「被災地報道のテンプレ化を感じていた」。東日本大震災の取材を受け続けた宮城の蒲鉾店の10年【3.11】

「節目なんて、ない」。震災から10年、取材を受け続けること約600件。その中で感じた3.11報道の“テンプレ化”。2年前に苦言を呈した宮城県女川町の老舗蒲鉾店の社長に改めて聞いた。

「被災地で生きる僕らは、ストーリーを演じる素材じゃない」

宮城県女川町で蒲鉾店を営む高橋正樹さんが、メディアの取材手法についてTwitterに綴ったツイートが拡散され広がったのは、2019年の3月11日だった。あれから2年。東日本大震災から10年が経ち、状況や考えに変化はあったのか。

10年で約600件もの震災関連の取材を受け続けてきた側の話を改めて聞いた。

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取材に応じる宮城県女川町で蒲鉾店を営む高橋正樹さん
HARUKA OGASAWARA

「節目なんて、ない」。3.11に対する、捉え方の違い

女川町にある老舗かまぼこ店「蒲鉾本舗 高政」の社長である高橋さん。震災では祖父と従業員の1人を亡くした。

2月の大地震には「10年経つこのタイミングで俺たちを試すなよ」と少し怒りのような感情が込み上げてきたという。震災から10年、今の率直な思いをこのように語る。

女川は被災地の中では相対的に早く復興が進んだ地域とよく言われますが、この10年はとても早く、あっという間に感じました。10年という月日が経ったという実感がありません。時に曜日の感覚さえなくなりながら、復興に向けて様々な困難な壁と向き合う日々でしたから。

 

「3.11」は毎年のように報道されてきましたが、今年は「10年」という括りでは一致しているものの、メディアが考える節目と被災地で暮らす私たちが持つ感覚は必ずしも一致しているわけではないと私は感じています。

 

地域によって異なりますが、復興という点では、私たちは2011年から10年後の2021年までにまず町を元通りにすることが目標としてあった。さらにそこからもう10年、すなわち2031年で、私たちが「被災地」「被災者」という言葉で表現されなくても良い状況を作る。

 

そうなって初めて町として本当のスタートが切れると考えているので、「震災から10年」というのは過去を振り返る節目ではなく、あくまでも今後の未来を見据えるための「時点」という意識なんです。

 

さらに言えば、「節目なんて、ない」というのが正しいかもしれません。震災から10年が経とうが15年が経とうが、私にとっては祖父の命日であることには今後も毎年変わりはないのでね...。

「震災から10年」という時の流れをどのように捉えるか。

時間の感じ方は人それぞれだが、被災した人の中には、正直まだ「振り返る」というフェーズに入っていないと感じる人もいる。メディアが勝手に「節目」としてはいないか。これは、震災後に宮城県でアナウンサーとして被災地を取材してきた筆者自身が思う所でもある。

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がれきの山と倒れた女川町と書かれた立て看板(宮城県女川町)
時事通信社

被災地報道の「テンプレ化」 依然変わらぬと感じることも

高橋さんは近年、一部のメディア取材を断ってきた。それは、年を追うごとに報道における“被災地の素材化”が著しいと感じてきたことが理由だ。

震災から10年ということもあり、2021年も取材依頼は特に多かったと振り返る。

震災から2年を過ぎた頃から、一部の取材に対し「悲しい話やあらかじめ作られたストーリーを演じる人を探している」と高橋さんは感じてきた。

かつては自分も「カメラを回すのでお線香をあげてください」というリクエストに渋々答えたこともあった。「これは、なんか違う...」と当時感じていた。

もちろん、すべての報道がそうと感じているわけでは決してない。だが2年前、長年悶々としていた感情はついに溢れ、Twitterに書きなぐった。

ツイートは多くの人からの反響を呼んだ。わずか2年の月日だが、その後のメディアの震災報道を高橋さんはどう見たのか。

全体的に「最初から悲しい物語を作ろう」と意図するものは2年前と比べると減ったという印象はあります。辛い経験を掘り起こしてストーリーにするというよりも、未来への視点を大切にする報道が増えました。

 

しかし相変わらず、変わらないところは変わらないという印象です。「悲しい話を思い出してください」というリクエストは今年もお断りしました。

 

これまで受けてきた取材を振り返ると、必要以上に我々のように被災した人たちが「弱者」であるかのように捉えられ過ぎたことで、「被災地報道のテンプレ化」が生じてしまったのではないかと感じています。それは、「忘れない」ということが「前提」ではなく「目的」となってきてしまった結果なのではないかと思う点は、2年前と変わりません。

高橋さんは言う。「深い悲しみや喪失感も確かにありましたが、前向きになれた時間もありましたから。意図的に素材を集め、パッチワークのようにつなぎ合わせて作られたストーリーは決して、被災地の今ではないんです」と。

