フィンランドにも「根性論」があった。世界一幸せな国で「頑張る」ことの意味とは

日本のと似ているけど、だいぶ違う。
|

フィンランド外務省の主催で、世界16カ国の若手ジャーナリストがこの国をあらゆる視点から学ぶプログラムに参加している。

フィンランド人を表す言葉で、度々出てくる「SISU(シス)」という言葉がある。

「シス」について書かれた本『Finding Sisu: In Search of Courage, Strength and

Happiness the Finnish Way(シスを探して:フィンランド流の勇気、強さ、幸せを求めて)』には、「辛い時も、諦めない精神」と説明されている。

この言葉を初めて聞いた時、日本の「根性論」を思い出した。デジタル大辞泉によると「強い精神力があれば、何事も成し遂げられるとする考え方」。「根性論」に通じるものがある。

この本によると、「シス」は「非公式なフィンランド人の心がけ」と捉えられているらしい。

フィンランドにも「根性論」はあったのか。

Open Image Modal
フィンランドのヤルコ・ニエミネン選手が2009年1月に行われたシドニー国際でセルビアの選手にテニスで勝利した時、見せた「SISU」のタトゥー
Daniel Munoz / Reuters

「2018年に世界で一番幸せな国」として選ばれたフィンランドに、「根性論」が心がけの一つになっていることが意外だった。

なぜなら、私自身、根性論はどこか「古い価値観」と思っているからだ。

学校の部活動や、企業での働き方を巡る議論で、根性論を下敷きにした価値観が、どこか美化されてきた結果、犠牲になっている人を生み出していると感じている。

フィンランドの「根性論」と日本の「根性論」は同じなのか。違いがあるとしたら、一体何なのか。

8月13日、プログラムの一環で、『Finding Sisu』の著者、カトヤ・パンツァルさんの講演を聞く機会があった。

Open Image Modal
カジャ・パンツァーさん
arisa ido

パンツァルさんは、フィンランドで生まれ、人生のほとんどをニュージーランド、カナダ、イギリスなど海外で過ごした。15年前に自分のルーツであるフィンランドに戻り、ライターとして活動している。海外に住んだ経験から、フィンランド人を客観的にみる視点も養ったという。

講演の中で、パンツァルさんは「シス」は「フィンランド人の特徴を捉える1つだ」と説明した。

パンツァルさんによると、フィンランド人が「シス」について話すとき、代表的なエピソードが2つあるという。

1つは、第二次世界大戦の際、フィンランド軍が不利な状況の中でソ連軍に勝利した「冬戦争」のエピソード、そして1972年のミュンヘン・オリンピックで、ラッセ・ビレン選手が男子1万メートル競走で転んでも立ち上がり、金メダルと世界記録を勝ち取った話だ。

どちらも少し極端な例だが、困難な状況の中で諦めなかったストーリーだ。さらにパンツァルさんは、『Finding Sisu』で、「シス」が発揮される日常の場面も示している。

例えば

・交通機関を使う代わりに、自転車や徒歩で通勤する

・エレベーターの代わりに階段を使う習慣をつける

・天気に関係なく、行動を起こしてみる

ーーなどだ。

この程度なら、フィンランドの「根性論」はゆるいのかもしれないと感じる。日本の根性論は到達するのが難しい状況でも、自分の限界を超えてでも到達しようとする姿勢が求められているように思えるからだ。しかし、シスは日常の中で「少し頑張る」だけでも、認められるらしい。

質問時間で、私は、パンツァルさんに質問した。

「日本でも『シス』に近い『根性論』という考え方がありますが、私はこの考えをどうしてもネガティブにしかとらえられません。『頑張る』ことが奨励されるあまり、ときには死に至るケースもあります。フィンランド人には『シス』を批判的に捉える人はいないのでしょうか」

私の質問に、パンツァルさんは「そんな考え方が、日本にはあるのか」と意外そうな反応を示してから、「あ、たぶんだけど...」と、何かを思いついたように答えた。

「シスを否定的にとらえる人はあまりいません。むしろ、誇りに思っている人が多いでしょう」

「ただし」とパンツァルさん。

「シスには、1つだけ条件があります。他人に頼ってもいい頃合いを知っている人だけが、この頑張りができると考えられています。自分で諦められるレベルをきちんと設定できることが大切なんです」

彼女の答えで、なぜフィンランドの「シス」は、日本の「根性論」のようなネガティブさがないのか、納得した。

ここでポイントになるのは「自分」で設定することだ。

私は「頑張る」こと自体は、否定しない。

ただ、日本の「根性論」は、「すごく頑張る」レベルを求め、さらに他人の助けを借りることは想定されていないイメージがある。むしろ頼ったら「負け」とみなされるような気がする。人によって体力や能力が違うことがあまり考慮されない考え方のように感じる。

「シス」が自分基準の「頑張り」でもOKなら、「少し頑張る」こともそこまで難しい話ではなくなると思う。誰かにとって簡単なことでも、他の人にとっては不可能なこともあるからだ。

限界をそれぞれが設定できるという意味で、「シス」は、日本の根性論と比べると幾分か、多くの人が参加しやすい考え方に思えた。

====================

2018年8月、フィンランド外務省が主催する「若手ジャーナリストプログラム」に選ばれ、16カ国から集まった若い記者たちと約3週間、この国を知るプログラムに参加します。

2018年、世界一「幸せ」な国として選ばれたこの場所で、人々はどんな景色を見ているのか。出会った人々、思わず驚いてしまった習慣、ふっと笑えるようなエピソードなどをブログや記事で、紹介します。

#幸せの国のそのさき で皆様からの質問や意見も募ります。

過去の記事は、こちらから