「世界が尊敬する日本人」に選ばれたソプラノ歌手・田中彩子さんが、絶対呼びたいオーケストラがあった

「Newsweek日本版」の企画「世界が尊敬する日本人100」に選ばれたソプラノ歌手・田中彩子さんには夢がある。日本の反対側にある国のオーケストラを呼ぶことだ。その理由とは...

『Newsweek日本版』で「世界が尊敬する日本人100」に選ばれ、「天使の歌声」と世界が称賛するソプラノ歌手・田中彩子さん。

この9月、様々な生活環境で育った青少年たちに音楽を通した教育の機会と将来の可能性を提供している「アルゼンチン国立青少年オーケストラ」を日本に呼ぶプロジェクトを立ち上げた。

「日本の反対側にあるアルゼンチン。この若者によるオーケストラの生命力に溢れた音楽を日本に届けたい。そして、環境の異なる日本とアルゼンチンの若者たちが出会う機会を作ることで、今まで知ることのなかった世界や新しい気付き、可能性を知るきっかけになってくれれば」。そうクラウドファンディングで支援を呼びかけている。

ブエノスアイレスでつかんだ栄光

極めて難易度が高い、高音域の歌声「ハイ・コロラトゥーラ」を正確に操るソプラノ歌手として世界的に評価されている田中さん。だが、これまでの道のりは決して平坦ではなかったという。

ピアニストを目指し3歳の頃からピアノの練習を続けてきた。しかし、手が小さかったことからその道を断念し、高校時代に「歌」の世界へと進んだ。

当時、歌の先生に「高い音まで出せる珍しい声」と評され、歌で生きていくことを決めた田中さんは、高校卒業後、18歳で音楽の都・ウィーンへ単身で留学。

その類いまれな才能を見出されて本格的に声楽を学び、22歳のときにスイス・ベルン州立歌劇場で日本人初そして同劇場最年少ソリストとしてデビューを果たした。

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世界で活躍するソプラノ歌手・田中彩子さん
朝日新聞社

「デビューまでの4年間はとても不安でした。音楽大学を卒業したわけではないので手元に残るものがないというか。王道と言われる道を歩まないと音楽家になれないと悩んでいた時期もありましたが、違う国の人と触れ合い、違う考え方を知ることで視野が広がって、『私は私の道を行けばいい』と乗り越えることができたんです」(田中さん)

晴れてデビューを果たした田中さんは、その後、ロンドン・ロイヤルフィルハーモニーとの定期公演や、ウィーン2大コンサートホールの1つ「ウィーン・コンツェルトハウス」、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスにある南米最高峰のコンサートホール「CCK」での公演を成功させた。

そして2018年には「アルゼンチン最優秀初演賞」を受賞するなど、着実にキャリアを積み上げていった。 

危険地帯から通う子も

最近、日本のテレビ番組に出演する機会が増えた田中さんのもとには、将来への不安を感じている10〜20代からのメッセージが数多く届いているという。

「『音楽家になりたいけれど自信がない』、『将来何をしたらいいかわからない』という相談をたくさんいただくようになりました。悩みを聞くにつれ、かつて私が不安だったのと同じように迷い、悩んでいる方々に向けて何かできたらと思うようになりました。そして、あるときふと、『アルゼンチン国立青少年オーケストラ』のことを思い出したんです」

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「ハイ・コロラトゥーラ」を操り、世界で活躍するソプラノ歌手・田中さん
朝日新聞社

このオーケストラの拠点となるアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスはイタリアからの移民が多いこともあり、著名な音楽家を多数輩出してきたクラシック音楽の都でもある。田中さんは言う。

「ヨーロッパは夏になると音楽の世界がオフシーズンになりますが、南半球にあるブエノスアイレスは冬なので音楽シーズン真っ最中なのです。そのため夏の間、音楽家たちはブエノスアイレスへ演奏に行くというのが昔からの伝統となっています。ウィーンに住んでいる私も夏になるとブエノスアイレスからお声がけをいただき、定期的に演奏に出かけています。その中で出会ったのが、『アルゼンチン国立青少年オーケストラ』です」

