugiさん
Yoshiyuki Nagatomo

 

 

(プロフィール)

Maaya Wakasugi (マーヤ・ワカスギ) 1977年、岡山県生まれ。書道家。小学生の頃から書道を始め、高校在学中より世界的に著名な書道家、赤塚暁月の元で本格的に書に取り組む。大東文化大学在学中に田中節山に師事。大学時代にはドラァグ姿で書道のパフォーマンスを行う“書道クイーン”として活動。卒業後、美容、音楽、飲食などさまざまな業界での仕事を経験。2011年の東日本大震災を契機に書道家として生きることを決意し渡仏。2017年にはNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の題字を揮毫し話題となる。

 

8色の虹に込められた、さらなる包摂への思い 

現在はフランス、ボルドーに拠点を置き、世界的に活躍するMaayaさん。NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の題字を書いたことでも知られ、数少ないオープンリー・ゲイの書家としても注目されている。

そんなMaayaさんが、「虹トラ岡山」プロジェクトに参加することになったきっかけや、故郷への想いを語った。

「岡山は僕の生まれ故郷。今も93歳になるおばあちゃんが暮らしています。岡山と関わりたいということを常々、人に言っていたこともあって、今回お声がけいただきました。岡山はお堅い地域風土があって、わりと保守的なイメージがあります。おこがましいかもしれませんが、そこに僕のキャラで風穴を開けたいという気持ちがありました」

今回のデザインで特徴的なのはレインボーの色数。一般的なプライドフラッグで使用される6色ではなく8色になっている。これは1978年にアメリカ人美術家のギルバート・ベイカー氏が制作した世界初のレインボーフラッグと同じ。ここには、プライドの原点を見つめること、そして、さらなる多様性の包摂という思いを込めた。

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ももたろう岡山 虹の祭典2021

「LGBTQだけでなく、もっと多様な性のあり方があります。必ずしもセクシュアルマイノリティだけでなく、もっと多くの人にメッセージを届けたい。今、コロナ禍で大変な思いをしている人が大勢います。実は僕のおばあちゃんも外出がしにくくなったために足腰が弱ってしまった。同じように辛い思いをしている人、孤独を感じている人にも、一人じゃないんだよと伝えたいんです」

「とはいえ、そんな大袈裟に捉えなくても“なんか派手なトラックが通った!”って、少しでも明るい気持ちになってもらえればそれで十分かな」

先日、岡山の実家に帰ったMaayaさんは、おばあちゃんと一緒に「虹トラ」を伝えるテレビのニュースを見ることが出来たそうだ。

「おばあちゃんは『ええなあ』って言ってくれました。親戚もみんな『よかったよかった』と言ってくれた。伝わったかなという手応えを感じました」

 

書はラブレターであり呪いである

 

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Sii Udagawa

 

数少ないオープンリー・ゲイの書家として活躍するMaayaさん。歴史ある書の世界は保守的なイメージもあるが、どのようにして書道界に入っていったのだろう。

「小学生の頃から書道をやっていましたが、本格的にこの道に進んだきっかけは、通っていた高校でたまたま書道を教えていた書道家の赤塚暁月先生に出会ったから。授業中に、『うちに習いに来ないか』って誘われたんです」

赤塚先生の教えは、一般的な書とは少し違い、お手本通りに書く“お習字”に留まらないものだった。

「お手本もありますが、それとは別に好きな字を書いていいと言われたんです。すでに男の子が好きだと自覚していた僕は、好きな子の名前から一字を取って書きました(笑)」

「ノンケ(ストレート)の男の子への片思いが、書道家としての出発点と言えるかもしれない」と語るMaayaさん。当時、呪術的とも言えるような表現方法もとっていた。

「自分の髪に墨をつけて筆のようにして、好きな男の子の名前を書いたりしていました。今、考えるとなんだかホラーですよね(笑)。私にとって書はラブレターであり、同時にある種の呪いのようなものだったのかもしれません」

運命的な師との出会いから書の面白さに魅了されていったMaayaさんは、書道研究で知られる大東文化大学に進学する。しかし、そこは今までの赤塚先生の教えとは違う、保守的で堅苦しい世界。ある程度、想像はしていたもののやはり違和感を覚えた。

「その頃から新宿2丁目で遊び始めて、同時にクラブで書道をするドラァグ・クイーン、“書道クイーン”としても活動を始めました。書の世界は縦社会だし、保守的だから、自分がその中でやっていけるとは思えませんでした。それで、卒業と同時に書道の団体からは離れたんです」

「ただ、大学の恩師の田中節山先生はとても素晴らしい方で、今でも僕を応援してくれています。普通なら僕みたいに好き勝手なことをしている人間は破門されてもおかしくないのに(笑)。先日、20年ぶりにお会いしたんですが、『ジャンジャンおやりなさい』って励まされました」

 

“フランスに鍛えられたい”。ジムに行くような気持ちでボルドーへ

Maayaさんは大学を卒業後、美容師やメイクの講師、飲食店の店長など、さまざまな職業を経験しながら、定期的に個展を開くなど書道も続けていた。

転機となったのは東日本大震災だ。

“自分だっていつ死ぬか分からない。だったら好きなことをして生きよう”

