「働けることが、とにかく楽しい」海を渡った難民が“地方公務員”を夢見るまで

難民危機から2年。ドイツにも、少しずつ「自立の一期生」たちが育ちつつある。
|

「毎日早起きして出勤し、働けることがとにかく楽しい」

うれしそうに語る難民がいる。

難民危機から2年。ドイツにも、少しずつ「自立の一期生」たちが育ちつつある。

難民の就業支援に熱心なドイツ西部のデュッセルドルフ市を取材した。

デュッセルドルフ市は、ドイツ16州のうち、人口ベースで最大州であるノルトライン=ヴェストファーレン州の州都。人口は約65万人で、日本企業のドイツ進出の拠点としても知られる。

ドイツにやってきた難民、就職までの険しい道のり

ドイツが難民の受け入れを決めた背景には、労働力としての彼らへの期待があった。

日本と同様、少子高齢化により、将来の労働力不足が危惧されているドイツ。特にエンジニアや職人などの職種では、後継者問題が深刻化している。「若者を中心とする入国難民たちが、ドイツの労働者不足を補ってくれる」との読みがあったのだ。

一方、難民たちにとっても、ドイツ定住を決めた以上、職業に就くことは自立のための必須条件だ。自分が収入を得られれば、母国に残った家族を支援したり、呼び寄せたりすることも可能になる。

つまり、「難民たちの就業」という点で、ドイツ産業界と難民たちの利害は一致している。

とはいえ、この青写真が現実になるまでの道のりは険しい。

難民たちは、入国後すぐに仕事を始めることはできない。まず難民庇護申請を提出し、国から難民としての正式認定を受けることが必要だ。

その後、所定のドイツ語コースを履修し、1〜2年、ときにはもっと時間をかけて、職場で最低限必要なレベルを取得する。その後、やっと職業訓練への参加資格が与えられる。

ドイツでは、職種ごとに厳密な職業訓練プログラムが確立している。大学卒業者以外、高卒等に相当する若者たちは、ドイツ人でも数年間にわたる職業訓練を受ける義務がある。

その修了資格を取得して初めて、一人前の職業人として認められるのだ。企業側も積極的に職業訓練を受け入れ、訓練後そのまま彼らを正規採用するケースが多い。

難民たちも、この職業訓練規定の例外ではない。

彼らが難民認定や言葉の壁といったハードルを乗り越え、ドイツ人と同じ内容の職業訓練を終えて自立するまでは、非常に息の長い行程となるのだ。

それでも、ドイツのあちらこちらで、少しずつ「自立の一期生」たちが育ちつつある。

専門用語はすぐにオンライン検索

ノートPCの画面をみつめる2人の目は、真剣だ。母国語でない言葉で書かれた情報を、一言も見逃さず、少しでも速く読み取ろうとする意欲が伝わってくる。

2人は、ともにシリア出身のムハマッド=ヴィッサム・アル=ハムベさん(28)と、クドゥル・ヘガップさん(24)。彼らが働いているのは、デュッセルドルフ市消防署に併設された、車の整備工場だ。

Open Image Modal
整備工場の職業訓練生、ヘガップさん(左)とアル=ハムベさん(右)。小型トラックにノートパソコンを接続して、車両の状態をチェックする。
Mika Tanaka

2人はここで、2017年9月から整備工としての職業訓練を受けている。今日は、車両搭載のコンピュータにPCを接続して、データを読み込む訓練だ。

アル=ハムベさんは2015年に、ヘガップさんは2014年にドイツに入国。2017年、デュッセルドルフ市が難民を対象に立ち上げた職業訓練プロジェクトに応募し、選出された。 3年半に渡る訓練プログラムである。

