「お笑いビッグ3」がトップに君臨し続けた30年。日本のお笑い界は「停滞」したのか?

テレビの視聴者も出演者もどんどん高齢化していく。行き詰まりを感じて、テレビ以外の場所に活路を見いだす芸人はこれからもどんどん増えていくだろう。
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時事通信社

平成が終わり、令和という新しい時代を迎えようとしている今、改めて平成のお笑いを振り返ってみると、頂点に立っている芸人の顔ぶれがほとんど変わっていないことに気付く。タモリ、ビートたけし、明石家さんまの「お笑いビッグ3」は、平成が始まる頃にはすでに押しも押されもしないテレビのトップスターだった。そして、平成が終わろうとしている今も、レギュラー番組を多数抱えて根強い人気を誇っている。

だが、その点だけに目を奪われて「平成のお笑い界は停滞していた」と考えるべきではない。確かに、彼らの人気や地位はずっと変わっていないのだが、それ以外の部分では大きな地殻変動が起こっている。平成の終わり、その「地殻変動」とは一体どのようなものなのか、振り返ってみたい。

ビッグ3にとって、平成は「苦難」を乗り越えた時代でもあった。

 前述の通り、平成の30年間を通して「お笑いビッグ3」の覇権は揺るがなかった。だが、そんな彼らも平成に入ってからは苦難の時期を迎えていた。

もともとアイドル的な人気を誇っていた明石家さんまは、1988年に女優の大竹しのぶと結婚して以来、「守りに入って面白くなくなった」などと叩かれるようになり、平成の初め頃には人気を落としていた。一方、ビートたけしは1994年にバイク事故を起こし、約半年間の休業を余儀なくされた。

そんな中で、この時期に新たに台頭してきたのが、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどの「お笑い第三世代」と呼ばれる芸人である。彼らは自分たちと年齢の近い若者世代に絶大な支持を得て、「若者のカリスマ」として勢力を拡大していった。

たけし、さんまらが出演していた『オレたちひょうきん族』(1981~1989年)のあとに続く形で、彼らはフジテレビで『とんねるずのみなさんのおかげです』(1988~1997年)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(1990~1993年)、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(1991~1997年)などの冠番組を持っていた。これらはいずれもコントを中心にした本格志向のお笑い番組だった。この時代には、「フジテレビのゴールデンタイムに冠番組を持つこと」が芸人としての成功の証だと考えられていた。

「カリスマたちの戦国時代」の終わり。芸人は、協力し合う時代へ。

だが、1997年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が終了してからは、このように1組の芸人が仕切る形のお笑い番組がほとんど出てこなくなった。これ以降で王道のお笑い番組と言えるのは『めちゃ×2イケてるッ!』(1996~2018年)や『はねるのトびら』(2001~2012年)などである。これらはいずれも複数の芸人をレギュラーとして対等に扱う番組であり、1組の芸人が看板を背負うものではなかった。

『めちゃイケ』ではナインティナインの岡村隆史が中心的な存在になっていたが、彼が独立して番組全体を仕切っているわけではない。あくまでもレギュラー全員が一丸となって番組に携わっていた。いわば、「カリスマたちの戦国時代」が終わり、大勢の芸人が協力し合うことが当たり前になってきた。

なぜこのような変化が起こったのか? 考えられる理由はいくつかある。まず、お笑い養成所が作られたことで、芸人の数が圧倒的に増えた。「お笑い第三世代」より前の世代で芸人を志す者は、師匠に弟子入りするのが一般的だった。だが、その後、お笑い養成所が開校して、そこを卒業して芸人になるという道が開かれた。

人生を懸けて一人の師匠の弟子になることに比べると、授業料を払って学校に入るというのははるかに手軽なように思える。スターになることを夢見て多くの若者が養成所の門を叩くようになった。

養成所出身の芸人は、「学校」という環境で自身の芸を磨いていくため、どうしても優等生的なキャラクターになってしまうことが多い。1組だけはみ出したり、出しゃばったりするのが難しい。むしろ、同じ養成所で同じ時間を過ごした芸人同士は「同期」として同級生のような連帯感を持つことになる。そのため、強烈な存在感を持つカリスマ芸人が生まれづらい土壌ができてしまった。

芸人の高齢化。そして芸人は「テレビ離れ」に走っていく。

また、平成が半ばを過ぎた頃から、芸人の高齢化が顕著になってきた。テレビでよく見る芸人の年齢が30~40代になっていき、40代でも「若手芸人」を名乗るのが珍しくなくなってきた。ギラギラした野望を抱えた若者は減っていき、すっかり丸くなった大人の芸人が多数派を占めるようになった。

このような状況で20代ぐらいの若い芸人が新たにテレビに出てきても、先輩芸人に囲まれているため、偉そうに振る舞うことができない。とんねるずやダウンタウンは冠番組を持ち、自分たちよりも上がいない立場でカリスマ性を発揮することができた。今のテレビではそのようなことができる状況がない。

そんな時代の変化を受けて、平成の終わりに起こっている新たな動きが「芸人のテレビ離れ」である。一昔前には、芸人は誰もが「ゴールデンに冠番組を持つこと」を目指していたのだが、その一元的な価値観が崩壊して、地上波テレビ以外の場所に芸人がどんどん進出するようになっている。

又吉直樹は処女小説『火花』で芥川賞を受賞した。古坂大魔王は音楽プロデューサーとしてピコ太郎の『PPAP』を手がけ、世界的なブームを巻き起こした。それ以外にも、絵本制作や多彩なビジネスを展開する西野亮廣、音楽ユニット「RADIOFISH」として活動する中田敦彦、ワールドワイドな活動を視野に入れてニューヨークに移住した渡辺直美など、日本の地上波テレビ以外の場所に芸人が本格的に参入する事例が相次いでいる。テレビの視聴者も出演者もどんどん高齢化していく中で、行き詰まりを感じてそれ以外の場所に活路を見いだす芸人はこれからもどんどん増えていくだろう。

平成を振り返って、「お笑いビッグ3」がずっと変わらずにトップを走っているように見えるのは、あくまでも「日本の地上波テレビ」というローカルな場所だけに目を向けているからだ。もちろん今でも依然としてテレビの影響力は強いのだが、芸人なら誰でもそこを目指すという時代ではなくなっている。

令和時代のお笑いがどうなるのか、はっきりしたことは分からないが、芸人の活動する場所がどんどん広がっていき、それに伴って「お笑い」や「芸人」のイメージも変わっていくのは間違いない。お笑い界にとって平成とは「停滞」の時代ではなく、「大変革の始まり」の時代として記憶されることになるだろう。

著者:ラリー遠田

1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業(専攻は哲学)。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたり活動している。

近著に、平成のお笑い史を「事件」を通して振り返る『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)。