そう考えて書道家として生きていくことを決意。同時にフランス、ボルドー郊外の片田舎に移住した。

「フランスは芸術家という職業がある国というイメージがありました。そういう国で鍛えられたいという気持ちが強かった。ジムに行くみたいな感覚です(笑)。当初はパリに住もうと思っていました。でも、パリは誘惑が多いからやめた方がいいって何人かに言われて、ボルドーに住むことにしたんです」

「友だちができるまでは孤独で本当に辛かったですね。毎日、“闇”っていう文字を書き続けていましたね(笑)。ただ、やはりフランスで良かったと思うのは、アーティストに対してリスペクトがあるし、お金を出して芸術作品を買うことが文化として根付いている。書道をやっていると言うと見る目が変わるんですよ。住んでいた部屋の大家さんが作品を買ってくれたり、クリマスパーティーで売ってくれたりしました」

「フランス人は漢字が読めないから書をデザインとして見る。墨のアートですよね。僕が病んだ気持ちで書いた闇っていう字を大家さんが“これキレイね”って言うんです。“これは、あのー……すごくいい作品ですよ!”みたいなことを言って売りましたけどね(笑)」

こうしたフランスの環境は、Maayaさんの書に対する意識、アートについての考え方に大きな影響を与えた。

「フランスに住み始めた頃は、龍という字をよく書いて見せていたんです。龍っていう字はハライ、トメ、ハネと見せ場が多いんですよ。テクニックを見せたい気持ちが強かった。日本で龍を書くと、“おおっ!”てなる。でもフランスの人は字が読めないこともあって“なに書いてるんですか?”って言われちゃうんです(笑)」

「それより禅のお坊さんが“◯”って書くとわーって盛り上がるように、初めてフランスで“一”っていう字を大筆で書いたらその場で作品が売れました。意味ではなく、そこに込めた僕のエネルギーを直接感じてもらっている気がします。だから、テクニックではなくありのままの自分で勝負しよう、と」

 

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Yoshiyuki Nagatomo

「そこから、いろいろなものを削ぎ落としていく作業をするようになりました。僕は師匠に“書は人なり”と教えられてきました。だから、嘘をつかずありのままの自分でいたい。いつでも、誰と会ってもMaayaでありたいんです。それがすべて書に出ると思うので」

 

ゲイバーに行かなくても、どこにでもゲイはいる

LGBTQをめぐる状況も、フランスは日本と大いに異なっていた。そのことを印象づけられたのは、Maayaさんがボルドーでゲイバーを探していたときに現地の友人から投げかけられたある言葉だったという。

「Maayaは『どうしてそんなにゲイバーに行きたいの?』って言われたんです。友だちや恋人を探したいからって答えたら、『わざわざゲイバーに行かなくてもゲイはどこにでもいるでしょ』って。それを聞いて、そうかゲイは特別じゃないんだと気付きました。ゲイだろうがレズビアンだろうがトランスジェンダーだろうが当たり前にその辺にいるんです」

「今、フランス人のパートナーがいて、彼の家族とも会いますけど、セクシュアリティについて話題になったことはありません。書道についてとか、東京についてとか、そんなことを聞かれます。PACS(パックス、パートナーシップ契約)も結んでないけど、日常生活で不自由を感じることもありません。そうするとゲイってことがどうでもよくなるんですよ。良い悪いはありませんけど、コミュニティの中で生きる、というか生きなければ安全ではない日本の一部のゲイの人たちとは対照的かもしれません」

 

自分の中にある“不吉な塊”と、表現すること

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Sii Udagawa

 

Maayaさんからは、とても陽気で楽しい人物という印象を受ける。話も上手で、いわゆる“オネエキャラ”に近い部分もある。そんなMaayaさんだが、先ほど自らの書の原点をラブレターであり呪いであると紹介したように、自分の中に陰の部分があることも自覚している。

「小さい時から、自分は人と違う、なんで男の子が好きなんだろうっていうことを考えていました。自分の中になにか“不吉な塊”があるような意識がありました。その不吉な塊を誰かに気づかれたくないからこそ、親譲りの陽気で楽しい性格でネガティブなバイブレーションを浄化しなきゃという気持ちがあります。でも、もしゲイじゃなかったら、不吉な塊が自分の中になかったら……表現者にはならなかったと思うんです。ゲイを売りにするとか、そういう意味ではないですけどね」

中学時代にはいじめを経験。それを乗り越えてきた。

「 “女っぽい”ということでいじめられていました。女の子の方が気軽に話せたから、周りに仲の良い女の子が大勢いたので、やっかみもあったと思います」

「そんなときに励まされたのがマドンナの存在です。彼女はゲイであることを恥じるべきじゃないとか、自分を信じて自分を表現しろというメッセージを常に表明していた。彼女のバックダンサーにはゲイもいたし、そういう人たちをお手本にすることで自分を肯定することが出来ました。もう少し成長してからは、ジャーナリストの北丸雄二さんが海外から伝えてくれるLGBTQの情報を見てたくさんの勇気をもらいましたね。

「今度は僕が勇気をあげられれば良いですが、そこまでいかなくても、きっかけくらいにはなりたいなと思います。“ああ、フランスでこんなおっさんが頑張ってるんだな”と思ってもらえればそれでいいです(笑)。一生かけて書の冒険を続けていくので、その姿を見てほしい。Maayaという名前はアニメ『みつばちマーヤの冒険』からとってるんです。Maayaの冒険はまだまだ始まったばかりです」

(取材・文:宇田川しい 編集:笹川かおり)