アル=ハムベさんは、シリアで調理師として働いていたが、もともとは車の整備工になるのが夢だった。「その夢がかなって、とてもうれしいです」とにっこりする。

ヘガップさんは、母国の大学で工学を専攻していたが、内戦で勉強を中断、ドイツに逃れた。「整備の内容は車種によって違う。毎日が勉強です」と話す。

2人は毎朝5時半に起床し、6時45分には職場に到着している。昼休みをはさんで1日中、指導担当者についていろいろな業務を学び、午後3時半に帰宅する。

毎週月曜と金曜には職業学校に通って自動車整備の理論を学び、残りの3日は出勤して職場で実技を学ぶ、というスケジュールだ。

「仕事で何がいちばん大変ですか?」と聞くと、2人とも「専門用語を覚えること」で意見が一致する。2人は所定のドイツ語コースを修了しており、日常的な会話や読み書きには不自由しない。

しかし、自動車整備という専門的な分野で使われる用語は、耳慣れないものばかりだ。わからない時には、すぐにドイツ語・アラビア語対応のオンライン辞書で検索する。自宅では復習し、書き抜いて、とにかく覚える。

指導を担当する整備工場のクリスティアン・インゲンホーフェンさんは、2人の仕事ぶりに大満足だ。「2人とも優秀です。信頼でき、時間に正確で、知識の吸収にも貪欲。手先も器用ですね」。

指導する側として、作業の説明をする際には、なるべくわかりやすい表現を選んでいるという。「2人にはいつまでもいてほしい」と話してくれた。

Open Image Modal
2人の訓練を担当するクリスティアン・インゲンホーフェンさん(中央)。
Mika Tanaka

「これ以上、望むことはありません」

整備工場を後にして、今度はデュッセルドルフ市庁舎へと向かう。

上記2人と同様に職業訓練プロジェクトの一期生であり、人事部で訓練中のベラル・アルトリヤケさん(22)の話を聞くためだ。

アルトリヤケさんもシリア出身で、入国は2015年5月。2年半の滞在とは思えないほど流暢なドイツ語だ。服装もドイツの若者たちと変わらない。

Open Image Modal
人事部の訓練生、ベラル・アルトリヤケさん。「2つの文化を受け入れることに抵抗はありません。自分はオープンです」
Mika Tanaka

「毎日早起きして出勤し、働けることがとにかく楽しい。ペーパーワークは自分に向いていると思う」と笑顔で話す。

アルトリヤケさんは、行政職員としての業務全般を学ぶ。人事部では、申請案件の対応、契約書や勤務評定などの作成 、採用面接への参加など幅広い経験をした。

翻訳ソフトを使いながら、固い役所言葉を文脈に則して理解する。訓練生は3ヵ月のサイクルで部署を代わる規定で、人事部の後は市民サービス窓口に異動する予定だ。

シリアの大学では物理を専攻していたが、ドイツで大学に戻りたいとは思わない。

「ベストの雇用先で職業訓練でき、親切な同僚に囲まれている。自分がドイツで望んだことは、すべて与えられたのです。これ以上、望むことはありません」。迷いなく答える様子に、彼が心底、現状に満足していることが実感できた。

地方公務員としての未来を夢見て

デュッセルドルフ市の職員数は、約1万人。この地域では最大規模の雇用者数だ。毎年募集する250人の職業訓練生のポストには、ドイツ人の若者を中心に約9000人から応募が殺到する。

市では2017年、新たに難民認定された若者だけを対象とした特別プログラム『職業訓練 − チャンス − デュッセルドルフ』をスタートさせた。初年度は4人を採用、2018年はさらに4人を選出する予定だ。3年間で、計40万ユーロ(約5320万円)の特別予算を組んでいる。

通常、ドイツ人の応募者はオンラインで応募するが、このプログラムでは、難民の応募者たちをマニュアルで精査する方法をとった。

市の人事部、ジョブセンター(職業仲介機関)、青少年就労支援機関の三者が、母国での経歴とドイツ語力を基準に一次選考し、その後は面談と審査を重ねて、彼らのモチベーションの高さ、論理的思考、集中力、約束を守れるかなどの常識力を見極めていく。