「音声SNS」は災害情報の発信を変えるか

東日本大震災ではテレビやラジオを通じて知ることができる災害情報の他に、Twitterが情報の発信や拡散に一定の役割を果たしていた。あれから10年。当時存在しなかったが、使い方次第で今後の災害時の情報発信を変えていく可能性がありそうなのが、音声SNSだ。

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音声SNS・Clubhouseの使用イメージ
Getty Images

2021年2月、東北地方で最大震度6の地震が起きた際、高橋さんは地震直後に音声SNS・Clubhouse(以下、クラブハウス)で「地震発生 宮城県女川町から」というタイトルのルームを立ち上げ、状況のリポートを試みた。その時のことをこう振り返る。

地震の被害を確認するため車で会社に向かう中、ハンズフリーで見たままの情報をとにかく伝えていきました。「停電は起きていないようです」とか「いま余震がきました」といった具合にです。

 

会社に着いてしばらく扉を開けるのに手間取っていると、岩手県釜石市の女性が「私がフォローします」とスピーカーに名乗り出てくれて場を繋いでくれました。数日前に防災関係のルームでたまたま知り合っていた方でした。その後は、弊社の社員と被害状況を確認する様子をそのまま流して、翌14日の午前1時ごろまで配信を続けました。ルームには400人ほどがいました。

 

2月の地震でクラブハウスを使ったのには明確な理由がありました。震災当時、情報の発信にTwitterを使っていたんですが、デマや、すでに古くなった過去の情報がタイムラインに流れてくる様子を目の当たりにしてきました。それが原因で避難所にすでに足りている物資が大量に届いてしまうということもあったんです。

 

クラブハウスでは雑談の内容を外に漏らすことは規約に違反するので、情報の拡散は出来ませんが、ルームに入っている人に対してであれば、常に新しい情報の報告が続けられます。Twitterでは、発信するのに「文章を考えて書く」という過程を経る必要がありますが、クラブハウスは音声なので、その必要も手間もない。緊急時に最小限の労力で情報を発信できる点も、試す中で魅力を感じました。

災害時にクラブハウスで発信されるリポートは、スピーカーの主観に基づいた報告になる。加えて、公的機関や報道機関が発信する情報ではないため、発信された時点では「不確定な情報」という前提はある。

だが、個人が被災した現場などからいち早く状況をリアルタイムで発信し更新できることは確かだ。

震災後の2015年に起きた関東・東北豪雨など、テレビ・ラジオで災害報道に携わってきた筆者としては、実際にリポーターとして現場に到着して状況を伝えるまでには時間を要したし、加えて情報が更新されるまでは同じ情報を何度も繰り返し伝えるしかなかったという経験があり、課題と感じることでもある。

もちろん安全を最優先に確保した上での話ではあるが、災害時に被災した人が報道機関の取材を受けるだけではなく、自らがメディアとなりリアルな状況を伝えられるという点で、使い方によっては音声SNSの可能性は今後も広がるかもしれない。

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取材に応じる宮城県女川町で蒲鉾店を営む高橋正樹さん
HARUKA OGASAWARA

声の温かみで防げた「孤独」。雑談できる場の大切さ

高橋さんは災害時に音声SNSを使ってみて良かった点として、もう1つ強く感じたことがあったという。2月の地震で、思わず不安な気持ちを吐露した時のことだ。

地震が起きた際に音声SNSを使っていると、何より「誰かと繋がることができている」という安心感を感じることができたんです。

 

私が方言交じりで発した不安の言葉を、当時ルームに入っていたコミュニティの人たちが共感して受け止めてくれました。

 

その瞬間に「自分は孤独じゃないんだ」と思えて。緊急時に声の温かみを感じられたというのは、震災の時にはなかった感覚でした。災害のような緊急時、誰かが自分の気持ちを受け止めてくれることのありがたさを改めて感じました。

高橋さんはその後も震災関連の雑談ルームに度々参加しているが、今後も大きな地震が起きた際には音声SNSを活用したいと考えている。

ルームの参加人数は現状では限られているため決して多くはないが、文字情報ではなく声だからこそ伝えられることもあると感じるからだという。

あの震災で浮き彫りとなった被災後の「孤独」。災害公営住宅などでの孤独死も長年の間、深刻な問題となってきた。

災害時、離れていてもすぐさま声を通じて誰かと雑談でき、経験をシェア出来る新たな場ができたという意味で、音声SNSの存在意義は大きいのかもしれない。

――

インタビューの最後、高橋さんは念を押して筆者にこう言った。「やっぱり、節目なんてない。これだけは伝えてください」。被災地で生きる1人の本音が、その言葉に表れていた。

(取材/文:小笠原 遥)

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地震発生後の宮城県女川町
時事通信社