「アルゼンチン国立青少年オーケストラ」は、アルゼンチン政府の支援のもと、さまざまな国籍や家庭環境で育った26歳以下の青少年たちに音楽を通した教育を行っている。

同様のプログラムで作られたものとして、虐待や犯罪に溺れてしまう極度に貧しい環境にいる若者を救うための「El Sistema(エル・システマ)」があるが、その立ち上げをサポートしたのが「アルゼンチン国立青少年オーケストラ」の指揮者だ。

「『アルゼンチン国立青少年オーケストラ』はあくまでもプロの音楽家を育成する場であり、貧困層の青少年をボランティアで助けているわけではありません。一流の音楽家を目指そうとオーディションで勝ち抜いた青少年だけが在籍していますが、鉄格子で囲まれているような危険度の高い地域から来ている青少年や、裕福まではいかないけれど普通に生活ができる家庭環境の青少年など様々です。また、アルゼンチンだけではなく、ベネズエラ、ボリビア、エクアドルなどから来ている子どもたちもいます。演奏しているときは平等で、生まれた環境も国籍も関係ない。チームワークや協調性、集中力を学ぶ最適な場所でもあります」(田中さん)

音楽を通して生きる希望を見出し、プロの音楽家も多く輩出している「アルゼンチン国立青少年オーケストラ」。20世紀の大指揮者レナード・バーンスタインの弟子であったマリオ・ベンセクリ氏が指揮を務め、その技術は世界的レベルだと田中さんは話す。

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アルゼンチン国立青少年オーケストラとともに舞台に立つ田中さん
朝日新聞社

「彼らと共演した時、力強い演奏に心を打たれました。同時に、日本と生活環境が全く違うけれど、アルゼンチンの若者も日本の若者と同じような不安を感じていることも知りました。悩みながらも力強く生きているアルゼンチンの若者と、一見すべてが揃っているかのような環境に生きているようで、たくさんの悩みを抱える日本の若者たち。その両者が交流を持つことで大人が予測できないような化学反応が起きるのではないか。成長のきっかけになるのではないかと思うようになったのです」

日本の若者たちと交流して欲しい

日本とアルゼンチンの若者の交流を促すことで新しい気付きや可能性を知るきっかけを提供したい。

そのために、67名の団員と指揮者が在籍する「アルゼンチン国立青少年オーケストラ」を日本に呼びたいと熱望する田中さんは、資金を集めるためにクラウドファンディングによる支援を呼びかけている。

「いくつかの地域をまわってコンサートをしたいです。ただ演奏して終わりにするのではなく、例えばコンサートの前に数人の若者に自分がどういう環境で育って、音楽がどういう意味を持つのかなどを話してもらえたら、より分かり合えるのではないかと考えています。また、コンサート会場に来ることができない人もスマートフォンがあれば見ることができるようにライブビューイングができたら理想的ですね」(田中さん)。

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アルゼンチン国立青少年オーケストラのメンバー
朝日新聞社

このプロジェクトを通して、世界は広いこと、いろいろな人がいること、様々な生活環境の中でプロの音楽家になっている人がいることを感じてほしいという。

「未来にはたくさんの可能性があります。試験やコンクールに落ちたから才能がないと諦めるのではなく、最終的に自分が目指す場所を心に決めておくことが重要です。どのような道を辿っても行きたいところに行けばいい。視野を広くすると気持ちが楽になると感じてほしいです」(田中さん)。

地球の裏側から届いた音楽が、未来を担う日本の子どもたちの背中を押すきっかけになるかもしれない。

クラウドファンディングの支援受付は11月29日まで。詳細はこちら

(取材・執筆=岡本英子)