一期生には、4人の採用枠に32人の難民が応募した。今回紹介した3人は、上記の厳しい審査に合格して選ばれた「精鋭」たちだ。訓練中は、言語面でのサポート、彼らが通う職場との連携やメンター制度など、特別な措置が用意されている。

彼らには初年度、ドイツ人訓練生と同額の給与、918 ユーロ(約12万5000円)が毎月支給される。訓練終了後は、そのまま市の職員として採用される可能性が非常に高い。

自分の身一つで入国した難民たちにとって、地方公務員というステータスと安定した職場を与えられることは、まさに夢の実現と言っても過言ではないだろう。3人はそのチケットを半分手にしたとも言える。

「職業あってこその融合」

デュッセルドルフ市のプロジェクト担当者たちが筆者のために集まってくれた。

人事部門長のアンドレアス・マイヤー=ファルケさん、ジョブセンター副代表のクリスティアン・ヴィグローさん、そして青少年就業支援機関の代表、ペーター・ヴァルブレルさんだ。

Open Image Modal
難民たちの職業訓練プロジェクトを立ち上げたデュッセルドルフ市の職員たち。左からヴィグローさん、マイヤー=ファルケさん、人事部のヘンドリック・ショーンスさん、ヴァルブレルさん。市では今年1月に組織を改正し、「移民インテグレーション局」を新設した。
Mika Tanaka

「難民たちの就業を支援したいという気持ちは、みんなが持っていた。このプログラムで、初めてそれが実現可能になったのです。私たちも学ぶことばかりですが、訓練生側も受け入れ側も、非常に満足しています」と、ヴァルブレルさんは熱っぽく話す。

市だけでなく、一般産業界でも、難民たちを訓練生に迎えたいという希望は強い。

「中小企業に限らず、ヘンケル、DHL、ドイチェ・テレコムなどの大手企業も趣旨に賛同して、難民たちを積極的に受け入れています」と、ヴィグローさん。

「彼らを難民認定した以上、将来の展望を与えることは、受け入れ側であるドイツの責任。その鍵になるのが職業です。ドイツ人と一緒に仕事をしてこそ、地元社会との融合が可能になるのです」と、3人は口を揃える。

初めてクッキーを焼いた青年

職業訓練を始めた青年のひとりは、2017年12月に会社の行事で、初めてクリスマスマーケットを訪ねた。

「彼はそれまで、難民同士としか知り合う機会がなかった。このとき初めて、ドイツ人の輪の中に入ったのです。ものすごく喜んでいました」と、ヴィグローさんは顔をほころばせる。

クリスマスの行事で、同僚たちと一緒に、生まれて初めてクッキーを焼いた青年もいた。彼の母国では、料理は伝統的に女性の仕事。それでも、本人は喜んで参加していたという。

「職場での付き合い」は、勤務時間中だけでなくプライベートでも少しずつ増えていく。日常の「融合」は徐々に厚みを増していくだろう。

「難民たちがドイツに『同化』するのではない。以前からここに住んでいた者と、新しく来た者とが、相互に溶け合って新しい社会を作っていく。私たちは、その行程を一緒に歩みたいのです」と、マイヤー=ファルケさんは力強く語る。

ドイツには、失業者として登録している難民たちも少なくない。異文化摩擦のニュースも報じられる。

たとえば、過疎化の進む旧東独の地方都市で、相当数の難民を受け入れた市当局に対する地元住民の反発が強まり、「もうたくさん」「国境を閉鎖しろ」といったプラカードを掲げるデモが頻発している。昨年の連邦議会選挙で、極右政党AfD("ドイツのための選択肢")が躍進し議会入りを果たしたのも、突き詰めればドイツ大衆の「本音」が反映された結果といえる。

それでも、今回出会った訓練生たちの目の輝きと、市の当事者たちの情熱は、筆者を十分に納得させるものだった。

「融合は必ず成功させなくてはならない。そうすることで、私たちは社会にポジティブなメッセージを発信したいのです」と、ヴァルブレルさんは言葉を添えた。

(取材・文:ドイツ在住ライター 田中聖香 編集:笹川かおり)